こんばんは!高尾です(^^♪
今日は少し暖かかったでしょうか。
でも、明日からは又寒くなるとか・・・
三寒四温。
こうやって寒暖を繰り返しながら、春はもう、すぐそこまで来ているのかもしれませんね🌸
6年生のある日、本当にある日突然、
朝、教室に入ると、女子全員から無視さていることに気づきました。
5年生の春に宝塚から東京の学校に転校した私は、言葉も文化も異なる環境の中で、確かに少し浮いた存在ではありました。
女子20人のクラスで、19人を相手に戦うわけですから、それはそれはとても辛い日々でした。
でも、それでも、絶対に親には言えませんでした。
だから、どんなに辛くても毎日学校に行かなければなりませんでした。
どうやって解決したのか?
本当の意味ではなんの解決にもなってはいなかったけれども、
担任の先生のお陰で、傍から見たら、何事もなかったかのように元の生活に戻りました。
でも、私は自分のこころにシャッターを下ろしました。
あれから40年以上もの月日が経ったというのに、同じことが私の身に起こりました。
この歳になると「イジメ」という言葉は、虚しくて使いたくないです。
でも、この歳になっても、イジメはなくなっていなかったという現実が、本当に言葉にできないくらいのかなしみとなって、私を襲いました。
どんなにこころを尽くしても、私も決してパーフェクトな人間ではないので、うまく伝えられないことも、うまく立ち回れないこともあります。
ところが、ある日突然態度を豹変させ、不機嫌な冷たい形相で、そして最後はやはり無視という形で、、、
複数で一人を追いつめていく。
12歳のあの頃と全然変わらないやり方で。。。
でも、あの時は「ごめんね」って言ってくれたけど・・・
今回は・・・嘲笑われました。。。
私のことは置いておいて・・・
「イジメられている」と苦しんでいる人がいたとしたら、それは何はどうあれ「イジメ」なんです。
わざわざ調査などしなくても、本人が「イジメられているから助けて!!」と言っている事実が大切なんです。
イジメている側は必ず言います。私も嘲笑われながら言われました。
「イジメだなんて、そんなつもりはないですから…」と。。。
どんなにつもりがなくても、ただからかっただけのつもりでも、遊びのつもりでも、そのからかいや、遊びのつもりで投げつけた言葉や、冷たい態度や、暴力や無視という行いは、された側にとっては、間違いなく「イジメ」なんです。
こんな当たり前のことが、社会人となり、親となっても、わからない人がいるのです。
その人が、子供を育てているのです。
福島から避難してきた転校生を、酷い言葉で傷つける。
それって、子供の発想というよりも、家庭での会話の中から生まれてきたものなのではないでしょうか。
「イジメ」は、未熟な子供達の世界で起こりがちではあるけれども、
でも、それって、大人の世界でも起こっていることです。パワハラ、セクハラ、マタハラ、そして虐待・・・これらも立派な「イジメ」です。
その縮図として、副産物として、子供達をも巻き込んでいるように思えてなりません。
私の息子は、お友達からイジメられることはありませんでしたが、
地域のお母様方から、「あの子とは遊んではダメ」と言われて、仲間はずれにされることがたくさんありました。
子どもが仲間はずれにされ、一人ポツンとしている姿を見るのは、胸がえぐられるようで、本当に辛かったです。
後から教えてくれた人がいました。
「みんな暇でね。。。次はどの子をイジメようか?ってターゲットを探すの。」
「たまたま、そのターゲットに引っかかっただけ。だから◯◯くんは、なんにも悪くないの。」
「ボスに逆らうと、次は自分の子どもがイジメられるから、みんな悪いとわかってはいても、逆らえなかったの。」
「ごめんなさいね。」
と・・・
これが、現実です。
今、一緒に仕事をさせていただいている方は、お子さんをイジメで亡くされました。
「イジメはなくならない。でも、イジメによる自殺はなんとしてでもなくさなくてはならない。」
彼女の言葉は重いです。
イジメは学校でも、職場でも、ひょっとしたら家庭でも、行われているかもしれません。
確かに、どんなに先生が頑張っても、企業や産業医が頑張っても、児童相談所が頑張っても、イジメの芽は誰しもが持っているものかもしれないから、なくすことは難しいのかもしれません。
でも、だからといって、それで大切ないのちをなくしてしまうことは、なんとしてでも食い止めなければなりません。
私でさえ、本当にかなしくて、つらくて、信じられなくて、、、眠れない日々を送ったのですから、子供達にとっては、死んでしまいたくなるくらい苦しくて、切なくて、酷いことなのです。
「自殺」ではなく「自死」
決して本人の意思ではなく、そうせざるを得ないところまで追い込まれ、それ以外にその苦しみから逃れられないくらい苦しんで。。。
だから、「自殺」ではなく「自死」
なくせないかもしれないけれど、でも、やっぱりなくしたい。
そして、イジメてしまったことに気付いたら、「ごめんなさい。」と言える勇気を持ちたい。
プライドとかそんなものは、いのちの重さに比べたら、どうってことないということに気付いてほしい。
イジメられた人にも、イジメてしまった人にも、優しい社会であってほしい。
私を嘲笑ったその人の顔は、誇りに満ちてはいたけれども、決して美しくはなかった。
でも、そうさせてしまったことに、「ごめんなさい。」と言える自分でありたいと思います。
バリ島ジンバラン ボンダレンの満月