今の自分にはなにができるだろうか

こんばんは!高尾です(^^♪

1月にしては、とてもあたたかな一日でした。お昼間ポカポカと暖かいと、夜になっても急激に室温が下がらず、お部屋でぬくぬくと過ごしています。
コタローとの夕方のお散歩も、のんびりゆっくり・・・🐾 楽しんでいます🐶

元旦の能登半島地震も、東日本大震災も、そして阪神淡路大震災も、どうして大きな地震の多くはこの寒い季節に起きてしまうのでしょうか。。。
不安なだけでもこころが冷え切ってしまうのに、気温が下がれば身体の方も冷たくなってしまいます。
ぬくぬくと過ごしている自分が本当に申し訳ないです。
でも今は、思いを馳せることしかできません。義援金を寄付することしかできません。ボランティアの事前登録を考えてはいるけれども、体力に自信なく、かえって迷惑をかけてしまったらどうしよう・・・などなど、なかなか決心がつきません。でも、グリーフケアに携わっている以上、なにかのお役には立ちたいと願っています。

そして、今年も巡ってきた1月17日。
あの明け方の出来事は、今でも忘れることなど決してできず、はっきりと蘇ってきます。大地震という同じ出来事も、三人称と二人称とでは、やっぱり思いが異なります。一人称ならばなおさらです。それはどうしようもないことで、どうすることもできないのです。
自分が育った街で、自分を育ててくれた両親が被災したとなると、まるで自分ごとのように、自分の人生に有無を言わさず影を落とします。
いのちが助かったことに感謝しつつも、あれがなかったら・・・と思わざるを得ない人生を、老後を、両親は送ったに違いないのです。
それでも29年という月日が経ちました。あの時お腹の中にいた次男も今年で29歳です。それだけの長い年月が流れたということです。
喪ったいのちもたくさんあったけれども、救われた助けられたいのちもたくさんありました。かなしみとともに懸命に生きて来られた多くの被災者の方々に、生きる勇気をいただくことのできた大切な一日となりました。

震災だけでなく、当たり前の日常を奪ってしまう出来事は、あちらでもこちらでもたくさん起きています。明日我が身に起きても不思議ではないのです。そして人々は、どんなに願っても祈っても元には戻れない現実と向き合わなければならない時が、いつかやってくるのだと思います。
起きてしまったことは、なかったことにはできないのです。だからこそ、その理不尽すぎる出来事をどう捉え、そこからどのように生きていくのか、、、がとても大きな問題なのです。

まるで何事もなかったかのように振る舞う人もいるでしょう。打ちひしがれて身動きが取れなくなってしまう人もいるかもしれません。でも、それがその人にとっての精一杯なのですから、そのままを受け止めることしかできません。「そうだよね、そうだよね、、、」と。。。
でもきっと、批判も評価もせず、何も言わずただそばにいてくれる人がいたとしたら、それはいつの日かこころ動かす大きな力になると信じたいです。
実際にグリーフケア/ロストケアを通じて、多くの方がご自分の足で立ち上がり歩き始める姿を間近で拝見させていただくと、人は誰しもがそのような力をいただいて生まれてきているのかもしれないと思えてきます。
ただそれは、周りの人間がどうのこうのと判断することではなく、ご自分にとっての望む生き方でよいのです。たとえ周りから見たら後ろ向きに捉えられる生き方であったとしても、そのことでご自身の魂が救われるのであれば、それでよいのです。

いつどこで起きてもおかしくない大地震。自分ごととしてしっかり自覚を持ちつつ、でもやっぱり怖いなぁとビクビクしながら、それでもいつかは来るかもしれないという覚悟を持って、今この時もつらい思いをされている方々に自分は何ができるかを自問自答する日々でありたいと思います。

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