会いたいと言われたら・・・

こんばんは!高尾です(^^♪

先日、初めてこられたクライアントさんから、とても素敵な物語を聴かせていただきました。もちろん、どんなに素敵な物語の中にあったとしても、大切な方を亡くされたかなしみで溢れたこころでは、素敵が素敵であることを感じることができなくても当たり前だと思います。今はまだまだ・・・それでいいのです。
でもいつか、その素敵な物語の主人公が、ご自分とその大切なパートナーだということに気づけたとしたら、どんなにか救われることでしょうか。その日が来るまで、私は静かに伴走させていただこうと思います。

そして、こんな私も、時には誰かに話を聴いてもらいたいと思うことがあるのです。でも、どんなにSOSを出しても、どんなに願っても、それが叶うことは、残念ながらなかなかありません。
「忙しい」「時間がない」。誰だって同じです。誰だって『忙』しくって、心を亡くすことはあるのです。でも、「いつか時間ができたら」の「いつか」は、いつまでも続くものではありません。時間は、何もしなければ、ただどんどん流れていってしまいます。24時間のうちのたった1時間、1週間のうちのたった1時間、1ヶ月のうちのたった1時間。そのたった1時間で救われる人がいるのだとしたら、その1時間はただ流れていくだけの時間ではなく、かけがえのない時間へと変貌するのです。

先日、SOSを出し続けていたのに、周りが手をこまねいている間に喪われてしまったいのちがあることをお伝えしました。もしかしたら彼女は伝えることを諦めてしまったのかもしれません。諦めるとは明らかにすることです。彼女の中で、何かが明らかになってしまったのかもしれません。
自分のために誰かが時間を作ってくれる。話を聴いてくれる。救ってくれる。でも、それを拒否され続けると、自分はひょっとしたら、そんなかけがえのない時間を作ってもらうに値する人間ではないのかもしれない。ひいては、その思いが、生きている意味さえも見失うほどに彼女を追い詰めてしまったのかもしれません。

どうか、どなたかに「会いたい」「話がしたい」と切望されたら、30分でも構わないので時間を作って差し上げてください。大切なのは、時間の長さではなく、自分に会いたいと、話を聴いてもらいたいと、そう願ってくれているその人の存在に感謝し、その気持ちになんとか応えようとする「思い」なのですから。
少なくとも、私はそうありたいと願いながら生きてきました。前後の予定を15分ずつでもずらしていけば、そこには30分という、かけがえのない時間が生まれるのです(*^_^*)
コロナ渦の今であっても、電話やメール、LINE、zoomなど、ありがたいことに様々な手段があるのですから、なんでもあり!で、とにかくスルーせずに、その方のために、時間を作って差し上げてください。

つたえるべき「今」は、いつまでも待ってはくれない
「がんばりすぎたきみ。きょうは、うんと休みすぎようね」。より)

ただ時間に流されて忙しいを言い訳にしていたら、その大切な人はもう、この世にはいないかもしれない、、、ということを私は今、痛感しています。

自分のために、頑張って時間を作ってくれる誰かがいる。なんて素敵なことでしょう(*˘︶˘*).。.:*♡
もうそれだけで、悩みの半分くらいは吹っ飛ぶってもんです(^_^)v

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