命日

こんばんは!高尾です(^^♪

茹だるような暑さとは、ここ数日のような暑さのことをいうのでしょうね(。>﹏<。)
駅までの10分ほどの距離で、すでにもう汗だくで、身体中から湯気が立ちのぼっているかのようです💦💦💦
NHKのニュースでは「命にかかわる危険な暑さです。不要不急の外出はしないでください。」と呼びかけています。どこまでが「不要不急」なのかは置いておいても、用事があっても外出したくない程の熱気です。

今日は私の父の命日です。
亡くなる前年に脳梗塞で倒れ、さっきまで元気だった人が、あっという間に要介護5の、一人では何一つできない状態になってしまいました。
3日もつかどうかと言われた命は、なんとか息を吹き返し、しかし、一生寝たきりの植物状態の可能性が高いと言われました。脳の画像を見ても、それは明らかでした。でも、どうしても諦めきれなかった私は、近くに新しくできたリハビリ病院に頼み込んで転院させてもらいました。そこから奇跡の回復が始まったのです。

朝から晩までスパルタ・リハビリが続けられ、まるで幼児がひとつずつなにかができるようになるのと同じように、朝できなかったことが夕方にはできるようになり、、、という日々が続きました。もう二度と口からご飯は食べられない、できれば胃瘻にしたほうが介護は楽ですよ、とまで言われていた父が、右手でお箸を持って、普通に口から食事ができるまでに、そして車椅子に乗るのさえ無理だと言われていたのに、杖をついて歩けるまでに回復したのです。どれだけ頑張ったことか!!ここまで根性のある父だとは思ってもいませんでした。
ただ、失語症だけは、言語療法士がいない為にどうすることもできず、倒れて以来、父と会話を交わすことは二度とありませんでした。

転勤族だった父について、私は松山道後で生まれた後、箕面(大阪府)→宝塚→東京→宝塚→東京→横浜と、成人するまでに転々として過ごしました。小中高と過ごした宝塚が故郷だと思ってはいますが、それでも随分と寂しい思いや、悔しい思いをしました。だから、子どもたちにはこの思いはさせたくないと、ずっとこの地に住み続けています。

父は結局、誤嚥性肺炎で、9年前の夏に亡くなりました。言葉の意味がわからないと思われていた父ではありますが、最後まで耳は聞こえているからね、話しかけてあげてね、と看護師さんに言われて、最期の日は枕元でずっと話しかけていました。呼吸が不規則になってきた時、思わず「ちゃんと息吐かないと、このまま死んじゃうよ!」と出てしまった言葉に、父はニタっと笑ってくれたのです。

あまり父と仲の良くなかった私ですが、最期の日、二人でゆっくりと過ごせた時間が、今でもこころの中に焼き付いています。
無口で穏やかで、1度も声を荒らげたことのない父の、静かで穏やかな最期でした。

暑い最中でしたが、雨男の父らしく、葬儀の日はちょっと肌寒いほどの雨模様でした。涙雨に見送られての旅立ちでした。

この暑さの中、お墓のお掃除+お墓参りはどうなのでしょう?
これは「不要不急」なのかどうか微妙ですが、仕事もあるので、日曜日まで待っていてもらおうと思います。

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