小箱の蓋が開いたとき・・・

こんばんは、高尾です。

学生時代からの友人が亡くなりました。
ここでも何度か登場してきたギタアン(ギターアンサンブル)というクラブで、4年間親きょうだいよりも長い時間をともに過ごした大切な仲間でした。
年に1度の公演に向けて、地味で地道でただひたすら音楽とともにあった4年間でした。同じ大学の、華やかで優雅な女子大生ライフを謳歌している人たちからは、遠く隔たった4年間でした。でも、とても大きなものが残りました。それでも、そのかけがえのない大きなもの、、、に気づいたのは、卒業してからずいぶんと長い年月が過ぎてからでした。
でも、自分のことでいっぱいいっぱいの日常を過ごしていると、その大切なものを時に見失ってしまうことがあるのです。
友人が厳しい病を患っていることを知らされていたにもかかわらず、3年ほど前に会って以来、「またいつか会おうね!」と言い合っていたにもかかわらず、2度と会うことが叶わないところに彼女は逝ってしまいました。

このコロナの時代、現実的には会うことは叶わなかったと思います。でもでもでも、、、生きている彼女に伝えたかったことがたくさんあった、ということが今、とっても苦しくてつらいのです。いのちのともしびが消えかかっている彼女にできることはなにもなかったかもしれないけれども、でも、出逢えたことに「ありがとう」と伝えることや、ただただひたすらに祈ることはできたのです。
でも、それすらも叶わないまま、彼女は逝ってしまいました。
ギタアンのメンバーに、短いメッセージを遺して・・・

昨年の玉置妙憂さんの講演会で、「人はみな、スピリチュアルという小さな箱を持って生まれてきている。それは普段意識されることもなく、無意識の世界で蓋が閉められたまま静かに佇んでいる。しかしなにかのきっかけで、例えば、大病をしてしまったり、友人が重い病に罹ってしまったり、大きな災害=地震や土砂くずれ、感染病などによって死が身近になってしまうと、その小さな箱の蓋がパカッと開いてしまう。これこそが『スピリチュアルペイン』と呼ばれるものである。」というお話がありました。
友人が重い病に罹ってしまったと知った時にも、大きな衝撃が走りました。でも、懸命に治療を続けている様子を知るにつれ、どこかで、彼女に限って絶対に死なない、今まで誰よりも真面目に誠実に懸命に生きてきた彼女が死ぬわけがない、と思い込んでいたように感じています。
1度はちらつきかけていたいのちの限りが、いつの間にか、いつまでも続くような気がしてきてしまっていたのです。いつか・・・が永遠だと思いこんでしまっていたのです。
自分のいのちにも、確実に終わりが来ることを突きつけられました。そして、本当に大切にしなければならないものがなんであるかにも気づかされました。

いま、私が抱えている痛みは、まさしくスピリチュアルペイン。
ともにいい歳を重ねて、みんなで元気に還暦を迎えようね!と、当たり前のように語り合っていたことが、本当は当たり前なことなんかではなく、奇跡の積み重ねなのだということを思い知りました。
今まで感じたこともないほどの喪失感や後悔、この現実に対する怒り、なにを伝えたくても彼女はもうこの世にはいない、という理不尽さ、もう1度声を聞きたい、話をしたい、という叶わぬ願い。
自分が体験して初めて、このなんとも言い難いかなしみとともに、どう自分は生きていけばいいのだろうか?と自問自答を繰り返す日々です。

私もグリーフケアを受けたい、この気持ちを話したい、聴いてもらいたい。。。

その思いを引き受けてくれているのが、ここ湘南の地です。
海を眺め、山に登り、薪を焚べ、鳥のさえずりを聞く日々。この世に生かされている限り、この世を去る時がいつかは来る。皮肉にも、我々仲間の中で最年少だった彼女が先頭を切って教えてくれたこと。もっと生きたかっただろうに、もっとやりたいことがあっただろうに、それでも現実を受け容れながら、誰にも告げずに、ご家族のみに見送られて神様のもとに旅立った彼女の生き様、死に様をこころに刻んで、私のグリーフワークをすすめていきたいと思います。
ご冥福をこころよりお祈りいたします。

地の力は偉大です。
皆さまにも味わっていただける日が1日も早く訪れるよう、かなしみの中ではありますが、準備を進めております。

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