情も深すぎると・・・

こんばんは!高尾です(^^♪

2月とは思えないような、暖かく穏やかな1日でした。

昨日はケアとケアの間に時間があったので、その間にクリニックに出勤し、患者さんへお薬や処方箋を送る作業を済ませました。それでも少し時間があったので、誘惑に負けて・・・行ってしまいました(-_-;)

本を読みながら、とろけるようなわらび餅をいただきました。きな粉が香ばしくて、その味わいを際立たせています(๑´ڡ`๑)

次回は、季節限定のコレにチャレンジしてみようと思います\(^o^)/

 

 

気持ちがちょっとざわついたり、波打ったりする時は、目にも美味しい「おやつ」が、私には1番効きます。ひとそれぞれ、そういう効果バツグンのなにかを効果的に活用したいものです。
というのは、単なる言い訳^^; ただ単にスイーツ好きな私の、贅沢な時間でした((*˘︶˘*).。.:*♡

四十九日の意味を、今日義母の法要で訪ねたお寺さんのご住職が、お話ししてくださいました。この49日間は、亡くなった方があの世へ旅立つための準備期間だそうです。毎日お線香を立ててお祈りしていたので、おそらくは、無事に極楽往生が叶ったのではないかと思っています。

そこでひとつ興味深いお話を伺うことができました。
「愛情も深すぎると、愛着となり、執着となる」そうです。だからこそ、手放すことも大事。そうすることで、執着することなく、亡くなった人が安心して極楽浄土へと旅立っていくことができるそうです。

なるほど、そういう考え方もあるのだな・・・と。。。
それは、「忘れましょう」ということでもなく、「嫌いになりましょう」ということでもありません。ただ、愛する方が亡くなったこと、この世ではもう2度と会えないことを受け容れ、愛情に片をつけて、きちんと自分の中のどこかの引き出しに片付けることだと思うのです。それは、開けっ放しでもなく、鍵をかけてしまうのでもなく、開けたいときにはいつでも自由に開けることのできる引き出しです。その引き出しに片付けられたことを確認することによって、亡き人は安心して、あの世から見守ることができるのかもしれません。

必要以上の情が残っていると、それは執着心と化し、「あの時もっと〜〜できたのに」→「できたはずなのに」→「できたに違いない」となり、できなかった自分を責め続けることになってしまいます。それはあまりにも苦しい。。。なぜなら、過去をやり直すことはできないからです。でも、起きてしまった出来事を変えることはできませんが、捉え方を変えることはできます。できなかったことへの執着心を手放すと、「できなかったこと」よりも、「にもかかわらずできたこと」へと目先が向いていき、できる限りのことをその都度判断しながらやってきたことに気づけると思います。

自分が自分らしく笑顔で生きていくに必要な分だけの愛情を携え、それ以上のものは形を変え、場所を変えて、あるべき場所にあるべき姿で片付ける。グリーフワークの中でも、とても大切なプロセスだと捉えています。考え方の癖を変えることは決して簡単ではありませんが、ひとりではなくケア師がご一緒ですから、安心して臨んでいただければと思います(*^^*)

昨日、冷凍の鶏が丸々一羽分届き・・・

この人の手にかかり、こんなふうになりました!

ごちそうさまでした!

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