死ぬかもしれないと思った瞬間

こんばんは!高尾です(^^♪

何日かは凍えるような寒さでしたが、また穏やかで暖かい日が続きますね。
日中は暖房をつけることもなく、おひさまから降り注ぐ陽射しだけでポカポカの我家です(*^^*)

 

さて先日、一瞬「このまま死んでしまうかも・・・」という体験をいたしました。
リビングのソファーの上に立ってとある作業をしていた際に、足元のバランスを崩し、そのまま頭から床に落下いたしました。手をつく間もなく、頭をフローリングの床にしたたか強打し、脳内がシャッフルされるような感覚を覚えました。
家人を呼び状況を説明しようにも意識が遠のき呂律が回らず、「あ〜、このまま死んでしまうのかなぁ。私の人生これでおしまいなのかなぁ。まだ、もう少し生きたかったなぁ」などという思いが、ズキズキする頭の中を走り抜けました。
結局救急搬送され、頭と腕と腰のCTを撮ってもらい、とりあえずは異常なしとの診断を受け、ホッとして帰宅いたしました。
ただ、頭を強打しているので、しばらくは私自身も家族もしっかりと経過観察をすること、ということで帰されました。

今まで頭をぶつけたことはあったものの、頭から落下して床に打ち付けるという経験はなかったので、あまりのことに気が動転してしまいました。恐らくは、脳震盪を起こしていたので意識が飛び呂律が回らなかったのだと思いますが、ひょっとしてこのまま死んでしまうのかなぁ、、、と思った瞬間、「まだまだやり残したことあるし、このまま死にたくない!!」と強く願いました。
ずっと抱えていた迷いが吹っ飛んだ気がしました。『やらないで後悔するよりも、やって後悔するほうがいい』とか『死ぬ瞬間に後悔するような人生は送りたくない』とかよく言いますが、その思いを身をもって実感できたわけです。

私はどちらかというとやらないでウジウジと後悔する質なので、神様が一撃を食らわされたのかもしれません。と思うことにしました^^;
やってみないとわからないことを、やらない内から無理だの無茶だの憂うよりも、人生が破滅しない程度にチャレンジすることが、私の残された人生に求められているのではないかと、いまだズキズキする頭の中で感じ始めています。

グリーフケア研究所に通ったことの意味、大学院で死生学を学んだことの意味、親を最悪の形(私の中では)で亡くしたことの意味、院長のご厚意で「グリーフケア専門外来」を開業したことの意味。。。
これらの意味と真摯に向き合い、本当に人生なにが起こるかわからない中において確実に生きている今、その意味を形にして必要とされている方に届けていくことのできる人生にしたいと思った次第です。
痛みから学ぶこと、気づくこと、人生終わるかと思った瞬間に迷いが吹っ飛ぶことって本当にあるんだな、、、という年頭の痛い痛い体験でした。

 

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