神話「ナルキッソス」

こんばんは!高尾です(^^♪

遠距離通勤中、周りの人々を見ていて思います。どうしてそこまでしてスマホを見なければ、見続けなければならないのかと・・・
多くの人がスマホ片手に、スマホに見入ったまま、あっちフラフラ、こっちフラフラ………亀の歩みになってます(-_-;)
降りる駅に着いてもギリギリまでスマホを見ていて、乗り込んだ人を押し分けるようにして降りていく姿も当たり前の光景となってきました。
スマホを見るために、みんながカバンを肩にかけるから、肘を曲げるから、ただでさえ混んでいる車内はカバンやら肘やらなんやらで、ひしめき合う結果になっています💦

もちろん、スマホは覗くだけのものではなく、自撮りや動画を撮りまくり、「どう?見て!見て!!」とばかりに配信する凶器ともなります。

これはもう、自己愛型SNS症候群かもしれません(。>﹏<。)

人に迷惑をかけるだけならまだしも、この依存症は人を死に追いやることさえもあるのです。
CNNが発表したところでは、この6年間に259人もの人が、「凄い👏」と言ってもらいたいがための危険な自撮り行為のために、命を落としているそうです。

青年ナルキッソスが、水に写った自分の姿に恋をして、やつれ死んだという神話があります。
自己愛が強すぎたがゆえに、自分を愛し過ぎて命を落としてしまった彼は、予言者テイレシアスの予言通り、自分自身を知らなければ長生きできたのかもしれません。(10/08 毎日新聞「余録」より)

周りにいませんか?1日に何回も何回もFBでメッセージを発信してくる人。。。
「今、ここにいます」「今、これを食べています」「今日、髪を切りました」「若い頃の私です」「こうこう、こう思います」などなど・・・
それを毎日毎日繰り返しながら、なんとか自分の自尊心を保っているように思えます。
最初の頃は、頻繁に送られてくるそれらのメッセージに「いいね!」をしたり、「素敵ですね」「美味しそうですね」「今度の髪型も似合いますね」「若い頃と全然変わりませんね」「感動しました」などなど返していましたが、段々とメッセージを知らせるブルブルに怯え始めてきたりします。

ある人の「FBの友だちが、◯◯さんしかいないみたいな状況になってきてしまった💦」というセリフに吹き出してしまいました。

自己愛型SNS症候群・・・
「私を見て!」「私って素敵でしょ?」「私、凄くない!?」
と、いつもいつも周りに確認せずにはおられない、凄いね、って言ってもらえないと不安でしかたがない、そして、人からの賞賛の中で「自分大好き」な人間が、爆進していく姿を目の当たりにすることが何度もあります。
ちょっと怖い依存症です。
自分に自信がないからでしょうか・・・
「そんなにはすごくない自分」とか「そのまんまの自分」を受け容れてくれるような人間関係が築けなかったからでしょうか・・・(実は、私がそうだったのです。。。)
本当に凄い人、本当に素敵な人、本当に素晴らしい人、、、は、
自分で必死に発信せずとも、周りの人にはわかります。
本当に美しい人は、とても謙虚です。
そして、そこに存在しているだけで、なにかが伝わってきます。

昔は固定電話か公衆電話しかなかったから、本当に必要な時に、本当に必要なことを伝える手段でした。それでも、「今、かけても大丈夫かしら?」と相手を思いやりながら、受話器を取ったものです。
今は、電車の中だろうが、授業中だろうが、仕事中だろうが、ところかまわずブルブル振動しまくっています。

せっかくの素敵な風景も、美味しいご馳走も、発信することに熱中してしまい、いま、ここ、の空気感や、幸せ感を掴みそこねているように思います。
便利なものに、本当に大切なものを吸い取られてしまっているように感じます。

本当に大切な思いは、しっかりと直接届けたいものです。
目を見て、同じ空気を吸って、同じ土俵で、伝え合いたいものです。

ナルキッソスは自分自身を知って死んでしまいましたが、若者たちには「自分自身を知って、長生きして欲しい」と「余録」の最後は締めくくられています。

自己愛型SNS症候群・・・
治療法は、、、自分自身を知って、そのありのままの自分を、少しずつ少しずつ受け容れていくしかないように思います。
本当の自己愛とは、どんな自分をも受け容れることのできる、深くて強い愛だと思っています。

 

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