こんばんは!高尾です(^^♪
昨日今日と、朝のあのキーンとした冷たい寒さがずいぶん緩んだような気がします。ベランダで洗濯物を干していると、どこからか春の香りが漂ってくるのを感じました。
あっという間に2月ももうすぐ終わります。今年の厳しく寒い冬も、もうすぐ終わりますね。
先日、NHKで「ぼくは しんだ じぶんで しんだ 谷川俊太郎と死の絵本」という特集が放映されました。
2022年1月31日に発行された「ぼく」という絵本。2年もの歳月をかけて、詩人谷川俊太郎氏が「自死」というテーマに向かい、新進気鋭のイラストレーター合田里美さんとともに、渾身の思いを込めて言葉をつむいだ絵本です。
(*1)
生は自分一人だけのかけがえのない現実、
死もそれを断ち切ることは出来ない
谷川俊太郎
(*2)
人の孤独は「人間社会内孤独」と「自然宇宙内孤独」が意識するしないにかかわらず、ダイナミックに重なり合っていると私は考えているので、友達や家族の中で生きる「ぼく」が自分を含めた自然に生き、ひいては限りない宇宙の中でも生きているのだということを絵本の中で暗示したいのです。
(*3)
例えば「ぼく」がひとりで寝転がってスノードームを胸の上に置いて見つめているとか。その場面で「ぼく」が死んだ理由が人間関係だけにあったのではないと読者に感じさせたい。
(*4)
意味よりも大事なものは、何か存在するってこと。意味付けしないで、じっと見つめる。意味を見つけたら満足しちゃう。そうじゃないものを作りたいとは思っています。
手にとって読んでみると、ただただ苦しさが押し寄せてきます。パリン、と音がするくらい、胸の中で何かが割れて砕け散るような痛みが走ります。
Be-ing設立時に立て続けに来られた、自死でお子さまを亡くされたお父様お母様との長きにわたるグリーフカウンセリングの際の、あの息もできないくらい苦しくて悲しくて、それでも愛情に溢れて温かかった日々が蘇ってきます。
以前のブログ「竹取物語の世界観」でも触れましたが、大切な方を亡くされて、それでもこの世で生きていかなければならなくて、その悲しみや苦しみの中から紡ぎ出された、切なくも温かい物語とどこか似ているように感じられてしかたがないのです。
限りない宇宙の中で生かされているからこそ、目に見えるもの耳に聴こえるものだけの世界ではなく、もっと大いなる世界の存在にも心を寄せていかなければならないのだと思います。そのことに気づかされると、自死の意味合いも変わってくるという様を、ご遺族のその紡ぎ出された言葉から、まざまざと見せつけられた思いのする貴重な経験をさせていただくことができました。
かけがいのないその人の人生。どのような終わり方であったとしても、その場面だけを切り取って、その人生を評価することなどできないのです。その人の人生は、尊厳あるたった一つの人生。そのかけがえのない人生は、広く果てしないこの宇宙(うちゅうはおおきすぎる)のどこかで生き続け、死の瞬間をもっても断ち切ることはできない(じかんはおわらない)、、、ということだとしたら、この死の絵本は、ただただ苦しいだけではなく、いつの日か温かいものを運んできてくれるのではないかと思うのです。
(*5)
死を重々しく考えたくない、かと言って軽々しく考えたくもない、というのが私の立場です。死をめぐる哲学的な言葉、死をめぐる宗教的な言葉、果ては死をめぐる商業的な言葉までが反乱している現代日本の中で、死をめぐる文と絵による絵本はどんな形でなら成立するのか、この野心的な企画はそれ自体で、より深く死を見つめることで、より良く生きる道を探る試みです。谷川俊太郎
おこがましくはありますが、この谷川氏の思いは、私が苦しみながら書き上げた修論のテーマに通ずるものがあり、何度も何度も読み返しています。Be-ingが大切にしている絵本とグリーフケアの関係性にもつながる貴重な1冊としてご紹介いたしましたが、グリーフのさなかにおられる方は、まだ表紙を開かない方がいいかもしれません。ご自分がご自分の言葉で語り出すエネルギーを得ることができた時に、手にとってみてください。
引用資料:
*1~4 絵本写真:岩崎書店https://www.youtube.com/watch?v=aoYiG0rxvec より抜粋
*1~4 メッセージ:ETV特集「ぼくは しんだ じぶんで しんだ 谷川俊太郎と死の絵本」より抜粋
*5 メッセージ:谷川俊太郎作/合田里美絵「ぼく」岩崎書店 より抜粋