どう死ぬかというメッセージを伝える「死を生きた人びと」小堀歐一郎著

こんにちは!高尾です(^^♪

今日は「暮らしのグリーフサポートみなと」の死別カフェで、ファシリテーターをしてまいりました。
間違いなく、誰一人例外なく迎える「死」というものを深く考えさせられる時間でもありました。

先日、NHKドキュメンタリーで「在宅死 “死に際の医療”200日の記録」が放映されました。母校の英文科で教鞭を取られていた小堀先生のご主人様である、小堀歐一郎Dr.のドキュメンタリーだということで拝見しました。
テーマはとても重いものですが、先生のお人柄なのでしょうか、、、釘付けになって魅入ってしまいました。

小堀Dr.は森鷗外の孫にあたり、東京大学医学部付属病院第一外科、国立国際医療研究センターに外科医として約40年間勤務されました。定年退職後、埼玉県新座市の堀ノ内病院に赴任された現在は、軽自動車を乗り回し、患者さんの家を一軒一軒まわる訪問診療医となられ、自宅で最期を迎えたいという人を診ておられます。355人の看取りに関わり、うち271人が在宅看取りだったそうです。8割が病院で死を迎える現状からすると、驚異的な数字だと言われています。

ドキュメンタリーでは、末期の肺癌の父親を介護する全盲のお嬢様、そして、順序が逆ならよかったんだけど、と娘の介護をするお母様の日々の暮らしぶりが映し出されていました。
いっさい管に繋がれることなく、家族と共に「痛みを取る」だけの治療を受けながら、自分のベッドで眠り、食べられるものを食べたい時にだけ食べ、伝えたいことを伝え、お喋りをし、そして、大好きな人たちに見守られながら亡くなっていく姿からは、死のイメージからかけ離れた、清々しささえ感じられました。
そして、それぞれの穏やかな死様、そして死顔は、遺された人びとにとって1番の、生きる糧となるのではないでしょうか。。。

勿論、自宅で最期を迎えるには、超えなければならない壁はたくさんあります。でも、このような死を迎える=最期まで自分らしく生ききる、ことができたならば、「死」という悲しい別れも、昇華されていくように思えました。

その小堀Dr.が書かれた書籍が「死を生きた人びと」です。

『戸口に死がやってきたとき、住み慣れた我が家で死と対面した。医師はその間、死にゆく人の置かれている状況を、つぶさに見ていた』

『極めてプライベートな報告であるにもかかわらず、いっさいの情緒をいれず、「私的」な要素がきちんと拭い取ってある。』

『その上で当人に代わり、どう生きたいのか、つまりどう死ぬか、メッセージが明瞭に伝えてある。』

『死にゆく人への深いやさしみと共感だ。勇気をもって死と向き合った人への敬意である。未知の世界で見つけた人間性の奥深さ。』

『その看取りが患者にとって、死という不安な未知への旅立ちに、どんなにか勇気を与えてくれたことだろう。』

『』内、6/17 毎日新聞朝刊 書評より

死が戸口に立った時、予期悲嘆が始まります。
その時から始めることが大切だと言われている、グリーフケア♡
緩和ケア病棟にグリーフケア師が入れるのが理想的ですが、病院側は私たちの介入をなかなか快く思ってはくれません。点数が取れないからです(。>﹏<。)

必要とされている方の傍らに、居られることのできる日が来ることを、願ってやみません。

 

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