山に祈る

こんばんは、高尾です。

忘れもしない1985年8月12日、日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落しました。

最初にニュースが流れた時は、520人もの方が犠牲になられたことに驚きはしましたが、それはまだ「3人称の死」でした。
しかし、搭乗者名簿が画面に流れた瞬間、それは「2人称の死」に変わったのです。
中学から大学まで一緒だった同級生の名前が、目に飛び込んできたのです。
そして、後輩が2人。そのうちの一人は、同級生の妹さんでした。

1985年。大学を卒業した年の夏でした。
社会人になって初めての夏。まだまだこれから、楽しいことがたくさん待ち受けている、はず、、、の年頃でした。

「死」は、まだまだ先のことだと思っていました。この歳で亡くなることがあるなど、夢にも思っていませんでした。
でも、本当は今日1日無事に過ごせたことが奇跡であって、その奇跡の連続が人生なのかもしれない、、、と、初めて思い知らされる、重い重い出来事でした。

「愛が深ければ深いほど、喪失の悲しみも果てしなく深いものだ」
(8/12 毎日新聞 萩尾 信也記者)

それでも御遺族の方々は、かなしみを胸に、彼らを決して忘れることなく、そして事故を語り継ぐことによって、亡き方をこころの中に抱きながら、生き続けてこられたのだと思います。

先日、9歳のご次男を初めての一人旅に出し、この事故で亡くされた、
「8.12 連絡会」事務局長の美谷島さんにお目にかかりました。
友人のことを懐かしくお話しする内、声が震えてきてしまいました。「こうやって、あなた方が彼女のことを忘れずにいてくれることが、1番なのよ」と、優しい眼差しで語りかけてくださいました。

あの夏、まだまだ新入社員だったので、1日だけ夏休みをもらい、伊丹まで日帰りで葬儀に参列させていただきました。元気で生きている私たちが、大勢でご両親の前に顔を出していいのだろうか、、、とずいぶん悩みましたが、どうしてもお別れがしたかったのです。頭の上を鶴のマークの飛行機が飛び交う中でのご葬儀でした。暑いはずなのに、暑さも感じず、ただ、足の裏が靴を履いていても、熱くて熱くて・・・その感覚を今でもはっきりと覚えています。

あれから33年がたちました。でも、この12日が来るたびに、まるで昨日の出来事のように鮮明に、あの時の衝撃が蘇ります。

「忘れないこと」

毎年集まる同窓会は、全員でお祈りを捧げてから始まります。
彼女は、一人だけ22歳のまま、ずっと私たちの中で生き続けているのです。

それでもやっぱり、かなしみは消えません。

520人の魂と、御遺族の方々の思いが、御巣鷹山で巡り会えることを、山に祈りたいと思います。

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