「致死率100%」を生き抜く

こんばんは!高尾です(^^♪

例年よりも早く、桜が満開になりました🌸🌸🌸
    
   
   🌸ミッドタウンの桜並木です🌸

近所の小学校では、春休みで誰もいない校庭に咲き誇り、ちょっともったいような気もしています。一昔前には入学式の頃に満開を迎え、ランドセルを背負って、桜の木の前で記念写真を撮る親子がたくさんいたように思います。

さて今日は、昨年末に基礎講座を受けたアロマ教室の「緩和ケア アロマ実技講座」の第2回目の授業を受けてきました。
2週間前に第1回目の授業があり、その日は座学とハンドトリートメントの実技でした。
そして今日は、座学と足のトリートメントを教えていただきました。
日赤の緩和ケア病棟で17年間もの間、終末期の患者さんにアロマトリートメントをされてこられた先生の施術は、心がこもっていて本当に気持ちがよく、何度も眠ってしまいそうになりました。
そして、その時に感じたことは、施術者の「今、この時の気持ち」がそのまま、手の温もりとして伝わってくるということでした。
ケアをさせていただく立場の人の心の有り様が、とても大切だということを、実際にトリートメントを受けてみて学ぶことができました。
心を落ち着かせて、「今、この時」に気持ちを集中させること。呼吸法を取り入れたマインドフルネスで、ケアに向けて心をチェンジすること。
その心構えが、患者さんにとってかけがえのない、心癒される時間に繋がっていくのだと思います。

私たちは、誰一人例外なく「致死率100%」のいきものです。
そう考えると、たとえ目の前にいらっしゃる患者さんが余命幾ばくもないとしても、自分だっていつかは死を迎えるわけだし、ひょっとしたら、その日の帰りに事故か何かで、患者さんよりも早く天に召されるかもしれないわけで、全く同じ土俵に立つ者同士の関係であることがわかります。
だから、可哀想な存在でも、弱い存在でもなく、いつかは死んでいく「致死率100%同士」として、向き合うことになります。
その時に、じゃあ自分はどう死んでいきたいのか?だからこそ、どう生きたいのか??という「死生観」が問われるのです。

グリーフケア研究所で、嫌というほど語らされた「生育歴」と「死生観」
自分の根っこと、幹と、枝葉。。。何に支えられ、何を軸として、どんな出来事や人々と繋がり、どのように生きてきたのか、そして今を生き、これからどう生きていくのか。
それらのことを掘り下げることによって見えてくる、自分の「死生観」。
それが見えてこないと、実際に死を直前にして最期の日々を送っておられる患者さんと、同じ土俵に立たせていただくことはできない、、、ということです。

健常者と終末期の患者さんと、お相手の方の持つ生命力によって、トリートメントの手技も変わってきます。
それは、目的が違うからです。
今のところの健常者の目的は、例えば痩身であったり、肩こりや腰痛の補完療法であったりしますが、終末期の患者さんの目的は、少しでも痛みを忘れる時間であったり、むくみが取れることによって少しでも楽になったり、そのことによって少しでも深い睡眠が取れたり、、、といった癒やしの時間を過ごしていただくことが目的となります。
そのことを忘れず、決して自分本位にならず、心を込めて、手当てさせていただける日がくるように、練習に励みたいと思います。

そして、カフェに来てくださるクライアントさんにも、少しでもこころの痛みが和らぐような時間を過ごしていただけるよう、ご希望の方にはトリートメントをさせていただきたいと思っております(*^_^*)

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