絵本と対話のワークショップ

こんばんは!高尾です(^^♪

三寒四温とは言いますが、明日は20℃近くまで上がって、日曜日には2月ごろの気候に戻るそうです😅
冬服を仕舞わないでください!と天気予報で言っていましたが、そういえば、昨年の秋には夏服がなかなか片付けられませんでした。
そのうち、夏と冬の二季になってしまいそうな勢いですが、それでも春の匂いがしてくるのは嬉しいものです🌸

さて、今月29日(土)の午後のひととき、「絵本と対話のワークショップ」にいらっしゃいませんか?

どんな絵本か?は当日のお楽しみとさせていただきますが、以前「絵本の花束」でもご紹介したことのある、う〜〜んと唸ってしまう逸品です。
『対話集団ごはんとみそ汁』の、朗読のプロでもある松崎先生と対話を引き出すマジシャンのような浅野さんによる「おとなと本、わたしと対話」をテーマとするワークショップです。

おとなになってから、誰かに絵本を読み聞かせてもらう機会はあまりなかったのではないでしょうか。文字を目で追わなくていい分、ゆったりと絵を眺めたり、耳から入ってくるここちよい言葉の響きやリズムに感じ入ったり、おとなの読み聞かせにはおとなの楽しみ方があると思います。
そこに、とろけるジェラートとキャンドルがいい脇役として登場するわけです。ジェラートでこころのわだかまりをとかし、キャンドルの炎に薪をくべるように言葉を置いていく。

絵本と対話とジェラートとキャンドル

気忙しい日常から少し離れ、気持ちがとろけてほどけていくここちよさを感じていただけますように・・・
そのきっかけ作りとなれたら嬉しいです(^^)/

三月十一日を語る会

こんばんは。高尾です。

本日、予想を遥かに超える方々に集まっていただき、予定よりも狭くなってしまった「絵本deカフェ&綴り処」のお部屋で、『三月十一日を語る会』が開催されました。通りすがりの方にもご参加いただき、大変嬉しく思っております。

「今、話したいこと」を言葉にする側、そしてその言葉にじっと耳を傾ける側の思いが優しく溶け合い響き合って、とてもあたたかな空間となりました。
大きなテーブルの真中にキャンドルを灯し、ドリンクやジェラートを手に取りながら、思い思いのものがたりが語られました。
チェックインとチェックアウトは、民族楽器の生演奏を聴きながら・・・というとても贅沢なもので、その演奏は鳥が飛び立つような力強さだったり、皆で手を取り合って踊るような軽快さであったりと、こころに深く残るものとなりました。

地震が発生した14時46分には、ものがたりを一旦中断して静かに黙祷の時間を持ちました。なにも考えず、あの日星になって空にのぼっていったたくさんの魂と、それを見上げる遺された方々の14年間を思い、ただただ手を合わせることしかできませんでした。

この日を忘れないこと。この日に起こったことを忘れないこと。この日を境に、当たり前のように続くと信じていた日常が突然奪われてしまった人々が、今も懸命に生きておられることを忘れないこと。そして、それがいつ自分に降り掛かってきてもおかしくはないという緊張感を忘れないこと。

大自然の前では、我々人間には手の施しようもないことが起きてしまいます。ならば、このちっぽけな自分は、どんな「今」と「これから」と向き合っていけばよいのか。こたえはそれぞれ違って当たり前だし、すぐには出ないかもしれないし、ひょっとしたら出ないのかもしれません。
出ないかもしれない問いと向き合うことはとてもエネルギーが必要だけれども、こたえが出る出ないではなく、そのことと向き合う時間や過程が大切なんだなー、、、ということを考えさせられた午後のひとときでした。

松崎先生は、「自分が死ぬまでこの会は続ける」と断言されました。
来年は是非、このあたたかな場所にお越しいただけましたら・・・と既に思いは来年へと向かっております。

『三月十一日を語る会』によせて

こんにちは。高尾です。

春の到来を告げるかのようなあたたかい日が続いておりましたが、本日は昨日よりー20℃もの寒暖差のある冷たい雨が降り注いでいます。

あたたかくとも寒くとも、それでも3月11日は今年も当たり前のようにやってきます。
まだまだ苦しくて、息もできないような想いでこの日を迎えられる方々もたくさんいらっしゃると思います。
何かを語っていないと落ち着かない1日になりそうだという方々も、あちらこちらにおられるかもしれません。

一人称、二人称のグリーフは、時とともにさらに深まり、色や形を変えながらも遺されたご遺族の胸に刻まれ、その人生とともに歩み続けておられることでしょう。

しかし、三人称のグリーフは、ともすると時の流れとともに色が薄くなり、形があやふやになってきてしまうことがあります。
そして、大自然の中で生かされている私たちは、時としてその前では無力となり、どうして神様はこのような理不尽なことを我々に課すのだろうかという、答えの出ない問いと向き合うことになります。

人はみな、スピリチュアリティを携えてこの世に生まれてきます。
このスピリチュアリティとは・・・
・自分はどこからきて、どこへ向かうのか
・自分はなぜこの世に生まれてきたのか
・自分がこの世に生かされている意味とはなんであるのか
・自分には生かされている価値があるのだろうか
・自分はなんのために生きているのだろうか
・自分は死んだらどうなるのだろうか
といったものが考えられます。

とても大切なことではあるけれども、毎日毎日朝から晩までこのようなことを考えながら生き続けることはとてもしんどいです。
そしてなにより、自分にとって1番遠くにある最後の出来事が「死」であり、やっぱりそのことを考えることは、今生きていることが遠くにいってしまいそうな不安や恐怖がつきまとい、とても生きづらくなってしまいます。

だから・・・
普段のなにごともない日常生活ではあまり考えないようにしっかりと蓋を閉め、遠くのこととして捉えられているのです。それが生きる智慧であるのかもしれません。

しかし、望む望まないにかかわらず、このスピリチュアリティをしまい込んだ蓋が、時にパカッと開いてしまうことがあるのです。
以前にもお伝えしましたが、
①自分の死が近いことを知った時
②自分の近しい人の死が近いことを知った時、或いは喪った時
③自然災害や感染症などで、成すすべもなくたくさんの命が喪われた時
そして、いのちに関わることだけではなく、
④自分にとって大切ななにかを失ってしまった時

その中でも特に、今まで1番遠いと信じていた「死」が突然身近に感じられた時、その蓋が突然パカッと開いてしまうのです。

まだその時ではないと思ったら、その蓋をそっと閉めてあげることもひとつの生き方だと思います。
もしも、苦しいけれども自分を生かしてくれている「スピリチュアリティ」と向き合いたいと思ったとしたら、お一人で悩まず、語り合える仲間を頼ってください。
「対話」することによって生まれるあたたかい空気感が、今自分が何を悩み、考え、今後どうしたいのか、どうなりたいのか、というグルグルと頭の中を巡りからまっていた複雑な問題を、仕舞うべき引き出しにひとつずつ整理していってくれます。

『三月十一日を語る会』は、その対話の必要性を長い教員生活において痛感された松崎先生が発案され、震災後毎年この日のその時間において語り合う会となっています。あの日あの時、突然喪われたたくさんのいのち(魂)を想い、遺された方々の辛く長かった日々に想いを馳せながら、会を進めていくことになります。

松崎先生はPCやスマホをお持ちでないので、懐かしい縦書きの手書きチラシとなっています。見辛いかもしれませんので、重要事項のみ転記いたします。

日時   :3月11日(火) 14:00〜
場所   :「街かどグリーフサロン」 鎌倉市雪ノ下1−2−5 テラス雪ノ下1F
参加費  :無料(ワンオーダーお願いします)
主催   :松崎好男
問い合わせ:0467-24-5623(松崎)050-3698-2224(高尾)

それぞれにとっての三月十一日があると思います。対話のきっかけ作りのために、ご自分にとって大切ななにか、例えばこころの支えとなっている書籍であったり絵本であったり、絵画、写真などを持ち寄り、この日に湧き上がってくる思いや言葉を対話に乗せて届けていただければと思います。
あまり難しく考えず、この日をどうやって過ごそうかな、、、と思っている方がおられましたら、お好きなお飲み物ととろけるジェラートとともに、気持ちをほぐし、ほどいていっていただければと思います。
松崎先生が主催される「対話の学校」には何度か参加しましたが、決して小難しいものではなく、初対面ながら皆でお茶を飲みおやつをつまみながら、賑やかに楽しくあっという間に時間が流れていくような会となっています。

もしも、亡くなった方や今どこにおられるかわからない方へ届けたい想いがありましたら、手紙を書いて会場内のポストに入れてください。『手紙寺』へ奉納しお焚き上げしていただきます。
(便箋・封筒・カードのご用意ございます)

特にお申し込みの必要ありませんので、あまり気負わずにふらっと立ち寄っていただければと思います(^^)/