25年

こんばんは!高尾です(^^♪

阪神淡路大震災から25年がたちました。
昨日、毎日新聞に掲載されている記事を読み、涙が込み上げてきました。その女性は不妊治療の末、ようやく授かった双子のお子さんを連れて、お正月にご実家に帰省した際に被災されました。双子のうちのお一人が倒れた箪笥の下敷きになり、亡くなったそうです。
私もちょうどその年、長男と、まだお腹の中にいた次男と共に、宝塚の実家に帰りました。たまたま妊婦健診があったので、震災の2〜3日前にこちらに戻ってきました。ちょうど私と長男が寝ていた場所に、箪笥が2つに割れて吹っ飛んできたと後から聞かされました。母に、あのままあそこで寝ていたら、間違いなくいのちを落としていたよ、と言われた時、体調を崩し、こちらに帰るのを数日先延ばしにしようと思っていたことを思い出しました。

偶然が重なって落とすいのちもあれば、偶然が重なって生かされるいのちもあります。後から思えば、背筋が凍るようなこともあるでしょう。でも、毎日毎日、その時その時に、今こっちに行けば上から何かが落ちてくるかもしれない、とか逆方向に行けば車が突っ込んでくるかもしれない、とか、、、思いながら生活をしているわけではありません。それでも、その瞬間瞬間に様々なことを選択しながら、死の可能性をくぐり抜けながら、無事に生き長らえているのです。

だからこそ、当たり前の、さりげない日々が続くということは、本当は奇跡の連続で、決して当たり前ではなく、すごく幸せなことなのだと思うのです。

グリーフケアに来られる方々は、その当たり前の、さりげない日々の幸せが突然奪われ、その瞬間までとは全く違う世界に投げ出されます。孤独で寂しくて、涙にくれていた真っ暗な日々が、何度も何度もBe-ingで、繰り返し繰り返し物語ることによって、少しずつちょっとずつ色づいてきていることに気づかされます。そういえば、あれもできるようになったな、これもやれそうな気がしてきたな。そんな、「そういえば、、、」レベルのゆっくりペースで、しかもガッツリ意識もせずに。行ったり来たりしながら、それでも確実に。。。それは、その失ってしまったささやかな幸せな日々に「ありがとう」という感謝の気持ちを抱くところから始まるのではないかと思うのです。
側にいる私までもが嬉しくなるような、そんな瞬間は必ずやってくる、と信じながら、今週もクライアントさんと柔らかな気持ちでお話をさせていただきました。

本当にいろんなことが身の回りでは起こります。ようやく新しいお部屋が片付き始め、せっかく新体制になって、「気持ちも新たに頑張るぞ〜」気分だったのに、状況が急変してしまいました(T_T) 場所は新しくなりましたが、スケジュールなどの新体制を旧体制に戻す作業を続けていきます💦

そんなこんなで、「修士論文中間報告」という、とっても面倒な形式の提出物を出すのをすっかり忘れていました(^_^;) 慌てない、慌てない、と言い聞かせながら、この1年の研究経過を振り返りました。目に見えるような成果はないけれども、目には見えない大切ななにかを、確実に自分の中に落とし込めていることを感じます。「大切なものは隠れて見えない」研究って、見えた!と思っても、すぐにどこかに隠れてしまう何かを、探し求め、探し続けることなのかもしれません。
簡単には手に入りそうにないので、まだまだもがき悩む日が続きそうです(T_T)

 

 

12月14日の発表会でいただいた薔薇が、1ヶ月経った今も健気に咲いています。元気をもらえます(^^)

 

 

泣いて笑って・・・いろんなドマが生まれる場所になりそうです。

 

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