ワークショップへのお誘い(*˘︶˘*).。.:*♡

こんばんは!高尾です(^^♪

日に日に秋が深まってまいりました🍁
朝晩と冷え込んでまいりましたので、暖かくしてお過ごしください(^^)

さてさて、2回目のワークショップのお知らせです♡
自分だけのために時間をつかう・・・ここでしか味わえない贅沢
と題しまして、「音あそび・色あそび」を楽しんでいただこうという企画です!

音あそび・・・バリ島から持ち帰ったガムランボールとふわふわファーで、ご自分だけのガムラン・チャームを手作りします♡タッセルや可愛いチャームもご用意しておりますので、お好きなものを組み合わせて、自由にお作りください。
    

色あそび・・・ご自分を、より素敵に見せてくれるパーソナルカラー探しです。”自分色”が見つかったら、その色を使って、大きなコサージュにデコレートを施していきます。バッグにつけてもよし、コートのアクセントにもよし!の素敵なコサージュができあがりますよ!!

女性だけではなく、男性の方も、大切な方へのクリスマスプレゼント🎁にいかがですか?きっと喜ばれますよ(^^)

今回のお土産は、この手作りチャームとコサージュの2点になります(^_^)/

場所は代々木上原のマンションの一室です。
    
ちょっとバリっぽい🌴空間で、日頃の慌ただしさを忘れ、そして、ご自分の五感をゆったりとリラックスさせて、楽しんでいただけたら、、、と願っています。どうぞ、美味しいお茶とお菓子をいただきながら、贅沢な時間をお過ごしください。

今月中にご予約いただいた方には、お好きなファーの色を選んでいただけます。
ネイビー、ピンク、ブラウン、オフホワイト、グレーの中からお選びください。

各回5名様ずつとなります。1部も2部も内容は同じですので、ご都合のいいお時間帯をお選びください。


2018.12.8 ワークショップチラシ(クリックすると画面が大きくなります)

Be-ing主催ではありますが、前回同様、何かを語っていただくワークショップではありません。他愛のないおしゃべりをしながら、或いは黙々と、ご自分の時間をお楽しみください(*^^*)

お目にかかれることを、楽しみにしております(^_^)/

TANGO BAR〜アニバル・トロイロとの出逢い〜

こんばんは!高尾です(^^♪

昨日は訪問グリーフサポートで、クライアントさんの苦しい胸のうちをたくさん聴かせていただきました。
どんな自分でも受け容れてくれるから、なんでも話せる、、、と言っていただき、私は私で、たくさんの人生の智慧を教えていただき、感謝の気持ちでいっぱいです、とお伝えしました。

そして、夜はずいぶん前から楽しみにしていた、TANGOの夕べに🎶
 TANGO BAR エル・チョクロ

伝説のバンドネオン奏者、アニバル・トロイロが実際に愛用していた歴史的バンドネオンで奏でるコンサート!!
第1部では、お孫さんのフランシスコ・トルネ氏を囲んで、アルゼンチンで制作された、トロイロの音楽をめぐるドキュメンタリー映画「ピチューコ」を鑑賞しました。
 これが、トロイロのバンドネオン
ご飯やお酒をいただきながら、彼にまつわる人々の話や、彼自身の素晴らしい演奏の映像を楽しみました(*^^*)

第2部は、そのトロイロのバンドネオンで、日本のバンドネオン奏者小川紀美代さんが演奏してくださいました。
     
まずは「蛇腹隊」と呼ばれる、小川さんのお弟子さんたちが、蛇腹を自由自在に操って、迫力ある演奏を聴かせてくれました。
今はこのバンドネオンは作られていないそうで、貴重な存在だそう。だから、かなりお高い(。>﹏<。)そうです💦

 最後に、小川さんのソロ演奏🎶
彼女の魂が乗り移ったような、迫力のある演奏。魂の叫びが吹き込まれ、蛇腹のうねりの中から、唸るように絞り出されてきます。
それはもう、癒やされるなどという言葉で表現されるものではなく、魂を鷲掴みにされ、揺さぶられるような感じでした。
集いの場が、息もつけないような、神聖な場と化しました。

蛇腹隊の方々の中には、大切な方を失って、何年も家にこもっていた方がいらっしゃるそうです。その方はこのバンドネオンの音に魅せられて、今、ここにおられます。この楽器は様々な動きを同時にしなければならず、更にはボタンが音階で並んでいるわけでもなく、かなり難易度が高そうです。でも、その難しさに挑戦し、没頭できた時間が、その方を無の境地に立たせ、絶望の淵から立ち上がらせてくれたのだと思います。きっと没頭しなければ救われないほどの深い苦しみだったのだと思います。
その魂の叫びが、あっちからもこっちからも聴こえてきて、息もつけないほどの感動の渦に、ここに集った私たちを巻き込んでいったのでしょう。
音楽の力は凄い!!本当に凄かったです🎶

また、素敵な出逢いがありました(^^)
音楽で繋がれることの幸せをホクホクと感じつつ、少し肌寒くなってきた秋の空気を感じながら、帰路につきました。

 

神話「ナルキッソス」

こんばんは!高尾です(^^♪

遠距離通勤中、周りの人々を見ていて思います。どうしてそこまでしてスマホを見なければ、見続けなければならないのかと・・・
多くの人がスマホ片手に、スマホに見入ったまま、あっちフラフラ、こっちフラフラ………亀の歩みになってます(-_-;)
降りる駅に着いてもギリギリまでスマホを見ていて、乗り込んだ人を押し分けるようにして降りていく姿も当たり前の光景となってきました。
スマホを見るために、みんながカバンを肩にかけるから、肘を曲げるから、ただでさえ混んでいる車内はカバンやら肘やらなんやらで、ひしめき合う結果になっています💦

もちろん、スマホは覗くだけのものではなく、自撮りや動画を撮りまくり、「どう?見て!見て!!」とばかりに配信する凶器ともなります。

これはもう、自己愛型SNS症候群かもしれません(。>﹏<。)

人に迷惑をかけるだけならまだしも、この依存症は人を死に追いやることさえもあるのです。
CNNが発表したところでは、この6年間に259人もの人が、「凄い👏」と言ってもらいたいがための危険な自撮り行為のために、命を落としているそうです。

青年ナルキッソスが、水に写った自分の姿に恋をして、やつれ死んだという神話があります。
自己愛が強すぎたがゆえに、自分を愛し過ぎて命を落としてしまった彼は、予言者テイレシアスの予言通り、自分自身を知らなければ長生きできたのかもしれません。(10/08 毎日新聞「余録」より)

周りにいませんか?1日に何回も何回もFBでメッセージを発信してくる人。。。
「今、ここにいます」「今、これを食べています」「今日、髪を切りました」「若い頃の私です」「こうこう、こう思います」などなど・・・
それを毎日毎日繰り返しながら、なんとか自分の自尊心を保っているように思えます。
最初の頃は、頻繁に送られてくるそれらのメッセージに「いいね!」をしたり、「素敵ですね」「美味しそうですね」「今度の髪型も似合いますね」「若い頃と全然変わりませんね」「感動しました」などなど返していましたが、段々とメッセージを知らせるブルブルに怯え始めてきたりします。

ある人の「FBの友だちが、◯◯さんしかいないみたいな状況になってきてしまった💦」というセリフに吹き出してしまいました。

自己愛型SNS症候群・・・
「私を見て!」「私って素敵でしょ?」「私、凄くない!?」
と、いつもいつも周りに確認せずにはおられない、凄いね、って言ってもらえないと不安でしかたがない、そして、人からの賞賛の中で「自分大好き」な人間が、爆進していく姿を目の当たりにすることが何度もあります。
ちょっと怖い依存症です。
自分に自信がないからでしょうか・・・
「そんなにはすごくない自分」とか「そのまんまの自分」を受け容れてくれるような人間関係が築けなかったからでしょうか・・・(実は、私がそうだったのです。。。)
本当に凄い人、本当に素敵な人、本当に素晴らしい人、、、は、
自分で必死に発信せずとも、周りの人にはわかります。
本当に美しい人は、とても謙虚です。
そして、そこに存在しているだけで、なにかが伝わってきます。

昔は固定電話か公衆電話しかなかったから、本当に必要な時に、本当に必要なことを伝える手段でした。それでも、「今、かけても大丈夫かしら?」と相手を思いやりながら、受話器を取ったものです。
今は、電車の中だろうが、授業中だろうが、仕事中だろうが、ところかまわずブルブル振動しまくっています。

せっかくの素敵な風景も、美味しいご馳走も、発信することに熱中してしまい、いま、ここ、の空気感や、幸せ感を掴みそこねているように思います。
便利なものに、本当に大切なものを吸い取られてしまっているように感じます。

本当に大切な思いは、しっかりと直接届けたいものです。
目を見て、同じ空気を吸って、同じ土俵で、伝え合いたいものです。

ナルキッソスは自分自身を知って死んでしまいましたが、若者たちには「自分自身を知って、長生きして欲しい」と「余録」の最後は締めくくられています。

自己愛型SNS症候群・・・
治療法は、、、自分自身を知って、そのありのままの自分を、少しずつ少しずつ受け容れていくしかないように思います。
本当の自己愛とは、どんな自分をも受け容れることのできる、深くて強い愛だと思っています。

 

神話の摩訶不思議

こんばんは!高尾です(^^♪

この暑さはいったいなんなのでしょう💦💦💦
1度涼しくなってからの蒸し暑さは、身体にこたえます(。>﹏<。)

院の後期の講義で、「神話学」というものを取っています。

子供の頃、「かみさまのおはなし」という本が大好きでした。
この本は、1930年に藤田ミツさんが、日本神話を子ども向けにわかりやすく、と書き上げた童話で、日本で初めての子ども向け古事記と言われています。
     

中でも「いずものかみさま」のお話が面白くて、「ヤマタノオロチ」や「いなばのしろうさぎ」を繰り返し読んでいたのを覚えています。

神話学では、神話の世界観、死生観を学びます。
「あの世(自然)」と「この世(文化・人間社会)」の間には「境界」があります。
「あの世」には、神、化物(ばけもの)、死者、子ども、動物などがいます。
「この世」には、人間(子ども、男性)がいます。
そしてその境界に、女性、犬、火、箒、鳥、橋、川、井戸、厠(トイレ)などが、「あの世」と「この世」を媒介するものとして存在します。

出産とは、女性の身体を通って、あの世からこの世に、子どもがやってくることを言います。女性は、思いっきりあの世に入り込んで、命がけで子どもをこの世に連れてくる存在です。出産は非常に危険な状態で、うっかりするとこの世に戻ってこられないこともあります。それを護るのが「犬」です。
妊娠5ヶ月目の戌の日に、腹帯を巻く習慣が今でも残っています。犬は多産で安産だから、、、とも言われていますが、神話学的には、数ある動物の中でも、犬は古代から人間との関わりがより深い存在だからだと言われているそうです。
例えば「ももたろう」に出てくる犬は、「鬼ヶ島」という「あの世」に、ももたろうと共に行き、ももたろうを「この世」に連れ帰ってくる、「あの世」と「この世」を媒介する存在として描かれています。

女性が子どもを産む力は、神聖であり、恐怖でもありました。
それは、あの世に入り込んだ存在として、男性側からは恐れと共に汚らわしい力と捉えられていました。
それとは表裏一体の切り離せない思いとして、女性はあの世と交流することのできる、聖なる霊力を持ち合わせた神聖なる存在として崇められてもいたのです。
そのために、出産時には「産屋」という、納戸のような部屋が用意されました。
ここは、神殿でもあり、隔離室でもあったのです。

そして、あの世から、媒介である女性によってこの世に連れてこられた子どもは、あの世に引き戻されることがないようにと、様々な通過儀礼を通りながら、この世に定着するのです。昔は7歳までに亡くなる子どもが多かったことから、子どもにまつわる通過儀礼がたくさん残っています。

面白いのが「箒」のお話です。
出産の時に、真っ先にやってくるのが「箒神」です。
箒神は、魂をサッとこの世に掃きだしてくれる存在だからだそうです。
大掃除をして「旧年」から「新年」へと年を越えさせるのも箒の役目です。
西洋では、魔法使いが箒にまたがり(サリーちゃん?ハリーポッター??)、魔界とこの世を行き来します。

ほぅ〜〜〜〜〜〜〜

と、一同口がポカ〜〜〜んでしたが、とにかく面白い!面白い!!(^O^)

いまだに地方に残っている、不思議な習わしである儀礼の数々・・・
こうやって、日本人は「古事記」の時代から、神々を敬い、崇めながら生きてきたという、息遣いのようなものが感じられます。

毎回毎回、噂通りの、ワクワクするような神話や儀礼・儀式の講義が続き、あっという間に90分がたってしまいます(^^)
神話の摩訶不思議な世界観から、日本人が育んできた死生観をも感じ取ることができます。様々な考え方はあるでしょうが、普遍的なものは今もなお、日本人という民俗の根底に流れているのかもしれない、という、これまた不思議な感覚を覚えるのです。

さてさて、次回はどんな神話が飛び出してくるのでしょうか\(^o^)/

 

 

ロータス & メダカ

こんばんは!高尾です(^^♪

すっかり秋めいてきたような気もしますが、週末は又台風の影響で暑さがぶり返すようですね💦

さて、バリ島のロータスがとても美しかったので、我が家にも少しそのエスプリを!!と、玄関先にこんなものを置いてみました(^_^)/
 光ってちょっと見づらいですが、水鉢です底に植木鉢を沈め、ロータスを植え込んで、メダカを泳がせてみました。
 元気に泳いでいます 
行きも帰りも、つい足が止まります

メダカとエビがいますが、メダカは想像以上に泳ぐスピードが早いです。
すごい生命力です。
それにしても、生き物がいるって、なんだかとってもワクワクするものですね!
眺めているだけで、元気が出てきます💪
ここに蓮の花が咲けば、言うことありません\(^o^)/

話変わって、次回のワークショップに関する重大なお知らせです(^_^)/
日程が11/3から12/8に変更になりました。
内容を濃くしようと思うと、1ヶ月では準備が間に合いそうにもなく・・・
12月師走は、なぜか気がせいてしまい、慌ただしい日々になると思います。
そこで、少し立ち止まって1年を振り返り、ホッと一息つく場になっていただければ・・・と願っています。

今回は、一般社団法人「セルフケアネットワーク」の方とのコラボイベントとなります。
「五感を通じて楽しむ、自分だけの大切な時間」をテーマに、素敵なワークを3つほどご用意しております。
場所は、代々木上原の昭和レトロなマンションの1室となります。

どうぞ、お楽しみに!!

日本スピリチュアルケア学会 in 札幌

こんばんは!高尾です(^^♪

台風24号が接近中です🌀
その最中、札幌よりギリギリセーフで帰宅いたしました。

金曜日より「日本スピリチュアルケア学会」に出席するために札幌に行っておりました。

 

      
会場は、藤女子大学。構内は女子大らしく、とても清楚で花々が咲き誇っていました。

グリーフケア研究所を卒業して2年半。今は亡き日野原先生から、2年前の学会で「スピリチュアルケア師」の認定証を授与していただきました。先生から直接手渡していただけたのは、我々の代が最初で最後になってしまいました。

今回学会に加えて、卒業後3年以内に学会前日に開講される「倫理規定」の講座を受けなければならず、これまたギリギリセーフでなんとか2単位取得することができました。

もっと早くに受けておけばよかった、、、と思える内容で、グリーフケアの現場で日常的に起きている問題の、倫理理念を深く考えさせられる内容でした。
クライアントさんを護るための倫理規定をきちんと遵守できてはじめて、クライアントさん、カウンセラー双方にとって、安心・安全な場となるのだということを痛感しました。
学会初日、札幌は快晴☀  ホテルのお部屋からの眺めです。

学会は午後からなので、大通り公園で開催されている「食のフェア」をちょっとだけのぞいてきました👀


さすが札幌!どれもこれも美味しそうლ(´ڡ`ლ)

 

 

学会初日は講演とシンポジウム。本日2日目は分科会。
上智時代のクラスメートの発表を順次聞きながら、最後は大学院の修論指導教官の発表。
表題「生命科学者柳澤桂子氏のSpiritualityの覚醒とResilienceの発現」で、柳澤氏の病跡をたどりながら、人間が極限状態に陥った時に得られるSpiritualityの覚醒が、Resilienceを引き出す、という内容でした。
覚醒とは、、、
スピリチュアル的には、大いなるものとの出逢いといったもの。
そして、生命科学的には、極限状態になると、個体を護るためにナントカという物質が分泌され、それが痛みを感じさせなくしたり、気分を高めるといった働きをする、というものでした。

学会に参加しながらも、ANAから送られてくる「ご予約のフライト、飛ばないかも」メールが気になって仕方がありませんでした💦
結局、分科会を最後まで聞いて、午後のシンポジウムや市民講座は諦めて帰ることにしました(ToT)

首都圏では、20時以降JR全線を運休にするくらいの暴風雨が予想され、フライトを3時間も繰り上げたのに「引き返す可能性あり」のまま搭乗しました。
実は、私は飛行機が大嫌い(。>﹏<。)
その時湧き上がってきたのは、「誕生日に死にたくない」という思い。。。

そうなんです。今日は私の誕生日🎂
私の誕生日の前後は、台風が多いのです。
家に帰った途端の暴風雨🌀🌀
でも、家族の思いが待っていてくれました(^^♪
  
主人と息子がウクレレで、♬Happy birthday to you♬と祝ってくれ、今年も1年元気に過ごせたことに感謝し、明日からの1年もまた、素敵な出逢いに導かれますように…..と願いました✨

 

 

バリ道中記🌴(4)(5)

こんばんは!高尾です(^^♪

土日とセミナーだったので、今日は家事とピアノ弾きのお仕事をして、ゆったりと過ごしました♬

バリ島の記憶が薄れていく中、4日目と最終日の記憶を記録しておきたいと思います📓

4日目は、夕方からタナロットの夕陽を見に行く予定にしているので、それまでは好きなことをしてのんびりと過ごすことにしました(^^)

何をしようかな?と思ったのですが、とにかくヴィラの居心地がいいので、なるべくヴィラの中で過ごすことにしました。
まず、1度体験してみたかった「ホットストーン・マッサージ」をしてもらいました。
     
温かいストーンでマッサージをした後、ツボに置いてジンワリと身体の芯から温めます。本当に、ため息が出るほど、癒やされていくのを感じました。

その後、あんまりにものどかだったので、もう1度ビーチまで行ってみました。
    
ビーチは、相変わらずどこまでも透明でキラキラしていて✨
空を泳ぐ凧はカラフルで、見ているだけで元気が出てきました!!

ビーチから戻って、前回来た時にも立ち寄った「ジェンガラ・ケラミック」のお店を覗きに出かけました。

    
お店の中のカフェでは、このジェンガラ・ケラミックの食器でランチを出してくれます。
今回も、お気に入りのテーブルウェアをいくつか購入してきました。
代々木上原の別室では、ここの食器でおもてなしさせていただいております♡

そして、いよいよタナロットに出発です!!
HISのスタッフは、みなさん日本語がとてもお上手で、車中でのお喋りもとても楽しいです。
日本人の観光客は5番目に多いそうです。バリの人の60%が観光業に従事していて、そのために小学生の頃から英語の勉強をするそうです。
それにしても、以前にも増して、バリの渋滞はすごいことになっています(。>﹏<。)
    
どうしてバリには電車が走っていないのか?などなどお喋りしている内にだんだんと陽が陰ってきて、「夕陽に間に合わないかも!?」というとんでもない事態になりそうでした💦

     
でも、大丈夫(^^)
こんな素晴らしい夕陽を間近で眺めることができました。
      
インド洋に陽が沈んでいきました。
あまりにも美しくて、声もでない、、、

そして、最終日の朝を迎えました。

本当に、素晴らしいおもてなしをしていただきました。なにが・・・とうまく言葉にはできないのですが、スピリチュアルなパワーがみなぎっているのを感じることのできる場所でした。

 散っているプルメリアのお花さえ、愛おしい。

最終日は夜中のフライトなので、まだ丸一日バリに滞在することができます。
チュルク村の知り合いがヴィラまでお迎えに来てくださったので、そのままチュルク村の銀細工の工房まで連れて行っていただき、新作のガムランボールをいくつか持ち帰りました。
次回のワークショップで、ガムランボールの涼やかな音色を楽しんでいただこうと思っております(*^^*)

最後のインドネシア料理です(๑´ڡ`๑)

知人ご夫妻と共に、英語と日本語チャンポンの会話を楽しみながら、現地の方おすすめのお料理の数々をいただきました。

ごちそうさま🙏の後彼らと別れ、クタやスミニャック、クロボカンという、日本でいうところのお洒落な街を散歩しながら、最後のバリの空気感を楽しみました。

年初からずっと楽しみにしていたバリ島旅行でしたが、直前にマロンが急逝するという突然の悲しみに襲われ、ウキウキした気持ちが吹き飛んだ中での行程でした。
それでも、バリ島のアチコチでマロンに語りかけ、夫婦で懐かしい想い出を語り合い、少しずつ少しずつマロンの死を受け容れつつあります。

家に帰ると、たくさんの想い出が染み付いていて、気持ちは行ったり来たりしていますが、確かにここで13年共に過ごしたというたくさんの想い出が、これからマロンのいないこの家で過ごしていくためのエネルギーとなってくれると信じています。

勉強を続けるということ

こんばんは!高尾です(^^♪

今日、明日は「ホリスティックコミュニケーション 実践セミナー」の3日目、4日目の授業です。

心理系の資格は、ようやく公認心理師が設置され、今月9日に初めての試験がありましたが、今まで国家資格というものがありませんでした。
皆さんよくご存知の臨床心理士でさえ、民間資格です。
もともと人のこころを学ぶ分野なので、何をもって資格認定とするのかが不透明というか、知識を数字ではかれないというか、正解というものがあるのか否か、という様々な点からも、あやふやなままずっとここまで来たのだと思います。

阪神淡路大震災の時にこころのケアの必要性が謳われ始め、少しずつ少しずつ世の中で認められ始めてきたものの、なかなかこれといった資格がなく、そのせいか現場に入ることも後手後手になってきたのだと思います。

それに加え、きちんと学べる場が少ないのも現状です。
よく「半日コース」「1日コース」「2日コース」といった短期間の受講のみで〇〇協会の資格認定がもらえます、という広告を目にします。
半日は論外ですが、たった2日間のコースを受けただけで、実際にクライアントと向き合うことが許されている場もあります。

私は大学時代に臨床心理学を専攻していたので、学生時代に1年間通しての実験演習があり、それに加えて2年間、精神科でドクターに付いて実習させていただき、卒論を書くために実際に患者さんを担当させてもらいました。
若干20歳前後ではありましたが、その時の経験は今でも活きています。
最初に所属した「全日本カウンセリング協議会」では、「資格取得まで最低でも3年間は学ぶこと」と言われており、実際には7年かかりました。
上智大学の研究所でも、2年間で40単位以上取得しなければ、「日本スピリチュアルケア学会」に推薦してもらえませんでした。

それでも現場に立ってみると、まだまだ勉強も実践も足りず、昨年から黒丸先生の「ホリコミ」と呼ばれている前述のセミナーに参加しています。
今回は1回目の再受講です。ここのセミナーは何度でも再受講できます。昨年新入生で学んだ時と今とでは、学びの深さが違ってきているのが自分でもわかります。
アチコチと学びの場を広げるのではなく、ひとつの場所で何度でも何度でもじっくりと学ぶことができるのは、とても幸せなことだと実感しています。
そして教えてくださるのが、現役の精神科のドクターであるということも、とても重要なポイントだと思っています。それは、臨床経験がとても豊富でいらっしゃるので、現場の様々な生の声を聴くことができるからです。

今日も、最初に受講生ひとりひとりが、この1ヶ月間、どのように過ごし、そこから何を感じ得たか、、、というチェックインから始まりました。
時に、このように自分の行動を思い起こし、気持ちの振り返りを行うことはとても大切です。ひとりひとりの語りに、ひとつずつ丁寧に言葉で返していただくことができ、モヤモヤした気持ちがスッキリ晴れたり、感動やかなしい思いを分かち合ってもらったり・・・と、とてもいい時間を過ごすことができました。

学びとは、インプットとアウトプットがバランスよくできてはじめて、自分のものになっていくのだと思います。
詰め込むだけでもなく、闇雲に発信するものでもなく、ましてや頭でっかちであってはならないと思います。
「誰もが最初は初心者」です。最初は失敗もありますし、落ち込むこともたくさんあります。それでも、諦めずに、真摯な態度で勉強を続けること。それが真実へ導いてくれる唯一の道だと信じています。

グリーフケア研究所に、「臨床傾聴師」の資格申請をすることを決めました。研究所で学んだことを、仕事や実習の中でどのように活かし、社会に還元しているか、という内容のレポートを願書とともに提出して、認められれば講義が受けられようです。上智では、どこまでも学びの場を提供してくれています。いつでも聴講生として講義を受けることができることにも感謝しています。
今月末には、札幌でのスピリチュアルケア学会の前日に、最後の2単位の授業があります。先延ばしにしていて、結局1番遠い場所での受講となりました。
北海道が今、大きな震災を受け、非常に混迷している時だからこそ、札幌に赴き、現地の空気を感じることが、今回の学会での大きな意義ではないかと感じています。

学ぶ場所が少ない中、たくさんのチャンスをいただけることに感謝しつつ、今日からは大学院の後期が始まりました。
絶対に7時間目は取らない!いや、取ったら身体がもたない(ToT)ことに前期気付かされたので、少し授業数を減らして、研究の方を進めたいと思います。

秋の虫の声が聴こえてきます。
ようやくエアコンもお休みできそうです(^^)

「あなたはいらない」という言葉の重さと残酷さ

こんばんは!高尾です(^^♪

ずいぶんと涼しくなってまいりました。
暑い暑い💦💦と文句を言いながらも、夏の終わりはなぜか寂しいから不思議です。

マロンが我が家に来た時から、ペットロスを覚悟してはいましたが、これほどまでに苦しいものだとは、想像できていませんでした。
先週末、近くのペット霊園を見学してきましたが、こんな寂しいところにマロンをひとり置いておけない、、、と、手元供養することにしました。
両親には申し訳ないのですが、ずっと離れて暮らしていた親を亡くすよりも、13年間ずっと一緒に暮らしていたマロンを亡くすほうが、苦しいです。
きっと、そこにずっと居たマロンが、居るべきマロンが、突然居なくなってしまったからだと思います。
「見えないことと居ないことは違う」
若松先生が書かれていることが、今はこころの拠り所となっています。
バリで少しそう思えるようになったのは、非日常の生活で、もともとそこはマロンがいない場所だったからだと思います。
家に帰ってみると、やっぱりいつも出迎えてくれる姿がないこと、ご飯のお皿がひとつしかないこと、そのひとつひとつが胸に迫ってきます。
「姿は見えないけれども、ちゃんとここに居る」
いつかそう思える日が来ることを、毎日マロンに語りかけながら祈っています。

「あなたはいらない。不要です。」
この言葉を投げかけられたのは8月中旬でした。
それ以来、その言葉が重くこころに沈んでいました。

網走刑務所で、受刑者に連日1日中投げかけられていた言葉は「用無し」だったそうです。
人間にとって、1番屈辱的な言葉だからかもしれません。

実際に言われてみると、最初はその言葉の意味も意図もわかりませんでした。
痛すぎると、それを感じないように感覚が麻痺するというのはこういうことなのかもしれません。
そして、ジワジワとジンワリと鋭い痛みが襲ってくるのです。

恐らくは、言った本人には自覚がないと思います。
私だけではなく、同じ思いをした人が他にもいると聞いて、驚くと共に少しホッとした自分がいました。
でも、、、と思うのです。
傷つけようと意識して言う言葉と、無意識に日常的に言う言葉と、どちらが残酷だろうかと・・・
意識してやることは、意識すればやめることができます。
でも、無意識にやってしまうことは、自分ではコントロールできないのです。

「あなたは不要、いらない。ただの穴埋め要員だから」
最も深いグリーフとは、自分という人間の存在意味を喪失した時ではないでしょうか。
たとえば、親としての存在意味を失ってしまった時、社員としての存在意味を奪われた時、パートナーとしての存在意味を見失った時、ひととしての尊厳を奪われた時、そして生きている意味がわからなくなってしまった時。
「もう、あなたはいらない、必要のないひとです。」
大切なひとを亡くしてしまった時、失業してしまった時、失恋した時などなど….
胸に去来する最も辛く苦しい思いは、自分の存在意味を問うものなのではないでしょうか。
それでも、その亡くしてしまった大切なひと、ものと共に、苦しみながらも、自分の新たな存在意味を見つけていくのが、グリーフワークなのです。

このようなことが、グリーフケアの現場でも起きています。
グリーフをケアするはずの場所で、グリーフをケアする立場のひとが、
こころない言葉を口にして、相手のこころの中をグリーフでいっぱいにして、しかもそのことに気づかずに、何人ものひとが静かにフェードアウトしていくのです。
今までも伏線のような出来事はたくさんありました。
ずっと我慢をして感じないように振る舞ってきましたが、やはり「あなたはいらない」という言葉は重かったです。
自分を護る方法は、ストレスを強く感じる場所に身を置かないこと、何も言わずにその場から静かに身を引くことだということを、同じ思いをされた方からアドバイスしていただきました。

私は、私を必要としてくれる場所で、必要としてくれる方々と繋がっていることができれば、それでいいのです。
そう思えるようになると、なにかの呪縛から解放されたように、気持ちが楽になりました。
そして私は、スタッフのひとりひとりが、誰かの代わりなどではなく、それぞれがかけがいのない存在であるということを、伝え続けていきたいと思います(*^^*)
そういう大切なことに気づかせてもらえた、この夏のひとつのできごとでした。

バリ道中記🌴(3)

こんばんは!高尾です(^^♪

出勤時は日傘だった傘が、帰宅時には雨傘となりました☔

私がバリに行っている間に、台風と地震とで、多くの方々が被害に遭われました。こころよりお見舞い申し上げます。
バリは台風も地震もない島だと言われていますが、先日はロンボク島の地震でかなり揺れたそうです。体験がなかったり、基礎知識がなかったり、備えがなかったりすると、人はパニックに陥ってしまいます。

いつか東京にも、大きな地震や台風が襲来するかもしれません。
その時自分はどうすればよいか。。。
たくさんの情報が知恵となって、たくさんのいのちを護ることができるよう、自分にできることを考えておかなければならないと思います。

さて、バリ3日目は、海の街ヌサドゥアから、山の街ウブドまでの小旅行です🚌
バスを乗り継いで、片道約3時間。遠いです💦
海も素敵ですが、山もなかなか魅力的です(*˘︶˘*).。.:*♡
以前宿泊したヴィラはこんな感じでした。
  
今回はアグン山の噴火が怖かったので、残念ながら泊まるのは諦めました(ToT)

ウブドに行くと必ず訪れるのが、ロータスカフェ☕
 その名の通り、睡蓮が見事です!
    

 

 

ナシゴレンとミーゴレンლ(´ڡ`ლ)

 

ロータスカフェからモンキーフォレストまで、ずっとお店が続きます。
ただでさえ歩きにくい歩道ですが、来年、海外の要人が集まる大きな会議が開かれるそうで、街のアチコチで工事が行われています。うっかりお店を探してキョロキョロ👀していたら、大きな穴に落っこちてしまいそうで、少々危なかったです(-_-;)(そういえば、禁煙学会が今週バリで開かれているはずです。。。)

家族や友人たちへのお土産を、あれこれ考えるのはとても楽しいです(^^)
お目当てのお店を探しながら、ウブドの街を南↔北、東↔西と歩き回り、みんなの笑顔を思い浮かべながら、たくさんのお土産を選ぶことができました。

クタクタの身体をバスのシートに沈め、再び3時間の道程を経て、ヌサドゥアまで戻りました🚌

で、お疲れ気味の私たちを待っていてくれたのが「ロマンティック・ディナー」でした♡
  
思わず、おぉ〜〜〜と唸ってしまいました。
朝夕は風が涼しく、とても心地よいディナーとなりました(*^^*)
ふと、空を見上げると、真っ暗な夜空に星が煌めいていました✨

実は、暗くてよく見えなかったのですが、翌朝明るくなって見てみたら、こんなセッティングをしてくれていました。

のんびりするはずの旅も、ついもったいない・・・とアチコチ出歩いてしまいます。どうしてこんなに気持ちがいいのかな、、、と思いますが、きっと高い建物がないので、空がひたすら、どこまでも、広いからなのでしょう。

少しずつ、少しずつ、自分を縛っていた何かを、手放せるような気持ちになってきます。
ここ、バリ島とはそんな島です。やはり神が宿っているのでしょうか。。。