木枯らし1号、、の吹かない冬

こんにちは!高尾です(^^♪

ぽっかぽかの小春日和です☼
音楽祭を明後日に控え、ているにもかかわらず、明日はカフェのご予約が2件、その後大学院で授業2つ。多分帰宅は21時をまわると思います。
ということで、今日は1日お休みをいただき、久しぶりにな〜〜んにもない1日を過ごしています(^^)
とはいえ、音楽祭の最終確認やら、いまだに弾けていない曲の練習やら、お天気がいいので、お洗濯やら、水やりやら、、で朝からバタバタしていました。
でも、「〇〇時の電車に乗らなきゃ!」「〇〇時に生徒が来るから、それまでにやり終えなきゃ!」「帰宅が遅くなるから、これとあれとやってから出なきゃ!」という、時間の縛りのないことの、この幸せ感(*˘︶˘*).。.:*♡
毎日家に居た頃には当たり前だったのに、その当たり前が、こんなにも幸せなことだなんて気づきませんでした。

季節によって家の中に入り込むおひさまの角度も違っていて、この季節にはこんなに奥の方までポカポカにしてくれているんだな、、、とちょっと汗ばむくらいの温かさを感じています。コタローはその陽だまりの中で、のんびりと日向ぼっこしていますU^ェ^U

「木枯らし1号」は11月30日までに吹く、強い北風のことを言うそうで、このままだと、この冬は三十数年ぶりの、「木枯らし1号の吹かない冬」になるそうです。このままの暖冬だといいのにな・・・でも、温暖化はまずいよな、、などなど、自然とのお付き合いもまた、難しいな、、、と思っています。

さて、ホリコミの習慣力の実践がなかなかできずにいましたが、4ヶ月セミナーの再受講が終わったので、そろそろ実行に移そうと思います。

できそうにないことは、横に置いておくことにします(^.^;
・帰宅してメールのチェックをしたら、それ以降はパソコンを開かない
・12時半までには寝る
・平日はよほどのことがない限り、勉強はしない
・誰かからメールやLINEが来ない限り、電車の中ではスマホを開かない

うかうかしていると、毎晩寝る時間が夜中の1時や2時になってしまいます。このままでは身体がもたないので、遅くても12時半までには寝るようにしたい、そのためには入浴を早くすませる、そのためには、スマホやパソコンを開かない、勉強はお昼休みや週末にまとめてやる、、というように、時系列を逆回しにして、やれそうなことをみつけていきました。
先日電車の中で「すぐに返信しなければならない、そんな相手は本当の友達とは呼ばない」みたいな広告が下がっているのを見つけました。本当にその通りだな、、、と思いました。仕事の連絡はもちろんすぐにしなければなりませんが、それでも一刻を争うようなことは、稀にしか起こらないと思います。

スマホやパソコンを開かないと、読書の時間が増えます。今は石牟礼道子さんの「苦海浄土」を読んでいます。方言がきつくて最初は戸惑いましたが、少しずつ読み進めています。読み終えたところで、来月上智で執り行われる、石牟礼さんの追悼集会に参加してみようと思います。

FBも、最初の頃は懐かしい人と再会できたりして感動しましたが、段々と面倒になってきてしまいました。しばらく放おっておくと、なにやらうるさいことを言ってくるので、たまに覗いてみますが、FBに張り付いている人は、なぜかいつも同じメンバーです。実社会ではなく、FB社会で生きている人って本当にいるんだな、と少し怖くもあります。少しずつフェードアウトしていこうと思います。

これらのことが習慣になっていってくれれば、少し人生が変わっていくかもしれないな・・・と期待しながらやってみようと思います(*^^*)

  いよいよです\(^o^)/

平常心で・・・

こんばんは!高尾です(^^♪

音楽祭にワークショップ、神話学の発表にゼミ発表、倫理委員会への提出書類に修論中間報告・・・
様々なものがジワジワと迫ってきています(-.-;)
これをやってたらあっちが気になり、あっちをやり始めたら、やっぱりこっちが気になってしまい。。。
もう、全てを放り投げたくなってしまいます。
落ち着いて、落ち着いて。
とにかく目の前のものから、ひとつずつ、ひとつずつ・・・
そうやっているうちに、気がついたら全てが終わってた、、、ってことに早くなりたいです。

慌てると、いつもはなんでもないことが、手の平から溢れ落ちそうな気がします。平常心を保つためにはどうすればいいのか?
やっぱり、ホッとする時間を、少しでもいいから過ごすことでしょうか。
    
そこで、こんな素敵なプレゼントをいただいたので、さっそくお紅茶に浮かべてみました。「宝塚発、シュガーフロート」元歌劇団の方が作られているそうです。少し傾けると静かに沈んでいき、カップの底で、まるで模様のように佇んでいます。

そして、ミッドタウンまでお散歩。
 艶やかなクリスマス・ツリー

 そして、なぜかミッキーがズラリ・・・

   
春には🌸が咲き乱れ、そしてこの時期は🍁が見事です!

都会のど真ん中で、たくさんの人々の目やこころを和ませてくれています(*^^*)
リフレッシュされたところで、音楽祭の準備を着々と進めることにします♬
  
今年の待降節は、音楽祭の日、12月2日から始まります🎄

竹取物語の世界観

こんばんは!高尾です(^^♪

今夜は月がとっても綺麗にみえてます。
月を眺めつつ、神話学の発表の準備を進めています。

『竹取物語』ご存知ですよね(^^)
竹から生まれたかぐや姫が、やがて月の世界に帰っていくお話です。
今回の発表は、「自分の仕事と絡めながら、神話をひもといていく」というお題です。
で、様々な神話や昔話などを読み返しているうちに、ふと、あるクライアントさんが話してくださった物語を思い出したのです。
大切な方を亡くされて、それでもこの世で生きていかなければならなくて、その悲しみや苦しみの中から紡ぎ出した、切なくも温かい物語でした。こうやって、人間はかなしみを抱きながらも、ちゃんと生きていけるような力をいただいているのだな、、、と思わされる出来事でした。
そこで、『竹取物語』を深めてみよう!と思いついたのです。

時は平安時代初期。
当時(今も?)「月」の世界は、その満ち欠けが人間の生死の繰り返しになぞらえられ、永遠の生、不老不死を象徴するものとして捉えられていました。月は老いや死の恐怖から解放された、不老不死の無憂の世界だと憧れられていました。
日本人は太古から、月を愛でるという習慣があり、仏教・浄土信仰における阿弥陀如来の極楽浄土とも考えられています。
月は夜を意味し「死」を象徴した「あの世」であり、地球は「命」を象徴するお日さまであって、地上は煩悩から抜けられない穢れのある「この世」であると考えられています。

かぐや姫の舞台となる地球と月という二つの世界は、そのまま「この世」「あの世」を表わしています。肉体を地球に捨て、清められた魂だけが月に召され、そして再び生を持ち地球に帰ってくるという、いわゆる輪廻転生の考えです。
そして、この「あの世」「この世」を結ぶ「境界」として「竹」が登場するこわけです。なぜなら竹は「再生・復活」「死と再生」を象徴するものと考えられ、かぐや姫が新たに生まれ変わり、新たな人生を踏み出す場所という意味合いと、通り道としての意味合いを持ちうるからです。竹藪の中では、あっちとこっちの世が混ざり合い、様々なできことが起こっているようです。
このように、相対する二つの世界があるからこそ、互いの違いを意識し、その存在を肯定しあえる関係となるのです。月の世界に憧れを持ちつつも、人と人との温かい思いやりといった人間らしさあふれるこの世を肯定し、ここで生きていくことの尊さを物語っているのでしょう。

かぐや姫が置いていった「不老不死の薬」を焼き捨てた場面では、永遠のいのちをいただくよりも、別れをかなしむこと、時に苦しみに悶えること、のように、この世を生きる人間にしか味わうことのできない感情や、限りある命を生き切ることの運命を受け入れることができたのではないかと思われます。日本人という民俗の血流には、遥か昔から引き継がれてきた、このような普遍的な死生観が流れているのかもしれません。憂いがあるからこそ喜びを感じることができるのです。命に限りがあるからこそ、その尊さ、愛おしさを感じることができ、懸命に今を生きることができるのではないでしょうか。そのことにかぐや姫が気付かせてくれた、という解釈もまた、神話を読み解いていくうちに気づくことのできる面白味の一つかもしれません。
(参照:『竹取物語』研究 ーかぐや姫の罪と罰をめぐってー 岡崎 祥子)

こんなふうに『竹取物語』をひもといていくと、子供の頃に読んだ「かぐや姫」とは、全く異なる世界観を垣間見ることができます。なかなか面白い発表になりそうです(^_^)/

今日は、サロンでファミリーコンサートのリハをやってみました。
20年目にして初めて映像を取り入れようと思ったのですが、これがなかなか思うようにはいかず・・・練り直しです(T_T)

 プログラム作成中!

  
タピオカミルクティーとケークサレ、アジアンスイーツの準備も着々と・・・
後は曲の完成を待つのみ🎶
って、それが1番大変なんですけど(^.^;

2組の母娘

こんばんは!高尾です(^^♪

かなり寒くなってまいりました。
あちこちで、マスクをしている方をお見かけする季節となりました。
そろそろインフルエンザも・・・でしょうか。。。

ここに、2組の母娘がいます。
どちらも子供の頃はとてもいい子だったのに、高校生になって、或いは社会人になってから、突然母親に反抗するようになりました。
「お前のせいで、私はこうなったんだ!なにもかもお前が悪い!!」

Aさんは、カウンセリングを母娘で受けています。そこの先生は、母親は全力で子供を受け止める、受け容れる、全てを投げうってでも娘を護るのは母親であり家族だというお考えです。

Bさんは、自己啓発セミナーのようなところを渡り歩き、ついに自分にピッタリの安息の場を見つけました。親と子供は別の人格。子供のことなんかで悩むのは辞めて、自分だけの幸せを見つけましょう。あなたはなにも悪くない。50歳からの幸せ探しをいたしましょう、という場所みたいです。

結果、Aさんは相当な覚悟を決めて、今「大きな赤ちゃん」を抱えながら、育て直し、関わり直しをしています。少しずつ少しずつ、「自分を救ってくれるのは、こころから信じてくれるのは、許してくれるのは、結局この人しかいないんだ。」という経験と思いを積み重ねていっています。

Bさんは、新興宗教の教祖のようになってしまい、子供とちゃんと向き合うことから逃げることへの言い訳を、とても素敵な言葉に置き換えて、日に何度もFBで、まるで自分と同じように悩んでいる人たちを洗脳するかのようにメッセージを発信し続けています。まるで別人のようになってしまいました。

子供は確かに、産まれ出た瞬間から、この世でたったひとつの人格を持った人間となります。でも、そのまっさらな人格を育んでいくのは、やはり親であり家族なのではないかと思うのです。親とて子供が生まれて初めて親となるわけで、子供を育てながら「育自」をしていくわけです。完璧な親など、どこにもいません。その欠けたなにかが、子供の思いに引っかかってしまった時、それまで抱いていた愛情が「お前が悪い」という憎しみへとかわっていくのかもしれません。
「どんな自分であっても、受け容れ、許してくれるのは親だけなんだ。」幼い頃にかけ違えてしまったボタンを、ひとつひとつ外しながら、掛け直していく。それは気の遠くなるような作業かもしれません。それでも、この世に生まれた以上、自分のところに生まれてきてくれた以上、そう思いながら生きていて欲しいです。
それなのに、50歳からの幸せ探しだの、私は私で幸せになるから、あなたはもう勝手にやりなさい、だの、信頼関係が崩壊しているのに、あなたを信じてるわ、だの言われても、苦しくて苦しくて親にしかその気持をぶつけることのできなかった子供は、いよいよ本当に心底どうしたらいいのかわからなくなってしまうと思いうのです。だからこそ、育て直し、関わり直しをしながら、育自をもやり直す必要があるのに、自分に背を向けて逃げていった母親をどんな面持ちで見ているのかと思うだけで、切なくなってしまいます。
でも、世の中逃げ出したい、そして、その言い訳を熱烈に代弁してくれ、正当化してくれる人を求めている人のなんと多いことでしょうか。。。

親が苦しんでいる時、子供はそれ以上に苦しんでいます。大きくなったとはいえ、まだまだ大人と同じように自分と向き合うことは難しいです。その時、苦しんでいる子供を救えるのは、本気で向き合えるのは、信じ続けられるのは、やっぱり、やっぱり、親しかいないと思うのです。

Bさんのように向き合うことから逃げてしまうと、そして、そんな自分を正当化し、それを称賛してくれる人に囲まれていると、一時的には楽になるでしょう。これこそ私の幸せよ!!となにかに操られるように発信し続けている彼女は、だから今、とても幸せそうに見えるかもしれません。でも、本当はそうではないから、日に日にやつれていっているのだと思います。

子供のことで悩み苦しんでいるお母さんが流す涙は、本当に悲しみに溢れ、どう手を差し伸べたらいいかすらわかりません。でも、、、と先日その涙を見て思ったのです。こんなにも子供のことでかなしい涙を流せるなんて、「お母さん」の情って本当にすごいな・・・って。「お母さん」から逃げた人の笑顔よりも、「お母さん」でい続けることの苦しみの中で涙にまみれている人の泣き顔のほうが、ずっとずっと私には人間らしく感じられました。

Aさん、本当にここまでよく踏ん張ってこられましたね。あなたがどれだけの思いで、お嬢さんと向き合い、ありのままの彼女を受け容れていく覚悟を決めたのか、ずっと側で見てきました。きっとその思いが届く日がくると信じています。お母さんの眼差しが、しっかりと自分に向けられていることを、今あらためて感じているはずですから。
一生懸命に自分と向き合って、Aさんご自身がずいぶんと変わられましたね。親が変われば、子供もちゃんとそれを感じて、いずれは自分自身と向き合う日が来ます。良くも悪くも、母娘は血がつながっていますから・・・
子供の眼差しが、しっかりとお母さんに向けられた時初めて、その子を手放す準備を始めてもいいのではないでしょうか。

Bさん、あなたが発信してくるメッセージは、こうやって厳しい現実と必死で闘っている人にとっては、とてもとても苦しいものです。子供の苦しみに背を向けることは、本当にあなたにとっての幸せなのでしょうか?なにかに取り憑かれたかのように、機関銃のようにメッセージを発信しているあなたは、いったい何を恐れ、何から目をそむけ、何から逃れようとしているのでしょう?本当に大切なものを失う前に、はやく戻ってきてください。

ここに2組の母娘がいます。
どちらも大切な友人です。どちらが正しいのかはわかりません。
しかし、家族になったその日から、家族が1番大切な存在であって欲しい、信じ合える存在であって欲しいと願います。家族を信じ、家族を護り、家族を救い、そして家族を許せるのは家族しかいない、ということを、ご自身の生育を顧みて気付いて欲しいと切に願っています。あなたの言う「自分だけの幸せ」って、なんだか、とっても薄っぺらでさみしい響きに私には感じられます。

あくまでも、あくまでも、私個人の思いですが・・・

Big  You  Small  I 」
私が育った学校の大切な教えのひとつです。

ホリコミセミナー in 金沢

こんにちは!高尾です(^^♪

金曜日は元ちゃんハウスでしたが、土日は「ホリスティックコミュニケーション」主催のセミナーが、あの「近江町市場」のコニュニティー広場の1室で開催されるということで、そちらにも出席してきました。

セミナーは午後からなので、せっかく前泊していた私は、午前中にひがし茶屋街から兼六園までをぷらぷらと散策することにしました。

必要なセミナーだったので即申し込んだのですが、途中新幹線の窓から目に飛び込んで来たのは、紅葉に萌えるような山並みでした🍁
忙しさに季節も忘れていました💦思いもよらないオマケに、こころが浮き足立つのを覚え、迷わず兼六園へ!

 まずは、ひがし茶屋街
金沢は、戦時中に爆弾の投下をまぬがれたため、戦前の建物がたくさん残っているそうです。これは茶屋街に残る古い蔵の内部です。危険のないように耐震や内装の工事は施されていると思いますが、ひんやりとした空気感はそのままです。この季節、ホワイトクリスマスのオブジェがとても映えていました。

金沢にしてはとても暖かい日差しを浴び、少し汗ばみながら兼六園に向かいました。

 青空と相まって、紅葉の紅がとても綺麗です🍁

 黄色が入ると、さらに目を奪われます。

 落ち葉の絨毯も美しい(^^)

 雪吊りの準備も万端です!
しかし、雲行きがあやしくなってきて、突然の雨。
あれだけ「弁当忘れても傘忘れるな」と言われていたのに、朝の快晴に騙されました( ;  ; )

この後1度金沢駅に戻り、新鮮なお寿司をいただきました😋
案の定、市場はどこのお店も長蛇の列。食べておいてよかったです。

セミナーには各地から13人が集まりました。座学だけではなく、ワークショップもあり、今抱えている問題を、様々な人の意見や角度から見直すことができ、面白かったです。

今回初めて、民泊というかたちの宿に泊まりました。普通のマンションで、お隣には、当たり前ですが、普通に人が住んでおられるということでした。
ほぼほぼ初対面の方々との4人部屋。お一人は大阪、もうお一人は愛媛、そして同じ東京の方。どんな1夜になることやら・・・

夕食までの間に、ライトアップされた兼六園&城址後に行ってみよう!ということになり、再度出発!

 お昼間の雪吊りとはまた違った雰囲気

  水面への映り込み
目に映ったように撮れません(_ _).。
地元の方お薦めは城址後ということなので、混雑する兼六園は後にして、城址後の方からまわってみました。さすが地元情報!!息を呑むような光景が繰り広げられ、その幻想的な美しさに言葉もありませんでした。
兼六園もお昼間の顔とは違っていて、水面に映る光景がゆらゆらと揺れ、漆黒の世界に浮かび上がっていました。

夕食後には、何人かで銭湯に繰り出し、文字通りの「裸の付き合い」で、親交がさらに深まりました♨️
その後は皆さん、バタンキューでした。

翌2日目は朝ヨガに始まり、朝食後、勉強会が組まれていました。様々な業界の方々が集まっているので、それぞれの仕事を伝え合おう、、、という内容の勉強会でした。今回、発表の場をいただいていたので、しっかりと準備をして臨みました。グリーフに興味を持たれる方は多く、今回も食い入るようにお話を聞いていただき、中には「泣きそうになりました」と仰る方もおられました。
なかなか他のお仕事をされている方に聞いていただく機会もないので、時間をかけて準備してきた甲斐がありました(^_^)/

一通りのプログラムが終わったところで、私は上智でのシンポジウムに向けて、一足先に東京に戻りました。

いつもと違う空間で、いつもとは違うお仲間と、いつもと同じグリーフケアというものを見つめ直すいい時間でした。
美味しいものをたくさん食べて、美しいものを観て、たくさん喋って、バタンと寝る。。。これぞ、セルフケアの極意ではないだろうか・・・という3日間でした*・゜゚・*:.。..。.:*・'(*゚▽゚*)’・*:.。. .。.:*・゜゚・*

 

 

元ちゃんハウス訪問

こんばんは!高尾です(^^♪

金曜日から金沢に行っていました。
想像していたよりも暖かくて驚きました(・o・)
それでも、兼六園では雪吊りの準備が着々と進んでいました。
それにしても、金沢のお天気の変わりやすいこと(*_*)「弁当忘れても傘忘れるな」と言われているそうです。

晴れたり、降ったり止んだりの中、先日ご紹介した「元ちゃんハウス」を訪問してまいりました。金沢在中の友人(「風心庵」店主)が、自分も行ってみたい、協力したい、と言ってくれたので、付き合ってもらいました。

金沢らしさ、金沢ならではのマギーを目指しているそうです。
マギーでは、がん患者であっても、自分らしく生きていける場所作りを行っています。発祥地はイギリス エジンバラです。
 通り沿い、1階のお部屋
いつも外に向かって開かれています。初めての方には、こちらでまず、お話を伺うそうです。
 3階の大広間
マギーには必ずキッチンがあります。大きな1枚板のテーブルを囲んで、様々な色・形の椅子が並びます。患者さんもそれぞれお一人ずつ、違っていい、違って当たり前、、、という思いを込めているそうです。
 奥の広間
1面ガラス張りの窓からは、山々が見渡せます。もう少ししたら、炬燵が登場するそうです。これも金沢らしい(^^)
 ソファーと色とりどりのクッション
こちらの椅子も様々です。間接照明も金沢らしさの一つだそうです。
天井と床には天然木が張りめぐらされています。

 オストメイト用トイレ

 個室
まあるい、あったかいイメージの照明にこころ癒やされます。ここは、病名や余命を宣告されたばかりの方や、再発してしまった方が、心置きなく、そのグリーフと向き合うことのできるお部屋になっています。

 坪庭
どのフロアからも覗くことのできる、緑いっぱいの坪庭です。これも金沢らしさを取り入れているそうです。そういえば、風心庵にも坪庭があり、ホッと一息つける場所となっていました。

西村元一ドクターは、ご自身ががんに侵されながらも、準備を進めておられたそうです。というよりも、彼のいのちに限りがあるとわかったからこそ、このハウスのオープンを早急に叶えよう!!と、周りの人たちが団結できたのかもしれないとのことでした。西村ドクターがご病気に倒れられたことはとても残念なことではあるけれども、こうやって夢が叶えられたことにより、彼の魂は、いまなお、この場所で輝き続けているのです。

・病院の外にあること
・でも、病院が近くにあること
・静かな場所であること
・でも、中心地であること
・交通の便がいいこと
・無料で貸してもらえること

この、一見矛盾しているような難しい条件を全て叶えてくれたこの土地で、元ちゃんハウスの扉は、今日も開かれています。
家具も内装も、ひとつひとつにこだわりがあり、とても豪華でお洒落なことに驚きました。そして、これら全てを寄付金によって賄っておられることに、さらに驚きました。亡くなった西村ドクターのお人柄なのでしょうか・・・

晴れていた空が、お話を伺っているうちにみるみる暗くなり、失礼する頃には土砂降りになっていました。
その後、友人がとっても素敵なカフェに連れて行ってくれ、そこで、それぞれが感じたこと、疑問に思ったことなど、こんなにいいものをいただきながら、分かち合いました(*˘︶˘*).。.:*♡

金沢では6日に蟹が解禁されたそうで、早速晩ごはんにいただきました。

ずっと行ってみたいと思っていた「元ちゃんハウス」に行けて、とても勉強になりました。
来年からグリーフケアの勉強会を始められるということで、ご協力できることがあれば・・・というお話になりました。様々な問題を抱えながらも、日々がん患者さんのお話に耳を傾け、サポートされている姿に敬服いたしました。

ブログ開設から1周年です\(^o^)/

こんばんは!高尾です(^^♪

ふと気がつけば、ブログを書き始めてから1年がたちました。
あまりにもあっという間で、気が付きませんでした。

思えば、いろんなことがありました。
この世で1番怖いのは、信じていた人間の手のひらを返したような「心がわり」なのかもしれません。
でも今は、そのおかげ・・・だと思うと有り難い・・・で、素晴らしいスタッフに支えられながら、こうやって頑張っていられることに感謝です✨

これからも、こうやって日々の思いを、徒然なるままに綴っていこうと思います(^_^)/

今年の音楽祭(世でいう発表会)まで後1ヶ月🎶
第20回ファミリー・クリスマス・コンサート「音楽のおもちゃ箱」です!
第1部〜絵本の世界〜
第2部〜「おんがく」いろいろ・・・
第3部〜クラシックの世界〜

今年は、絵本とピアノ演奏のコラボ「マッチ売りの少女」がオープニングです。
朗読とピアノ演奏が、スクリーンに絵本が映し出される中、キャンドルの明かりに灯されながら繰り広げられます。

その他の朗読は・・・
クマと森のピアノ
カノンとタクト

アンジュール〜ある犬の物語〜

を予定しています。それぞれにピッタリのBGMを見つけて、その曲に朗読を乗せていきます。生徒が自ら見つけてきた本、朗読をお願いしているスタッフの手がのびた本、そして、私がこころ揺さぶられた本………

私がこころ揺さぶられた絵本、アンジュールには文字がありません。
1匹のワンコが飼い主に捨てられ、彷徨いながら、一人の少年に出会うまでの物語が、鉛筆の線のみで描かれています。
私が選んだBGMは、Mami Ishizukaさんのアルバム『ビルマからの便り』より Pray ~祈り~」です。
このアルバムは、ビルマで戦死した石塚さんの祖父・後藤一味氏が、約70年前に戦地ビルマにて描き、家族に送り続けた絵手紙の絵をモチーフに曲をつけたアルバムだそうです。
その絵手紙がこれです。
         
    
曲を聴いていただけないのが、本当に残念です(T_T)

2部では、星野源ちゃんの「アイデア」や中島みゆきの「糸」キャッツより「メモリー」ジャズで「フライ・ミー・トゥ・ザ・ムーン」、絵本「カノンとタクト」のようなピアノとギターのコラボ「マリア・ルイサ」
そして!ゆず2018で「うたエール」。スクリーンいっぱいに、「ゆず2018」+リーダー、サブリーダーの忘れられないあの映像が映し出される予定です(*˘︶˘*).。.:*♡
楽器も、ピアノはもちろんのこと、あの「大人のピアニカ」カホン、ギター、ウクレレ、ヴァイオリンに、ビオラ、チェロ、オーボエなどなど・・・
本当におもちゃ箱を開けた時のようなウキウキ感いっぱいの音楽祭になりそうです(*^^*)

どこまで、家事と仕事と大学院とこの音楽祭の準備を両立できるのか💦💦
が問題ではあります(*_*)

 

チャーチチェア✞

こんばんは!高尾です(^^♪

今日は、クリニックでクライアントさんとお話をさせていただいた後、場所を渋谷に移し、スタジオでピアノ四重奏の練習をしてまいりました🎶

ピアノにヴァイオリン、ビオラ、チェロ。
ビオラを生で見るのも、音色を聴くのも初めてかもしれません。
チェロは1度チャレンジしたことのある、憧れの楽器。
ヴァイオリンは、今更あの、のこぎりキコキコを耳元で練習する勇気もなく、憧れの又憧れです。

本日のお部屋のピアノはアップライトの上、鍵盤がパコパコ(-.-;)
音量のコントロールが難しく、冷や汗ものでした💦
職業病なのか、気がつくと、指揮をしながら指導してしまっていました🎶
モーツアルトの四重奏は、本当に彼らしいフレーズの連続で、演奏していると元気が出てきます。このワクワク感を会場の方々にお伝えできればと思います。
でも、それぞれの個人練習、かなり頑張らねば・・・です。。。

さて、ワークショップを開催するにあたり、椅子がひとつ足りないな〜〜と探していて、「チャーチチェア」というものを見つけました。
 これが全体像です。

 背もたれのデザインは様々

 椅子の後ろ側には聖書を入れるためのポケットが

 椅子の下には荷物置き

 お祈り台までついているものが

で、我が家にきたのはこれ!
 座面は疲れないようにお尻の形に凹んでます
 聖書の指定席ができました!

昔は、こんな形の椅子が、教会にズラ〜〜〜っと並んでいたそうです✞
前の方の背もたれのポケットに、聖書を置いたのでしょうか。荷物置き場がないので、椅子の下にあると凄く助かります。
とても、合理的にできています(^^)

ワークショップに来られた方の内お一人が、このチャーチチェアに座れるチャンスがありますよ(^_^)/
まだ残席がございますので、気軽にご参加ください!!

 

自分の最期を本気で想像する

こんばんは!高尾です(^^♪

あまりにもいいお天気なので、シーツを洗濯して、
お布団をベランダいっぱいに干しました☼
今晩はきっと、おひさまの匂いがして、気持ちよく眠りにつけると思います。

親の最期をどうするか?
本人の意思がうかがいしれない場合、子供である自分が決めなければなりません。
私の父は、脳梗塞により突然失語症になってしまったので、その全てを母と私とで決めていかなければなりませんでした。
父のそれまでの人生を思いながら、父ならこう思うだろう、こう望むだろう、というそれだけで、決めなければなりませんでした。
もっと、いろんなことを話しておけばよかった、と悔やまれました。
飄々と、淡々と生きていた父でしたので、胃瘻にしたり、無理な延命治療は望まないであろう、と私は判断しました。最期は誤嚥性肺炎で亡くなりましたが、最低限の点滴だけで、眠るように逝ってしまいました。

本当にそれでよかったのだろうか?と思うことはあります。本当はどんなことをしてでも、1日でも長く生きたかったのかもしれなかった、、、と。

でも、あの時、あの瞬間の父を看ていて、娘の私が強く感じたことだから、その思いを信じようと、今では思えるようになりました。

人としての尊厳を保ちながら死んでいくことは、なかなか難しいことかもしれません。でも、その人をよく知る人間だからこそ、なにがその人にとっての尊厳であるかがわかるのかもしれません。自分の思いもあるでしょう。どんな姿でも生きていて欲しいと願うのも、また人として当たり前の気持ちだと思います。
その人らしい生き方、逝き方を、周りの人間が支えていかなければならない時、自分自身の死生観が問われるのかもしれません。
在宅死(孤独死)を望む人が増えてきているそうです。でも、まだまだその希望が叶うほど、日本の在宅医療は充実していないのです。

今朝の毎日新聞に、在宅ホスピス医の内藤いづみさんのお話が載っていました。
「亡くなる日に、自分がどこに寝ていて、誰がそばにいてほしいのか、本気で想像してみて!」ベッドだろうか?布団だろうか?窓はどんな感じ?カーテンの色は?山がいい?海がいい?どんな曲を聴きながらあの世に行きたい?などなど….
本気で想像してみることで、思いはかなう。そう信じている。と・・・
(毎日新聞 11月2日 滝野隆浩 記)

本日、訪問グリーフケアサポートでお話を伺った方の、ご自分の最期を語られた物語と重なって、もう1度、新聞を読み直しているところです。