ブログ100件目、ですが・・・

こんばんは、高尾です。

昨年の10月末から始めたブログも、本日で100件目となりました。
100回記念に何を綴ろうか・・・とワクワクしておりましたが、とても悲しい出来事のご報告となってしまいました。。。

一昨日、日曜日から具合の悪かったマロンが、天に召されました。
あっという間の出来事で、あっけなく逝ってしまいました。

病院に行って手当てをしてもらった後、数時間後の急変でした。
私は、この日だけはどうしても休めない勤務が控えていて、後ろ髪をひかれながらも出勤。次男もほとんど家を空けたことがないのに、この日に限ってゼミ合宿で留守。
でも、病院で点滴や注射をしてもらい、翌日検査に行く予定にしていたので、まさかこんなことが起こるとは夢にも思っていませんでした。

ただ、心臓と膵臓に病気を抱え、体力もかなり衰えてきていたので、最期の時のことは家族で話をしていました。
医療の発達で、ペットたちも、至れり尽くせりの治療や介護を受けることができるようになりました。負担の大きい検査、治療、大量の投薬・・・
それを良しとするドクターもいれば、自然な最期を迎えましょう、というドクターもいらっしゃいます。
今年に入って2回も大変な検査を受け、嫌になるくらいの投薬を受け、それでも治るわけではない病気で、少しずつ弱っていくのを感じていました。
それでも、食いしん坊のマロンちゃんは食べることが大好きで、いつも私の足にまとわりついてはおねだりしていました。
そのマロンが、どんなに大好きなご飯やおやつにも顔をそむけるようになり、3日目のことでした。
マロンは病院や検査が怖くて大嫌い。寂しがりやなので、お泊りも大嫌い。旅行などでホテルに預けた時には、あんなに大好きなご飯も食べないくらいでした。
だから、家族とは、痛みや苦しみを取るだけの最低限の治療を受けながら、入院して点滴や管に繋がれるのではなく、大好きなお家の、明るいリビングで最期を迎えさせてあげようね、と話していました。

ここ3〜4年は、子供たちは大人になって家にいる時間も少なくなり、私自身も、想定外の勉強や仕事で忙しくなり、一緒に遊んだり、お散歩に行くことが少なくなっていました。
お盆休みに久しぶりにお散歩に行った時、本当に楽しそうに歩いているのを見て、涼しくなったらたくさんお散歩に行こうね!っと話していたのに・・・
あれもしてあげればよかった、これもしてあげればよかった、どんなに苦しくても検査を無理矢理させればよかった、、、などなど、悔やまれることばかりで、涙が溢れてきてしまいます。
自分が関わっている「グリーフ」とは、「ペットロス」とは、こんなにも辛く苦しいものだということを、今、私は痛いくらいに味わっています。

でも、今、このブログを書くために、マロンが我が家に来たときからの写真を眺めていて気づきました。

いつも家族のいっぱいの愛情を一身に受けて、家族を笑顔でいっぱいにしてくれて、子供たちが小学生の頃から社会人になり、新しい家庭を持つまでの間、ずっと見守っていてくれたマロンだった、ということに・・・
マロンを抱っこしている子供たちはいつも笑顔でした。けんかが始まると、間に割って入って「ダメだワン!!」と止めてくれたマロちゃん。家の中から争い事がなくなり、いつも家族の周りを元気に走り回っているマロンでした。
長男が一目惚れして、遠い街から我が家に来てくれたマロン。
    
毎日お散歩して、ベランダで一緒に遊んで、綺麗なお花とハイ、ポーズ!

 4歳の時にコタローが仲間に

   次男とは大の仲良し♡

   ふたりは、いつも一緒!

   一緒におやすみ(-_-)zzz

私たち家族も飼い主としてパーフェクトではなかったから、悔やまれることもあるけれども、でも、こうやって記憶をたどってみると、マロちゃんが来てくれて、出逢うことができて、本当に楽しかった、幸せだった、と思うことができました。最初の頃とは、私たちも歳を重ねて、生活の状況も少しずつ変わってきました。毎日一緒にべったりだった時代から、短い時間の中で濃厚な蜜の時間を味わうようになってきました。だんだんお互いが空気のような存在となり、居て当たり前の存在になってきたのかもしれません。それが「家族」なのでしょう。

コタローはマロンがいなくなったことを、ちゃんとわかっているようです。コタローがひとりでマロンを見送ってくれたからでしょうか・・・
そのかわり、とっても甘えん坊になって、常に私の足にまとわりつくようになりました。来た頃の気持ちを思い出して、今は甘えさせてあげようと思います。


今日は、ご葬儀でした。
いっぱいなでてあげて、いっぱい涙を流して、いっぱいの「ありがとう」を伝えました。幸せな13年間だったことを、あらためて感じることができました。
ひとつずつ、見送りの作業を、家族全員で丁寧に進めて、それぞれのグリーフと向き合う時間を持つことができました。

 ピアノの生徒たちにも可愛がってもらいました。
レッスンルームの片隅で、今日から又、私たち家族のことを笑顔で見守ってくれることでしょう。

「マロン、ありがとね(*˘︶˘*).。.:*♡」

私のグリーフワークに、お付き合いいただくブロクになってしまいました(_ _;)

忘れられない100回目となりました。
101回目からも、様々な思いを綴っていきたいと思います。

 

初めての講師のお仕事

こんばんは!高尾です(^^♪

今日も暑い1日でしたね💦
我が家のマロンも暑さのせいか、嘔吐を繰り返しグッタリです(T_T)
病院で点滴をしてもらい、静かに横になっています。
心配です。。。

さて、今日は初めて、カウンセリングの講師の仕事をさせていただきました。

ロジャーズの「クライアント中心療法」や、「解決思考アプローチ」と呼ばれるカウンセリングの手法14項目をフルに盛り込んだ、すこ〜し無理のあるロールプレイのシナリオを準備し、10名の受講者の方々と共に学びました。
      
テキストも立派なものを準備していただきました!

アドバンスコースのご用意もあります(^_^)/

とてもわかりやすかった、とか、楽しかった、明日から早速仕事で使わせてもらいます、ちょっとだけ考え方を変えることができそう、、、などなど、たくさんの言葉を頂戴し、笑顔で帰っていただけました(^^)

1年がかりでテキストを準備し、90分におさまるように練習して臨みました。
クライアントさんと1対1で向き合う時とは異次元の、緊張感と達成感。
たくさんの方に、カウンセリングの基礎を学んでいただいたと同時に、自分自身の振り返りの勉強にもなりました。

みなさんに最後お伝えしたこと。

「人は癒やされてはじめて、どなたかを癒やすことができる」

そして、、、

「人は癒やすことでしか、癒やされない」(カール・ロジャーズ)

一見正反対のことを言っているようですが、実は同じことを言っているのです。
「癒やし」は、自分と自分以外のものとの間で、グルグルと循環しているということだと思います。

自分が癒やされ満たされると、その思いは外に向けて発せられ、様々なものを活性化します。活性化されたものは、最後には又自分に戻ってきて、更に癒やされ、満たされるということではないでしょうか。。。

カウンセリングの手法は、日常生活にも取り入れることができます。
みんなが、癒やし癒やされる世の中になりますように(*^^*)

 

ホリスティック コミュニケーション

こんばんは!高尾です(^^♪

今日は1年ぶりに、黒丸尊治先生の
「ホリスティック コミュニケーション 実践セミナー」の
再受講に行ってまいりました!

「ホリスティック=からだとこころは繋がっている。」

からだの自然治癒力とこころの自然治癒力は相互作用的に刺激しあい、
片方がもう一方を刺激し、活性化することによって、それぞれの症状が改善されていく、という考えです。

そこで大切になってくるのが、本来備わっている、その「自然治癒力」を引き出すための「質問力」です。

ひとは不思議なもので、質問された言葉によって、あっちにもこっちにも行ったり来たりするもののようです。
ちゃんと本人が納得するところに着地できるよう、うまく導いていくのが、この「ホリスティック コミュニケーション」なのです。

昨年受講したときは、まだ会社を立ち上げたばかりで、クライアントさんもほとんどいない状況でした。それでも、「ふむふむ、なるほど💡」と目からウロコなことばかりでしたが、今年あらためて参加してみると、クライアントさんのお顔がおひとりずつ浮かんできて、先生のお話になること、デモンストレーション、グループワーク、、、それぞれを、ストン、ストン、と自分の中に落とし込めたように思います。

それでもまだまだ・・・

ここのセミナーは、1回目は新人さんとして、セミナーの主役となります。
そして2回目からの再受講の際には、未熟ながらも新人さんのお手伝いをさせていただくことになります。
そしてありがたいことに、再受講は永遠に何回続けても構わないのです。
たった1巡で理解できることは少ないです。
奥の深いカウンセリングを学ぶには、何度も何度も学び直すことが必要なのです。

先生のゆるゆるとした感じ。
皆さんの温かい心遣い。
まるで同窓会のように再会できる喜び。
「5時からセミナー」という名の、本音で語り合える場。
受講の場は、東京でも京都でも福岡でも構わないという自由。
カウンセリングの現場でなくとも、日常生活の中でもとても役に立つ、
魔法のようなコミュニケーション術を、現役のドクターから学べる幸せ。

先生から学んだたくさんのことを携えて、
明日は、「カウンセリングメソッド セミナー」の講師として、
初めて教壇(?)に立たせていただきます(^_^)/

甲子園の想い出(*˘︶˘*).。.:*♡

こんばんは!高尾です(^^♪

甲子園が終わりました。

あの頃・・・
決勝戦は楽しみだったけど、甲子園が終わると一気に夏が終わってしまうようで、寂しくもありました。

中高生の頃の私は、宝塚歌劇場のすぐ側に住んでいたというのに、歌劇には全く興味がなく、もっぱら甲子園に通う少女でした⚾
テレビで観戦していて、「これはいい試合になる!」と思ったら、阪急電車と阪神電車を乗り継いで、急いで球場に向かいました。


あの頃の甲子園球場は、スコアボードの選手たちの名前も全て手書きで、ウグイス嬢と呼ばれていた女性が、それぞれの名前を読み上げていました。
特別内野席が確か400円ほどで、1日多い時で4試合、カチワリを頭の上に乗せたり、膝の上に乗せたりしながら、暑さをしのいでいました。でも思いの外、あそこは浜風が心地よいのです(^^)

1球を追って流す汗や涙がとても眩しく、何かに打ち込める彼らが羨ましかったのかもしれません。
      
自分には何ができるのか?  自分は何がやりたいのか?

考えるきっかけやヒントをくれたのも、甲子園だったのかもしれません。

野球ではなかったけれど、クラブに打ち込み、ボランティアを始め、心理学の道に進みたいという気持ちを固めました。
彼らのように輝きたいと思いました。

今では、息子たちも球児たちの歳を超えました。
どんなことが、人生を輝かせるきっかけになるかはわかりません。
いまだに高校野球を観ると、あの頃のワクワク感と、焦燥感が蘇ってきます。

様々なひとの、様々な思いをのみこんで、今年もすり鉢の底でたくさんのドラマが生まれました。

「✨ああ〜栄冠は、君に輝く✨」

 

 

 

 

会いたい人には会っておく

こんばんは!高尾です(^^♪

立秋も過ぎ、朝晩はずいぶんと涼しくなりました。
秋の気配が感じられるようになりましたね。
でも、いよいよこれからが台風シーズン🌀

4年前の広島土砂災害。
先日の西日本豪雨。

自然災害の前では、本当に私たちは何もできないのでしょうか?
自然の力を侮らず、見くびらず、謙虚に思慮深く・・・
それが私たちにできる、最大の防御・防備、、、なのかもしれません。

さて、我が家の本棚には、ビクトール・フランクル著「夜と霧」が2冊並んでいます。
1冊は、フランクルに実際に会って来られた、恩師霜山徳爾先生のもの。
もう1冊は、池田香代子さんのもの。

霜山先生が訳されたものは、戦後ずっと読み継がれてきました。たとえどんな極限状況であっても、「最後まで自分がどう生きるかを選択する自由は決して奪われない」という人間の尊厳が描かれたこの翻訳本は、最初に手にとった、当時中学生だった私には難しすぎて、最後まで読み終えることができませんでした。
そして、数年後、まさかその霜山先生のゼミで臨床心理を学ぶことになるなど、夢にも思っていませんでした。

グリーフケア研究所時代にブックレポートの課題として出された時、とりあえず、なんとか提出するために、読みやすくなったと評されていた池田香代子さんの改訳本を新たに手にしました。

8月17日の毎日新聞に、この池田香代子さんのお話が載っていました。
前訳者が存命の間は勝手に改訳してはならない、という翻訳界の不文律にもかかわらず、霜山先生からは(フランクルが出した改訂版を)「今すぐ訳してください。私は末期のがんなのです。」という返答がすぐにあったそうです。この返信に、声を上げて泣いたと書かれていました。しかもそれだけではなく、池田さんの新訳版に「旧版訳者のことば」まで寄せてくださったそうです。

霜山先生は、戦時中軍医として旧海軍の鹿屋航空基地(鹿児島県)に赴き、特攻隊の出撃を見送ったというお話は、以前伺ったことがありました。
その寄せられた、旧版訳者のことばの中には、そのような作戦を遂行した軍上層部への怒りがつづられています。
もしかしたら、その時の、2度と生きては戻らないであろう若者たちを見送った思いが、東洋英和の大学院に「死生学」を立ち上げる原動力になったのかもしれない・・・と想像するとこみ上げてくる思いがあり、再度霜山先生訳の1冊も、40年の歳月を経て、ようやく読破することができました。

池田さんが霜山先生を訪ねる前に、先生は亡くなりました。
その時「会いたいと思った人には会っておかなくちゃ」と肝に銘じた、と書かれていました。

私の両親は、ある日突然倒れたり、亡くなったりしました。
それなりに長かった人生、会いたかった人も、会いにきて欲しかった人もいただろうに、、、と思うと、胸が痛みます。
私も、両親を見送った後、「会いたい人には、会えるうちに、会っておこう!」と強く思うようになりました。「いつか・・・」はいつまでも続くものではないから、と以前書いたこともあります。

転校を繰り返していたため、もう2度と会えないだろうと諦めていた、小学校時代のクラスメートにも会うことができました。40年ぶりの再会は、タイムスリップしたような不思議な、そしてあったかい空気に包まれていました。
あの時言えなかった「ありがとう」とか「ごめんね」って言葉が素直に言える歳になったのかもしれないね、という旧友の言葉に、ちょっとウルッ(;_;)ときてしまいました。

ということで、今日も同窓会お料理教室(^_^)/

  焼きナスのペースト
ナンに付けていただくと、本当に美味!!

 とうもろこしバター炒め(ナンプラー風味)

   
ゴーヤサラダ&パッタイ  スイカゼリー(ココナッツソースがけ)

今日も懐かしい話に花が咲き乱れ、元気をもらいました(*^^*)

それぞれのドラマ

こんばんは、高尾です。

昨夜、「8.12」の再現ドラマを観ました。
先日お目にかかった美谷島さんが、御巣鷹山に登りながら語られるドキュメントでした。

ご遺族4家族の、33年間の物語でした。

「8.12 連絡会」を作られたのは美谷島さんでしたが、その彼女でさえも健ちゃんの名前を口にして、健ちゃんのお話ができるようになったのは、つい最近のことだと話しておられました。東日本の被災者の方が、亡くなったご家族のお話をされるのを聴いて、やっと自分も話せるようになったと仰っていました。
先日お目にかかった時にも「健ちゃんのお友達がね、彼の話をしに来てくれるのよ」と嬉しそうに話しておられたのを思い出しました。
それでも、「今でも、後悔の気持ちしかない。」ときっぱりと話されていました。きっとそのお気持ちが失せることはないのだと思います。
それでも彼女がここまで頑張って連絡会を続けて来られたのは、健ちゃんの死から、いのちの大切さを痛いほど感じられたからなのではないかと思っています。
こんなにも長い年月を経ても、いまだかなしみが消え失せないほどに、いや、ますます深まるほどに、それほどまでに、たった1人のいのちの存在は重くて深く、愛おしいものだということを、伝え続けたいと思われているのだと思います。

私の友人は、10日程経って発見されました。彼女を見つけてくれたのは、同じ大学の友人の、法医学を学ばれていたお兄さんでした。彼女の指にはめられていたカレッジリングを見て、妹の大学のものだということに気づいてくださり、身元がすぐにわかったと聞いています。
あの日、お昼間に銀座でばったり会った他の友人が「新幹線で一緒に帰ろうよ。」と誘ったにもかかわらず、遅くまで東京にいたいから・・・と飛行機で帰ることにしたようでした。「もっと強引に誘っていれば。。。」と悔やんでも悔やみきれない様子でした。

迷走する機内で書かれた遺書が、生きる希望になったご家族もありました。

33年経って、ようやく生きる希望に導かれ、山に登ったお母さんもいらっしいました。

亡くなった同級生の妹さんは、大学の寮が夏休みで閉まるので、もう1人の寮仲間とキャンセル待ちをしていたそうです。ひとつだけキャンセルが出たので、1人が搭乗し1人は東京に残りました。残った方も、同じく同級生の妹さんでした。ここで生死が分かれるなど、夢にも思っていなかったと思います。
お母さんが倒れてしまい、同級生が御遺体の確認に御巣鷹山に入ったと聞きました。その後、同窓会かなにかで会った時、彼女の手が、爪の先まで紫色に変色しているのを見て、その凄まじさを知りました。

大阪は、喪服の人で溢れていました。指定席が取れず、葬儀への往復の新幹線は立ちっぱなしでした。
会社の人も、何名か亡くなられました。日帰りの出張でよく使われていた便だったので、恐らくはサラリーマンのお父さんが大勢亡くなられたのではないかと思います。

今では、東日本の被災者、福知山線の被害者、御嶽山の被災者の方々も御巣鷹山に登っておられるそうです。
やはり、ピアサポートグループの力は凄いな、、、と感じます。その存在自体が、寄り添いとなっているのですから・・・

それぞれにドラマがあったと思います。
皆が皆、取り上げられた御遺族のように、立ち上がれたわけではないと思います。この番組をご覧になることさえできない御遺族もたくさんいらっしゃると思います。
それでも、あの惨劇を忘れないように、私は目をそらさずにいたいと思います。
近い将来、御遺族の方々にお目にかかる機会がいただけたので、それぞれの物語を聴かせていただこうと思います。
その前に、彼らの残してきた記憶に触れるために、国会図書館に通おうと思います。

グリーフ・ケアには、長い年月がかかります。
短くても1年、長ければ何十年という年月が必要となってくるでしょう。
それでも諦めずに関わり続けたいと思うのですが、なかなか思うようにはいきません。
それもまた、グリーフ・ケアの難しさなのかもしれません。

 

終戦の日に・・・

こんばんは、高尾です。

73回目の終戦記念日です。
そして、平成で迎える最後の記念日でもあります。

たくさんの、たくさんの人たちの犠牲の上に
今の私たちの平和な暮らしがあります。
そのことを、時代がどんなに変わろうとも
決して忘れてはならないということを
毎年、思い出させてくれる日です。

異国の地で散っていった祖父
広島で被爆した義父

そうか!
私も、戦没者遺族の一人なんだ。。。

祖父や義父から、決して語られることのなかった真実を
私たちはどう受け止め、語り継いでいくのだろうか。

長崎で、言葉もでなかったこと
沖縄で、こころが震えたこと
同じ国で、同じように生まれ育った人間が
お国のためにと、自らのいのちを差し出した時代が
かつてあったことを、決して忘れてはならない。

今、当たり前のように暮らしているこの平和な日々が
当たり前でなかった時代を駆け抜けた人びとの暮らしと
繋がっていることを、決して忘れてはならない。

きっと明日も、平和な夜明けを迎えるであろうことに
感謝の気持ちを忘れずに、
戦没者の方々の、その犠牲になった大切ないのちを無駄にしないように
「不戦」を誓い続けていかなければならない。
亡くなった方々の霊(たましい)がこの世にある限り・・・

明日から、戦後74年目の1日が始まります。
いつまでも「戦後」であることが、永遠の願いです。

大人のピアニカ🎶

こんばんは!高尾です(^^♪

お盆です。
亡き人の霊(たましい)が、こちらの世界に戻って来ています。
お盆飾りのきゅうりは馬で、ナスは牛だそうです。
パッパカと急いでお迎えに行って、のっしのっしとゆっくりあの世に戻っていただくためだそうです。
盆踊りは、戻ってきた霊をお迎えして、ともに踊るもの。
迎え火は、霊が迷わないように。
などなど・・・

日本人は、太古の昔から、霊とともに生きる術を知っていたのかもしれません。それが今の世にまで、受け継がれてきているように思います。

さて本日、「大人のピアニカ」が、我が家に仲間入りしました(^_^)/
  

小学校で習う「ピアニカ」よりも鍵盤がたくさんあります。音もまろやかな感じで、アコーディオンのような柔らかい音が出ます。ピアニカ、侮ることなかれ!です。
息子のウクレレに合う楽器を探していて、ピアニカに辿り着きました。
ピアニカ&ウクレレ&ピアノのアンサンブルで「糸」を演奏してみようと思います。ピアニカ&ウクレレ&カホンのアンサンブルも面白そうです✨
いろんなアイデアが浮かんで来るのですが、楽譜を探すのが一苦労💦
結局最後は手作業になりますが、どんなアンサンブルになるかな?と思っただけでも楽しくて、ワクワクしながら五線紙
に向かうことになります(^^)
まずは、初心者の息子に合わせて、ト長調をハ長調に転調する作業から始めてみます。

去年の発表会で、ゲスト出演してくださった方々が、ピアニカ&ギター&カホンで「ルパン三世のテーマ」を演奏してくださったのが、とても印象深かったので、今年は私もピアニカにチャレンジしてみようと思います。

それと・・・
先日のワークショップで最後に演奏させていただきましたが、ピアノは持ち運ぶことのできない楽器なので、どうしても演奏場所を選んでしまいます。
でも、ピアニカだったら簡単に持ち運ぶことができるので、どこでもヴァイオリンとのアンサンブルをお届けできると思い、活動範囲が少し広がるのではないかと、ちょっと嬉しく思っています(^^)/

先日、久しぶりにライブハウスに行ってきました♬
ゼミの教授の息子さんがベーシストとして出演されるということで、ご招待していただきました。

     

いつもの先生のお顔から、父親のお顔になられていて、ここに至るまでの道程の長さを感じさせられました。先生は「親バカで・・・」とおっしゃっていましたが、こんな素敵な「親バカ」もあるんだな、、、と微笑ましかったです。

音楽って本当にいいな(*^^*)と、ほそぼそとピアノ弾きを続けてきてよかったな、と思う日々です。

山に祈る

こんばんは、高尾です。

忘れもしない1985年8月12日、日航ジャンボ機が御巣鷹山に墜落しました。

最初にニュースが流れた時は、520人もの方が犠牲になられたことに驚きはしましたが、それはまだ「3人称の死」でした。
しかし、搭乗者名簿が画面に流れた瞬間、それは「2人称の死」に変わったのです。
中学から大学まで一緒だった同級生の名前が、目に飛び込んできたのです。
そして、後輩が2人。そのうちの一人は、同級生の妹さんでした。

1985年。大学を卒業した年の夏でした。
社会人になって初めての夏。まだまだこれから、楽しいことがたくさん待ち受けている、はず、、、の年頃でした。

「死」は、まだまだ先のことだと思っていました。この歳で亡くなることがあるなど、夢にも思っていませんでした。
でも、本当は今日1日無事に過ごせたことが奇跡であって、その奇跡の連続が人生なのかもしれない、、、と、初めて思い知らされる、重い重い出来事でした。

「愛が深ければ深いほど、喪失の悲しみも果てしなく深いものだ」
(8/12 毎日新聞 萩尾 信也記者)

それでも御遺族の方々は、かなしみを胸に、彼らを決して忘れることなく、そして事故を語り継ぐことによって、亡き方をこころの中に抱きながら、生き続けてこられたのだと思います。

先日、9歳のご次男を初めての一人旅に出し、この事故で亡くされた、
「8.12 連絡会」事務局長の美谷島さんにお目にかかりました。
友人のことを懐かしくお話しする内、声が震えてきてしまいました。「こうやって、あなた方が彼女のことを忘れずにいてくれることが、1番なのよ」と、優しい眼差しで語りかけてくださいました。

あの夏、まだまだ新入社員だったので、1日だけ夏休みをもらい、伊丹まで日帰りで葬儀に参列させていただきました。元気で生きている私たちが、大勢でご両親の前に顔を出していいのだろうか、、、とずいぶん悩みましたが、どうしてもお別れがしたかったのです。頭の上を鶴のマークの飛行機が飛び交う中でのご葬儀でした。暑いはずなのに、暑さも感じず、ただ、足の裏が靴を履いていても、熱くて熱くて・・・その感覚を今でもはっきりと覚えています。

あれから33年がたちました。でも、この12日が来るたびに、まるで昨日の出来事のように鮮明に、あの時の衝撃が蘇ります。

「忘れないこと」

毎年集まる同窓会は、全員でお祈りを捧げてから始まります。
彼女は、一人だけ22歳のまま、ずっと私たちの中で生き続けているのです。

それでもやっぱり、かなしみは消えません。

520人の魂と、御遺族の方々の思いが、御巣鷹山で巡り会えることを、山に祈りたいと思います。

素敵な時間(*˘︶˘*).。.:*♡のご報告

こんばんは!高尾です(^^♪

昨日から、ずっと天気予報とにらめっこ(~_~)
こんなにもお天気を心配したことなかったかも・・・というくらい。。。
初めてのワークショップが台風で流れることを覚悟しながら、それでも準備は着々と進めました。

でも、朝目ざめると外は静か。予定通り開催できる運びとなりました🙌

 

色鮮やかな資材が並びます。
手ごねキャンドル用のロウとボタニカルキャンドル用のドライフラワーです。

 

ai先生の笑顔に、癒やされます❦

*まずは、固まるのに時間がかかるボタニカルキャンドルから!

カップよりも一回り小さいキャンドルを入れます。

カップとキャンドルの間に、資材をセットします。

こんな感じになったら、ロウを流し入れて固めます。

固まってから、カップをハサミで切り取っていきます。
       
こんなに素敵なキャンドルが、中から現れました(*^^*)
皆さんの口から、わぁ〜〜〜〜〜っと歓声があがりました!

       
みなさん、楽しくお喋りしながら、時に黙々と、ご自分色の、ご自分だけの形のキャンドルを製作中です!

*次に、手ごねキャンドルに取り掛かります!

ai先生お手製の、着色したロウをさいの目に切ったものです。
好きな色を3分の2ほど入れ、溶かしたロウを加えて、混ぜ合わせます。


ある程度混ざったら、カップから取り出して、手でこねます。固くなってきたら、溶かしたロウに通して、更にこねます。


こねてこねて、好きな形に整えたら、芯を通して出来上がり!!
      
        

*次は、お楽しみのティータイム( ^^) _U~~
 薬膳茶が並びます。

さつき先生も、とっても素敵✨


レトロなカップとポットが出番を待ってます。


作りたてのお手製キャンドルと薬膳茶が並びました(^_^)/

*さらに、椅子Yoga Time
灯りを落とし、キャンドルを散りばめます。


自分の呼吸を感じながら、ゆっくりと身体を動かします。
ai先生の優しい声に合わせて・・・

*そして最後に、ヴァイオリンとピアノの生演奏。ヨガで癒やされた心身に、音色が染み入るようでした🎶

自分自身を労ることが、いずれはどなたかの癒やしに繋がっていきます。
ご自分で創った、世界にひとつだけのキャンドルに火を灯して、今頃皆さん素敵な時間を過ごされていると思います(*^^*)

参加者の方からのご感想です。

・今日はとても楽しい体験させていただきました!自分で創ったキャンドルが愛おしい〜✨ありがとうございました♡

・ありがとうございました。癒やしの時間でした(^^)

・素敵な時間をありがとうございました。自分だけのキャンドル、作れて嬉しいです。ピアノとバイオリンの演奏、素敵でした。癒やされました。

・とっても楽しかったです!場所も素敵なお部屋で、キャンドルもヨガも全部が素晴らしく、すごくよかったです。演奏も素敵でした。キャンドル、家で灯してみます。元気が出ました。明日からも頑張ります。ありがとうございました。

そう言っていただけて、私も元気をいただきました(^^♪