「キャンドル de セルフケア」のおすすめ

こんばんは!高尾です(^^♪

花冷えの日が続きます。
桜も咲こうかどうしようか、迷っているかもしれません🌸
    
お昼休みにミッドタウンにお花見に行ってみましたが、「わぁ〜〜綺麗✨」というほどは、まだ咲いていませんでした(^.^;
ただ、人はたくさん押し寄せていて、いつもなら空いているランチのお店が混み混みで困りました💦

息子がホワイトデーに、キャンドルをプレゼントしてくれました。

休んでいるつもりなのに、なんだか心身ともにず〜〜〜んとした感じ。。。ってことありませんか?
それは、いろんなことに頑張りすぎて、交感神経が緊張しっぱなしでピリピリしているからかもしれません。疲れているはずなのに、変に頭だけ冴えていて、眠れなかったり、眠りが浅かったり・・・

理由を探っていくと・・・

身体の中でアドレナリンやコルチゾールといった物質が過剰に分泌されると、人はストレスを感じると言われています。これらは副腎から分泌されるホルモンで、交感神経の伝達物質でもあります。また、ストレス反応の中心的役割を果たす「ストレスホルモン」とも呼ばれ、心拍数を上げ、瞳孔を開き、血糖値を上げるなどの作用があります。
これらは仕事や勉強をする時には必要な物質なので、一般にその分泌は朝が最も高く、夜には低くなり、生体の一日の活動リズムを整えると言われています。過剰なストレスなどでこの活動リズムが壊れて、アドレナリンやコルチゾールの分泌が慢性的に高くなってくると、拭い去れないような心身の疲れを感じるようになってしまいます。

そこで、副交換神経が優位になるような「なにか」・・・が必要となってくるのです。
で、キャンドルの登場となります(*^^*)
キャンドルの炎は、1/fのゆらぎと言われていて、これは人間の心臓の鼓動と同じリズムだそうです。他にも自然界に存在する、小川のせせらぎ、木の葉が風になびく音、月の光、鳥のさえずりなども、これに当たります。このゆらぎが交感神経の緊張を緩め、リラックスさせてくれるのです。また、ゆらぎと共に、オレンジ色の光が副交感神経を刺激して、リラックス効果をさらに高めてくれます。
キャンドルの炎をしばらく眺めていると、脳内にα波が発生し、脳内では幸福感を感じやすくなるβエンドルフィンが分泌されます。また、α波は質のよい睡眠にも導いてくれます。
また、微量の水分を空気中に放出することでマイナスイオンを発生させ、その量は滝から放出されるマイナスイオンをはるかに上回り、森林浴効果も実感することができるそうです。

ということで、クライアントさんにも「キャンドル de セルフケア」をお薦めしています(^_^)/

 ミモザキャンドル(*˘︶˘*).。.:*♡


みなさまも、いかがですか(*^^*)

癒しのジェラート(๑´ڡ`๑)

こんばんは!高尾です(^^♪

東京も開花宣言されましたね🌸
今日の日差しで、さらに蕾がふくらんだのではないかと思います。
お花見シーズンの到来です!

お花見の名所のひとつでもある中目黒で、今日は「カウンセリングメソッド」の講師をさせていただきました。
昨年の夏にここで紹介させていただいた、ジェラートのお店の上階でのセミナーでした。

お花見には少し早い(二分咲きくらい?)週末ではありましたが、それでも目黒川にはたくさんの方がお花見に来られていました。歩くと日差しが温かく、今日は絶好のジェラート日和☼お店の中は、そんなお客様で溢れていました。

セミナーは、主にセラピストさん向けのもので、身体とこころは繋がっていること、「身体の治癒力」と「心の治癒力」を引き出すために、セラピストとしてできること、を中心に、ロールプレイも織り交ぜながら進めていきました。
クライアントさんの意識下にある問題だけではなく、無意識下・潜在意識下に潜んでいる、ご本人も気づかれていなかった思いを掘り起こすことで、本来向き合うべき問題を浮き彫りにしていきます。
本日お話しした「解決思考アプローチ法」とは、ただ単に原因を探るのではなく、苦しい思いの中でも「できていたこと」に目を向け、今の自分に「このくらいからならできそうなこと」を見つけていく方法です。
皆さま、メモを取ったり、頷いたりしながら、熱心に話を聴いてくださいました。

グリーフ・ケアも、このカウンセリング手法が基本となります。クライアントさんの気持ちに寄り添いながら、ご自身の中で眠っている「レジリエンス」を引き出すお手伝いをさせていただくことになります。

自分と向き合う時間を持つことの大切さも学んでいただきました。
癒しには、
人は癒やされてはじめて癒やすことができる
癒やすことでしか癒やされないこともある
という両局面を持っています。
どちらが先か?という問題ではなく、癒しのもつ独特のパワーを感じていただきたいということをお伝えしました。

病み上がりの身、9日の上智での発表に続いてのプレゼンテーションは、準備の時間も短く、ちょっとこたえました(~_~;)
で、今日の私の癒しは、ご褒美ジェラート🍦
 トーン・テレヘン作「ハリネズミの願い」
自分のハリが大嫌いで、森のお友達とうまくつきあえない、孤独なハリネズミのお話を読みながらの、ほうじ茶/ピスタチオのジャラートとレモンジンジャーのハーブティー(*˘︶˘*).。.:*♡
社長さんの心づかいが細部まで行き届いたお店はとっても居心地がよく、手にした小説の世界に心地よく入り込むことができました(*^^*)

誰にも邪魔されない贅沢な時間。。。。明日からまた頑張れそうです!!

イースターって・・・🐣

こんばんは!高尾です(^^♪

帰り道、ふと空を見上げたら、「今夜は満月?」というくらいまんまるなお月さまが浮かんでいました🌕
そういえば、今年のイースターはいつだったかな・・・

イースターとは、イエス・キリストが十字架にかけられて処刑された後、3日後に復活されたことを祝福する日です。
そうです!彼が神の子であることが証明された日なのです✞
カトリックでは、クリスマスに並ぶ大きなお祝いの日となります。
そして、この復活前夜のミサで登場するのが、イースターエッグです。
キリストが復活したことを記憶するこの日、いのちの再生・復活を象徴する「赤いゆでたまご」が参拝者に配られたのが発祥と言われています。

我が家のイースターエッグ   

イースターは、春分の日の後の満月の日の次の日曜日と決められています。
今晩は満月と思いきや、明日の春分の日が満月のようです。なので、今年のイースターは4月21日になります。

私が受洗したのは、2011年の東日本大震災直後のイースターでした。余震や計画停電が続く不安な日々の中、洗礼式を迎えました。たくさんのいのちが満天の星となった直後、だからこそ、いのちの尊さ、重さを深く深く感じ、生かされていることにこころから感謝しながらの受洗となりました。
洗礼を受けるということは、ある意味、人生の再生・生き直しに繋がるということなのかもしれません。

この年は4月24日で今年よりも遅かったようです

私の洗礼名「セシリア」は音楽の守護神です

今年もたくさんの感謝の気持ちとともに、その日を迎えようと思っています(*^^*)

 

 

福利厚生との連携が始まります!!

こんばんは!高尾です(^^♪

明日3月18日より、福利厚生と連携したカウンセリングを行うことになりました。
勤務先の福利厚生提携会社が「リロクラブ」の方は、福利厚生の一環としてカウンセリングを受けることができるようになります。
是非、「リロクラブ」で、「グリーフ・カフェ Be-ing」を検索していただき、WEB予約よりお申し込みいただければと思います。

スタッフ一同、お待ちしております。

認定証書授与

こんばんは!高尾です(^^♪

痛みも引いてきて、少し気持ちに余裕が出てきました。
そこで、元気の出そうなビタミンカラーのお花を活けてみました(^^)

 ラナンキュラス(*˘︶˘*).。.:*♡
いったい何枚花びらが重なっているのでしょう〜綺麗です✨

さて、久しぶりに9時に大学、、、という1日の始まり。。。
先週の発表に引き続き、今日も上智で倫理講習。

受講後誓約書にサインをして、無事、上智大学グリーフケア研究所認定「臨床傾聴士」の認定証書をいただくことができました。
倫理観、責任感、などなど、厳しいながらも温かいお言葉の数々を頂戴し、所長の島薗先生より、ひとりひとり証書を手渡していただきました。
クライアントさんに対する「尊敬」と「信頼」を、誠実に真摯にこころから示すこと。
カウンセリングのプロとして、決して忘れてはならない大切なことです。

そして、午後は大学院の先輩方の卒業式&卒業パーティー🎊
その晴れ晴れとした姿から、修士論文を書くということの重さが伝わってきました。
目標は後2年!!
ゆっくり、じっくり、取り組んでいきたいと思います(*^^*)

あの日の星空

こんばんは、高尾です。

あの日から8年がたちました。

あの日、津波がまちを襲い、たくさんのいのちを飲み込んだあの日、
夜空には満天の星が輝いていたそうです。


「わぁ、綺麗!」と思ったけれど、「綺麗だなんて思ってはいけない。」と、その思いをすぐに打ち消したそうです。「綺麗だなんて思ってはいけない。」と。。。

美味しいものを食べても「自分だけこんな美味しいものを食べるなんて申し訳ない。」楽しい思いをしても「楽しいだなんて、笑ってはならない。」と、遺族の方々は、たくさんの思いを口にすることなく、飲み込みながら、否定しながら生きておられるのです。

でも、あの夜、、、
たくさんの亡くなった方々が、星になって輝いているように思えた。
たくさんの亡くなった方々が、迷わず天国に行けるように道を照らしてくれているように思えた。
生きていこう、という勇気をもらえた。

と、様々な思いを抱かれたのです。
見る人の思いによって、様々に見え方をかえる満天の星。

できごとに対する思いも、人それぞれの受けとめ方があると思います。何が正解だなんてことは、誰にもわかりません。ただ、「そう思っているあなた」に寄り添うだけです。

8年という年月が流れて初めて、「残された人生を、楽しく生きていかなくっちゃ!」と口に出すことのできた女性がいます。やっと、そう思えるようになったと、笑い泣き・・・ここに来られるまで、どんなに苦しい思いをされてこられたのかと思うと、こみ上げてくるものがありました。

星空を眺めると、あの日のことを想い出す。
神様は、理不尽にたくさんのいのちを奪った一方で、被災地の夜空に満天の星を輝かせてくださったのです。
星を見る者たちが皆、あの日のできごとを想い出すように、、、とでもいうかのように。。。
星が夜空に輝き続ける限り、あの日のできごとを決して忘れてはならない、、、とでもいうかのように。。。

やっぱり人間は、大自然の中で生かされているのです。
そのことを、決して忘れてはならないのだと思います。

 

実践・研究発表会

こんばんは!高尾です(^^♪

今日は春の気配が漂ってくるような温かい1日でした(*^^*)

昨日、上智大学で開催された「実践・研究発表会」で、発表の機会をいただきました。
以前「勇気を出して!!」エントリーしていた発表です。

研究所を卒業して丸3年がたちました。自分に何ができるのか?と模索し続けて出したのが、「会社を作る。そして、1企業としてグリーフケアに携わる」という答えでした。

いまだに、「グリーフケアは、無償でおこなわれるべき」という考えが根強く残っています。でも、私のところに来られるクライアントさんの中には、その無償のグリーフケアを受けて、二次被害に遭われてさらに傷ついておられる方が少なくありません。ちゃんと時間と労力をかけて勉強していない「カウンセラー、或いはファシリテーターもどき」の、そのような「なんちゃってグリーフケア」が、藁をもすがるような気持ちで訪れた方を、更に傷つけ追い詰めている現状にこころが痛みます。
その一方で、1時間2万円のグリーフケアも存在するということもクライアントさんから教えていただき、驚愕してしまいました(^.^;

研究所の「臨床コース」を卒業した同期は、年間40時間の「集中病院実習」と80時間の「通年実習」をこなし、隔週土曜日の「グループ演習」を経験しました。この120時間の実習は、研究所に所属していたからこそ受け容れてもらえたものであり、特に病院実習の1週間の重く、濃い学びは個人ではなかなか経験できるものではないと思っています。送り出される時に「ドクターやナースに叩きのめされても、ただで起き上がるな!必ず何かを掴んで立ち上がれ!!」と先生に叱咤激励された通り、みな、確実に何かを手に入れて突き進んできたように思います。たとえ泣きながらでも、ここを乗り越えたからこそ、「スピリチュアルケア師」の資格をいただけたのだと自負しています。
クリニックで「グリーフケア専門外来」を始める際に院長から出された条件も「年間100時間の実習を必ず終えること」というものでした。実習で経験をちゃんと積み、実践で実績を積む。これがきちんとできていないと、とても責任を持ってクライアントさんと対峙することはできません。というよりも、してはならないと思っています。

でも、私たちの代が東京では1期生なので、スピリチュアルケア師として社会に貢献できる人数はまだまだ少ないです。極限状態に追い込まれることも多々あった実習のような厳しい経験を重ね、内省し、専門家からのアドバイスを真摯に受け止める・・・という勉強ができていない「なんちゃってグリーフケア」が二次被害を生み出している、、、という悲しい現実を、厳しい目で見直していかなければならないと思っています。

そして、無償か有償か?はクライアントさんご自身が選ぶものであって、カウンセラーサイドは、対価をいただくに値するように、常に努力を怠らず、謙虚な姿勢で臨むことに専念するのみ!だと考えています。

仲間たちの発表は、それぞれの置かれた場で、さらに学びを深め、研究に勤しんでいる姿勢が伝わってきて、感慨深いものばかりでした。お互いに尊敬しあい、応援していけるような仲間に恵まれたことに、あらためて感謝する1日でした。

来週も朝から研究所で、臨床傾聴士の資格をいただくための倫理講習があります。こうやって、修了生にも学びの場を提供してくださる上智大学の存在は、私にとっては無くてはならないものになっています(^^)

養護施設に懸けた思い

こんばんは!高尾です(^^♪

昨日から、かなり強い痛み止めの薬を服用しています。
10人に1人は激しい嘔吐の副作用があると先生に言われ、飲む前からなんだかムカムカ、、、こんなにドキドキしながらお薬を飲むのも初めてだったかもしれません(^.^;
が、とりあえず、いまのところ大丈夫そうです(^_^)/

入院中に、養護施設の施設長が元入所者に殺害されるという、なんとも痛ましい事件が起こりました。

以前も書いたことがありますが、高校生の時に、神戸の山手にある養護施設にボランティアで通っていました。そこでは、様々な事情で両親の下で生活できない、生後間もない赤ちゃんから、義務教育の終わる中学3年生までの男の子たちが、ひとつ屋根の下で生活をしていました。

私が通っていたのは、小学生のフロア。1年生から6年生まで数名ずつの班を作り、大きい子たちが小さい子の世話をしながら寝食をともにしていました。私が担当したのは高学年の男子2人。隔週で勉強を教えに行っていました。

施設の先生から最初に厳しく言われたことは・・・
・家の事情は聞かない
・手紙を書いたり、という個人的な関わり方はしない
・小学校を卒業したら、施設内で見かけたとしても絶対に声をかけない
・住所や電話番号などの連絡先は決して教えない
・必要以上に優しくしない
理由は・・・
・中学を卒業したら、退所して厳しい世の中で働かなければならない
・連絡先を教えたら、迷惑をかける可能性がある
・優しくされると期待してしまう
・退所後、ほとんどの子どもがうまく社会に適応できない
でした。(と覚えています)

中でも、ここを出ると多くの子がささくれだってしまうので、迷惑をかけられないように細心の注意を払うこと、という言葉が衝撃的でした。私たちが女子高生であることへの配慮でもあったと思います。
優しくしない=期待させない=結局私たちにはなにもできないのだから無責任な態度はとらない、という意味だったのだと思いますし、その時は大人の言うことはちゃんと聞かないと・・・と納得させたのだと思います。そして又、彼らのことを信じきることのできない私がいたのだと思います。

毎回、本当に楽しみに待っていてくれて、勉強を教える以外の子供たちとも体当たりで遊んだり、一緒におやつを食べたり、、、という時間を過ごしました。
運動会にも呼ばれて、両親が観に来てくれない分、ボランティアのメンバーで精一杯応援しました。みんな、嬉しそうに張り切って動き回っていました。「応援に来てもらうのなんて初めてだから・・・」私にとっては当たり前のことが、この子たちにとっては当たり前でない、という現実を突きつけられたようでした。

2年が過ぎ、私の大学進学を機にお別れの時がやってきました。最後の授業は、「ねえさん、もう引っ越しの準備終わったの?」となんだか二人とも怒ったような態度でした。何年か後に、先生から彼らの家の事情を聞かされた時には、その過酷な環境に声も出ませんでした。そんな事情を抱えながらも、いつもニコニコ笑って接してくれていたんだ、、、と自分の稚さを恥じました。
私たちの週に1回の優しさは、彼らにとっていったいなんであったのだろうかと、いまだに思います。

命を落とされた施設長は私たちとは違って、生活をともにしながらご自分の全てを懸けて愛そうとされていたのだと思います。そのくらい心血を注いでいた故人の思いを、ご友人がFBで代弁されています。「施設に恨みをもっていた・・・」家族であれば、許し許されることも、他人同士だと、残念ながらそうはいかないことがあるということなのかもしれません。加害者は、厳しい社会の中に放り出されて、孤独という魔物に棲み着かれたのかもしれません。それでも、最後に足を向けたのが、唯一彼の居場所であったその施設だったということは、故人の思いが少なからずも彼のこころに届いていたからではないか、、、と私は思いたいです。

 今日も1日中コタと一緒U^ェ^U
安心したのか、私のお隣で、いびきをかきかき爆睡中です(-_-)zzz

やっぱり我が家が1番!

こんばんは!高尾です(^^♪

今朝の朝焼けを、病室の窓から眺めていました。

毎晩21時に就寝し、朝6時におはよう!の日々でした。
ご飯タイムが時計代わり。廊下で歩行練習して、疲れたらベッドに横になる日々。1日が長いのか短いのかさえ、よくわからなくなってしまっていました。
日常の、今まで当たり前だった全てのことが、なんだか遥か遠くに行ってしまったような、そして、ものすごく愛おしいような・・・
季節の移ろいも感じられずにいましたが、久しぶりに外に出て、少しずつ春が近づいてきていることを、お日様が高くなってきていることを、肌で感じることができました(^^)

 ずっと見つめていた天井
痛い、身動きできない、食べられない、トイレに行くのにも何時間もかかる(-_-;)
痛みが緩和されず(痛い)、やっとこさ横になっても(とにかく痛い)、お布団をかけてもくれず(寒い)、電気も消してくれず(眩しい)、ご飯は遥か遠くの机の上(お腹が空いた)、せめて吸呑みだけでも(喉もかわいた)・・・
目の前の患者の痛みに寄り添うことが医療の現場だと思っていたのですが、そうではない現場があるということを知りました(T_T)
1週間の入院中、ただの1度も主治医の診察はなく(不信感)、私の主訴がドクターの耳に届くことはありませんでした(絶望感)。このままでは社会復帰が危ぶまれると不安になり(不安感)、転院という形で退院させてもらいました。

痛みだけでも苦しくて不安なのに、その思いに耳を傾けてもらえないということが、こんなにももどかしく、切ないことだとは想像もしていませんでした。

この経験を無駄にしないように、これからのケアに役立てていければと思っています。(でも、できれば、こんな思いはしたくなかった・・・(¯―¯٥))

コタが尻尾フリフリ、大歓迎してくれましたU^ェ^U
 やっぱり私にとっては、我が家が1番(*^^*)