こんにちは、高尾です(^^♪
今日は学祭で賑わう上智大学で、グリーフケア研究所の講義「スピリチュアルケアと芸術」を聴講してきました。冬学期、聴講生として通っています。
今日は映画「君の名は。」に見るスピリチュアリティについて。
瀧と三葉には、三年の時差をはさんで身体の入れ替わり現象が起きます。しかし、どうも翌日にはその記憶が定かでなくなってしまいます。それは、かけがえのない命の喪失を意味し、実社会における疎外感や、社会には何も期待してはいないという無力感の投影ではないかと考えられます。
そしてムスビの力。。。糸を繋げることも、人を繋げることも、時間が流れることもムスビの力。そのトリガーは組紐、口噛み酒、かたわれ時。そして人の身体に入ったものが、魂と結びつく、それも又ムスビ。
ムスビ=ムス(産[む]す、むすこ/むすめの「む」)+匕(霊[ひ]、陽[ひ]が出る) → 人は自然の恵み、営みの中で産まれ、生かされています。
自然の営みとは、、、、地球は生きています。だから災害や紛争で人を殺すこともあるのです。自然の中で生かされている限り、常に死を覚悟して生きていかなければならないということなのでしょうか。。。
「君の名は。」という繰り返される問いかけは、これら喪失が3人称の「誰か」から2人称の「君」へと、つまり、いつかあなたにも起こりうることだということを意味するのです。この喪失感や「ムスビ」を感じるという体験は、映画から外部の社会へと広がりをもたらされるよう、私達観客にバトンタッチされるのです。
ここに、「君の名は。」の社会的メッセージが込められているのだそうです。
奥の深い映画だったのですね・・・
「スピリチュアリティと芸術」は、まだまだ新しい分野の研究で、私は音楽との関わりの学びを今から楽しみにしています🎶
卒業してから1年半ぶりの講義でした。久しぶりにリアクションペーパーを書き、学べる場所のある幸せを感じながら、喧騒の中、帰路につきました。