対価をいただくことの意味 〜真のボランティア企業をめざして〜

こんばんは!高尾です(^^♪

今日は寒かったですね(。>﹏<。)
ベランダでお洗濯物を干しながら、思わず「お〜〜サブ」と、口から飛び出すほど・・・でも、その分よく乾きましたけど。。。(*^^*)

日本ホリスティック医学協会の会誌に載せる原稿の校正確認が、無事に終わりました。会誌の4ページ分。読んでくださる方々がグリーフケアのことをよくご存知かどうかもわからないので、わかりやすく、伝わりやすいように・・・

普段、グリーフケアに関して語り合う人はあまりいません。研究所のクラスメートとも、もう、会うことはないかもしれません。みんな、自分のことで精一杯なのだと思います。もっと横の繋がりを大切にしたいと思うのですが、会社を立ち上げ、カウンセリングの対価をいただいている「Be-ing」に対して、どちらかというと冷ややかな眼差しが向けられています。2年前の研究発表会の時、Be-ingの活動報告発表をした私に向けて、司会をされていたある先生が全員の前で言われたのです。「グリーフケアは、お金を取るべきではない!」と。「可哀想な人からお金をとるなんてとんでもない」ということなのだと思います。

でも、以前にも書いたことがありますが、大切などなたかを喪った人は、本当に「可哀想な人」なのでしょうか?「悲しんでいる人=可哀想な人」ではないと私は思うのですが・・・残念ながら、研究所の考えはそうではないようです。

無償で働き続けることはとても難しいです。無償で働きながら、そのための勉強を続けることは、もっと厳しくしんどいです。でも、我々グリーフケア師には、それが求められている、というのが厳しい現実なのです。

しかし、グリーフサポートの現場にいると、クライアントさんの思いは研究所の考え方とは少し違っているように感じられるのです。自分が一生懸命働いたお金の中から5000円を出して、月に1回カウンセリングサロンに来て思いを語ることが、生きていく上での支えとなり、エネルギーとなっていると話してくださる方が多いのです。可哀想だと思われたくない、亡くなった人のことも可哀想だと思いたくない。そのことに気づけた場所であり、それでも、たとえまた辛くなったとしても、「自分にはこの場所があるから大丈夫!!」。そう言っていただけることが、私にとっては対価をいただくこと以上に価値があり、嬉しいことなのです\(^o^)/

Be-ingは、利益を追求する企業ではありません。いただいた対価は、社の利益としてではなく、みなさまに還元するために使われます。職を喪って、支払いが難しくなってしまったクライアントさんが、続けてケアを受けるための補助金として使われることもあります。また、セルフケアのためのワークショップや講演会は、たとえ赤字になったとしても、参加してくださる方々に笑顔になっていただくために、その中から補填しながらずっと続けていきます。そして、今はご依頼をいただくことはありませんが、いつか悲しみの現場に赴く機会をいただけるとしたら、その時はもちろん無償ボランティアとして、みなさまからいただいた対価を社会に還元させていただきたいと思います。
税理士さんには、それは企業としてはちょっと・・・と言われてしまいますが、「それでいいんです。利益を得るための企業ではないので」と胸を張って言えるようになりました。真のボランティア企業であるために、そして、クライアントさんと対等に向き合うために、このような在り方があってもいいのではないか、、、と思っています。

ただ・・・
無償であるか、有償であるか、どこのカウンセリングルームに行くか、それはクライアントさんご自身が、ご自身の意思で決めることであって、我々が「〜〜であるべき」などと決めつけることではないと思っています。それは我々の自己満足であり、そして傲慢でしかない、、、、と思うからです。

 

あまり語り合う相手はいませんが、先日その数少ない大切な仲間のひとりと会う機会がありました。大学時代に出会った彼女と、何十年もの年月が巡りに巡った後、グリーフケアを通して再会することができました。グリーフケアをもっと知ってもらいたい、もっと寄り添える自分になりたい、、、そんな思いを語り合いながら、私自身エネルギーを注入してもらいました。ケアされるってこういうことなのだと実感しました。だからこそ、「ひとは癒やされて初めて、どなたかを癒やすことができる」のだと思うのです。  

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