スピリチュアルケアと芸術

こんばんは!高尾です(^^♪

今日は朝からあまり気温が上がらず、大寒らしい寒い1日でしたね。

朝9時に大学に行く・・・ということがとても辛い季節ですが、大学の聴講もいよいよ今日で最終回。
廊下は底冷えのする寒さでしたが、教室の中は熱気でムンムンしていました。

今日の授業のテーマは「分断の痛みを超えて人と人をつなぐ音楽の実践とその基底にある音楽観」でした。

音楽は、言語・人種・宗派・時代などの垣根を超えて、人々が繋がることができるものです。

例えば、「かなしみ」の概念を表現するのはことばですが、「かなしみ」の情動そのものに突き動かされるのが音楽の世界です。
この情動が共鳴し合う時、極めて強固な一体感を生み出します。

人間には、理性的存在として、ことばを操り、他との区別を意識した「尊厳ある『個』」と、社会的存在として、情動を共有する「繋がっている『個』」という相反する2つの側面があります。

「個」を意識し、「個」の意義を確認すると同時に、音楽の中に生じる「情動」を共有する人々と、安心して繋がることができた時、その情動が共鳴し合い、互いのうちに一致感が生じます。
そして、その一致感が真の人間性の回復へとつながり、十全な生を生きることを助けることにもなりうる、ということだそうです。。。

「音楽に癒やされる」とは、こういうしくみになっていたのですね🎶

印象に残った一節から・・・(エル・システマ:貧困の最中にある子どもたちの音楽プログラム)
「楽器を習い始めた瞬間から、その子はもう貧しいこどもではなくなる。立派なコミュニティの一員となるべく、成長の道を歩み始める。住むところや食べるものに不自由している状態だけが貧困ではない。孤独であるとか、他人に評価されないとか、精神的に満たされていない状態も貧困である。物質的に恵まれない子どもが、音楽を通して精神的な豊かさを手にした時、貧困が生む負の循環は断ち切られる。(尊厳の意識へと繋がる)」

グリーフケア(スピリチュアルケア)と音楽を繋ぐということ。
それは、ピアノ弾きの私にとって、とても興味深い、未知の世界です✨

さぁ、しばらく大学は春休み!
4月になって、又学びたい授業があれば、朝9時に大学💦 の生活に戻ろうと思います(^^)

 

 

 

茶香炉

こんばんは!高尾です(^^♪

昨日、今日と、新しいクライアントさんとの出会いがありました。
グリーフケアの存在をご存知なく、何年も、たったお一人でグリーフを抱え込み、とても苦しい思いをされていらっしゃいました。

私たちはまず、「グリーフケア」「グリーフサポート」「グリーフカフェ」など、グリーフを抱え、一人で苦しんでおられる方が、ご自分の思いを安心して語ることのできる、安全な場所がある、、、ということを世の中に伝えていかなければならないと思います。

久しぶりに明るい内に帰宅できたので、茶香炉を焚きながら、ゆったりとした時間を過ごしています。

 

茶香炉って、こんな感じ🌿

 

茶香炉は、調べてみると、伝統的に存在したものではなく、1997年に愛知県半田市の陶磁器会社が、アロマポットにヒントを得て商品化したものだそうです

茶葉が焙じられるとてもいい香りが部屋中にたちこめ、気持ちが落ち着いてきました。

さぁ、明日は上智の聴講最終日!
そして明後日は、初めてのファシリテーターにチャレンジです!!

阪神大震災に思いを寄せて

こんにちは!高尾です(^^♪

23年前の昨日、阪神大震災が、私の故郷宝塚をも襲いました。

あの年の新年、次男がお腹の中にいたので、安産の神様で有名な中山寺にお参りし、検診のために地震の直前にこちらに戻ってきました。

あの日の明け方、あまりにも次男がお腹を蹴り続けるので、寝ていることもできず、真っ暗な中起き出し、ストーブの前でボ〜〜〜っとテレビを眺めていました。

突然のできごとでした。
東灘区が炎に包まれ、阪神高速が崩落している様子が映し出されました。最初は何が起こっているのかもよくわからず、とにかく実家に電話をかけ続けました。とりあえず、生きていることはわかりましたが、本人たちも真っ暗な中で何がどうなっているのかよくわからず・・・

あの日、形あるものは、みごとに全て壊れました。

お金をかけて手に入れ、大切にしていたものも、ただの我楽多と化しました。

そして、両親たちの命を救い、生きる希望を与えてくれたのは、目には見えないもの・・・周りの人たちとの助け合いの気持ち、お互いが生き延びるための思いやり、有形無形の援助をしてくださった方々の温かいお心遣いでした。

人生も、人生観をも、一気に変えてしまったできごとでした。

あの時お腹の中にいた次男坊が、今年23歳になります。
長い年月が流れました。
でも、まだまだ、あの時、あの朝のまま、、、の方もたくさんいらっしゃると思います。

災害遺児の方の言葉が心に残っています。「パパやママに早く迎えにきて欲しいのに、なかなかきてくれない。やらなければならないことが、まだあるからなのかな・・・」「やらなければならないことって?」「それをみんな探しながら生きてるんじゃないですか。。。」

親になった今でも、パパやママとの突然のお別れを受け容れらずにいる遺児の方はたくさんいらっしゃると思います。
それでも、ちゃんと23年間生きてきたという証を、どうか伝え続けていってほしいと思います。

自然の中で生かされている私たちは、その猛威の前では何もできないかもしれません。でも、大切な人の死を経験し、いつお迎えがきてもいいと覚悟を決めて生きていくという道もあるということ。。。
そして、実は常に死と隣り合わせで、今生きているということ自体が奇跡の連続だということをどこかで感じながら、その時その時を大切に生きていきたい。。。

だからこそ、「置かれた場所」で咲けるように、今自分にできることを探し続けたい、とあらためて思い起こさせてくれた、震災の日でした。

 

手のぬくもり

こんばんは!高尾です(^^♪

雨はあまり好きではありませんが、庭やベランダの植物達がホッとしている様子を見ていると、乾ききっていた私の気持ちまでもが、なんとなく潤ってきたような感じがしています^_^

ここのところ、ストレスで胃腸の具合まで悪くなってきてしまいました(。>﹏<。)
人のこころと身体は本当に繋がっているのだな・・・ということが、自分の中のできごとで確信へとかわりました。

勤務しているクリニックは、院長が30代と若く、各曜日のドクターたちも、ほぼ私よりも歳下です💦 息子とそうかわらない年齢のドクターと一緒に働く時は、つい母のような気持ちになってしまいます。「ちゃんとご飯食べてる?当直の後、寝られた?彼女とどうなってるの?」などなど。。。

たったお一人、私よりも少しだけ歳上の女医さんがいらっしゃいます。
本当はとってもすごい研究者でいらっしゃるのに、私と話す時には普通のただのおばちゃん同士の会話となります(^^)

ここのところの、我が身に起きた信じられないような出来事を聴いていただいていたら、なんと!彼女も私と全く同じできごとを体験されたというではないですか!逆にお話を聴かせていただくと、本当に怖いくらい同じ状況。。。「◯十年も生きてきて、こんなに憤りを感じたことも、人が怖いと思ったこともなかった。。」という気持ちまでもが全く同じ!!おまけに、心を鬼にして下した決断までもが・・・

すると、彼女が私の手をそっと握ってくれたのです。「冷たい手をしてるわね。」と言って、温かい彼女の両手で包み込んでくれたのです。
こころがほわっとあったかくなりました。冷え切っていたこころも手もそのぬくもりでホッとするのがわかりました。言葉を超えるものが、ぬくもりの中にはいっぱいつまっているみたいです。

Tiedeur=ぬくもり

一気にもやもやが消え、こころがふっと軽くなりました。自分がやってきたことも、そして決めたことも間違いではなかった。これでよかったんだ。・・・と、これまで積み上げてきたものを大切に、Be-ingに込められた思いを忘れずに、迷わずに前に進めそうな気持ちがしてきました。

明日はあったかい1日になりそうですね☼

初めての別室カウンセリング

こんばんは!高尾です(^^♪

”お知らせ”でもお知らせした通り、別室でのカウンセリングを始めました。
クリニック内のカウンセリングルームも、グリーンを置いたり、グリーンのソファーを置いたり・・・となるべくリラックスしていただける雰囲気でお迎えしていますが、こちらは全くのプライベート空間✨

とあるマンションの1室です。
昭和の香りがプンプンしています。
でも、なぜかホッとできる空間です。。。

ここは、遠距離通学の次男と、遠距離通勤の私の為の「癒やし部屋」です。自分の好きなもの、大切なものであふれています。

バリで見つけてきたバティックやイカットを壁に飾り、フランジパニの花びらをテーブルに。。。流れる音楽はガムランミュージック🎶アロマオイルもフランジパニを焚いてみました。

一目惚れのアンティークキャビネットには、OL時代に1脚ずつ集めたお気に入りのカップを並べ、そこにいるだけで気持ちがす〜〜っと落ち着いていく、とっておきの場所となりました。

まるで、お家のリビングに座っているような、ゆったりとした雰囲気の中、クライアントさんにもリラックスしていただけたらいいのにな・・・と思います。

聴かせていただくだけでも胸が苦しくなるようお話に、共に涙し、共に響き合えた、とてもいい時間でした。

もっと懐かしい場所

こんばんは!高尾です(^^♪

昨日は懐かしい大学を訪ねました。
そして今日は、「ブラタモリ」に、なんと!!もっと懐かしい宝塚が登場しました(^_^)/

有川浩著「阪急電車」の舞台となった今津線。宝塚温泉街を抜け、宝塚駅から中高のある小林駅まで、毎日乗って通っていました。

小豆色の阪急電車。これに乗ると、「帰ってきた〜〜」って感じがします。

母校の校舎は、帝国ホテルの建設で知られるアントニン・レーモンド氏の設計で、1999年には、国の登録有形文化財に指定されました。
高校校舎は、住友ビルディングや大阪証券取引所で知られる竹腰健造氏の設計だそうです。
そんなすごい校舎だとは露とも知らず💦 でも、そういえば学期末の大掃除の時に、一生懸命真鍮磨きをしたことを覚えています。


私が住んでいたのは、宝塚駅から武庫川を渡った先の山の中腹。下ることはできても、登ることは中高生の頃でさえキツかった急坂を登った先にありました。
そこからの眺めは、大阪平野が一望でき、遠くには関空が、夏にはPLの花火が見えるほどの素晴らしさでした。冬の夜空は、まるで星が降ってくるかのようで、夜景は宝石箱をひっくり返したようにきらびやかで、眺めていても飽きることはありませんでした。


こちら、宝塚駅。でも、私が住んでいた頃は、寂れた温泉街の小さな駅で、こんなにお洒落ではなかったです(笑)。温泉まんじゅうを蒸す湯気が道いっぱいに漂っている駅前でした。
宝塚駅から歌劇場まで続く「花の道」。阪神大震災で、お店が甚大な被害を受け、ちょっと寂しくなりました。
少し前まで、ホワイトタイガーで有名な動物園と歌劇場が宝塚ファミリーランド内にあり、その真中を電車が走っていました。毎日、象やらキリンやらを車窓から眺めながら学校に通っていました🐘

自分の歴史を紐解いてみると、もう少し自分のことを大切にしてあげたくなりました。
一人ひとりが自分を大切にすると、みなが大切な存在になるのに・・・と思います。
そうすれば、その大切な人を裏切ったり、かなしい思いをさせたり、、なんてことがなくなるのになぁ、なくなればいいのになぁ、と自分自身を省みるとともに、気づいて欲しい人に、この気持ちが届く日を待ちたいと思います。

懐かしい場所

こんばんは!高尾です(^^♪

用事があって母校に行ってきました。
まず最初に目に入ってきたのがこれ!
🐸!?この都会のど真ん中で(・・?
でも、そういえば、あの頃も桜の季節の後にはビックリするような🐛や🐍 が目の前を通り過ぎて行ったっけ・・・


桜の季節:正門      パレス 
新緑の季節:パレス        紅葉の季節:築山

           薔薇の季節:お御堂前

学生の頃は、こんなに四季折々、構内が様々な木々に彩られていることに気づかず過ごしていました。きっと他にたくさん楽しいことがあったからなのでしょう(*^^*)
お昼休みによくみんなでギターの練習をしていた築山の木々が、すっかり成長して座る場所がなくなってしまっているのには驚きました(゜o゜;

母校を訪ねると、自分の原点を感じることができます。いろんな偶然が重なって出会った学校でしたが、今ではそれも運命だったのかな、、と感謝しています。

時々、お御堂にお祈りに行くことがあります。

大丈夫!深呼吸!!平気、平気(^_^)/(うたエール🎶より)

 

働くということ

おはようございます!高尾です(^^♪

今日は夕方からの勤務なので、それまでは自宅でこちらのお仕事こなしています。

ちょっとブレイクタイムです(*^^*)

ある会社で社員が提案したそうです。
「みんなが、いつでも自分の都合に合わせて休みやすい、楽しく働きやすい環境にしましょう!」と・・・

確かに同じことをするのであれば、楽しみながらやった方が絶対にいいです!!
いつでも、自分の都合に合わせてお休みできれば、そんな気楽なことはありません。
でも、、、と私は思うのです。「楽しい」ことと「楽をする」こととはちょっと違うのではないかと。

どんなに若くて才能があっても「私は〇時までしか働けません」とか「他にやりたいことがあるので、月に1回しか働けません」と主張したとしたらどうしますか?私なら困ってしまいます(-.-;)
結局は誰かにしわ寄せがいってしまい、結果、休みたい人にとってだけの働きやすい環境になってしまうからです。
「平等という名の不平等」なのではないでしょうか?

以前にも書きましたが、高校生の時に、「太陽の町」というところにボランティアで行ったことがあります。やっとのことで辿り着いたというのに、部活を休んで(サボって?)やってきたある男子生徒に神父様がいきなり怒鳴ったのです。「ここは、自分のやるべきことをサボって来る場所ではない。今すぐ学校に戻りなさい!」と・・・彼はすぐに地元神戸に戻っていきました。その時の神父様の言葉が、ずっと私の中に刻まれています。

「自分のやるべきこと」
それを見つけることは、子供の頃と違ってとても難しいです。ならば、目の前にある、自分でなければできないことを、ひとつひとつ拾ってはこなすということを続けていけばいいのではないか、、、と思っています。
日野原先生が仰っていた「自分の時間を誰かの為に使う。それがいのちの使い道、使命なのだから。」という言葉が蘇ります。
自分がやったことは、必ず自分に戻ってきます。いいことも悪いことも・・・です。だから、人からの評価だけではなく、自分がどう関わっているのか、ということの方が、ずっと大切なのではないかと思います。
そう思いながら周りを見渡すと、少し見えるものが違ってくるのではないでしょうか?
少なくとも私は、大変な思いをしたからこその楽しみであり、楽をしてばかりの仕事は、決して人を育てないと思っています。

働くって、そこに気持ちも身体もちゃんとあること、やるべきことを見極め、ひとつひとつ丁寧にこなしていくこと。昔、バブル期にOLだった頃のような「24時間戦えますか💪 」なんていう働き方はできないけれど、年齢を重ねたからこその仕事を続けていきたいと思います。

感情の嵐が過ぎるのを待つ

こんばんは!高尾です(^^♪

今日は仕事始め!!なんと3週間ぶりです。

いつもならミスしないようなわかりきったことを、なぜかミスしてしまう自分に戸惑いながら、大チョンボしないように、いつもより丁寧にゆっくりと・・・焦っても慌てずに、慌てずに、落ち着いて、落ち着いて
と自分に言い聞かせながら、なんとか大きなミスを犯すことなく、無事に終了しました。ちょっと眼が血走っていたかもしれませんが・・💦

年末年始と、ちょっと頑張りすぎてお疲れ気味の患者さんたちと、受付のカウンター越しにいろんなお話をしました。ここのクリニックは事務は私しかいないので、いつ何時に来られても私しかおりません。そのせいか、少しずつ皆さんとも打ち解けることができ、気軽に話しかけていただけるようになりました。
ご自分だってお辛いのに、私のことを気づかってくださったり、励ましてくださったり・・・いつも私の方が元気をいただいています。

オタオタしたり、ほっこりしたり・・・の1日の中で、ちょっと悲しいできごとがありました。

「おはよう!」と声をかけて「おはよう!!」と返事が返ってきたら、朝から1日中気持ちがいいですよね。でも、そこで無視をされたら、なんとなく1日がどんよりとした気分になりませんか?

挨拶ってとても大事だと思います。
「私、ここに居るよ!」
「私も、ここに居るよ!!」
「わかるよ!」
「わかってるよ!!」
だから、
「おはよう」とか
「元気?」とか
「さようなら」って
声をかけたくなるし、
「おはよう」
「元気だよ」
「じゃあね」って
言葉を交わすのだと思います。
無視されると、自分の存在がなかったことにされたようで、とても悲しい気持ちになります。

でも、こういう負の感情に押し潰されそうになった時、私はじっと嵐が過ぎるのを待つことにしています。膝を抱えて、心の中ではいろんな感情が渦巻いているけれども、いろんな言葉を叫んでいるけれども、でも、小さいときからずっと言われてきた「自分がやられて嫌なことは絶対にしない」よう、感情の嵐が私の中を周りを過ぎ去るのをひたすら待とうと思います。そして「うたエール」を心の中で何度も歌います🎶

SNSでのイジメって、こういうちょっとしたことから始まるのかもしれません。目を見ながらならきっと言えない言葉も、画面をピピッと指で押すだけだと言えてしまうのが、本当に怖いところです。

私は「無視される」ことにすごいトラウマがあります。
だから、余計に反応してしまったのかもしれません。いつか、ここでお話してみようと思います。
トラウマをそっと手放すことも又、グリーフワークのひとつだと思っています。

 

「ゆず2018 プロジェクト」 いよいよ始動!!

こんばんは!高尾です(^^♪

いよいよゆずとしての活動が始まりました。

今回はCDジャケット撮影、ニッセイCM撮影、MV撮影、そして最大の盛り上がりを見せたレコーディング🎶でした。

2000人というのがどれほどのボリュームなのか想像もつかなかったのですが、野球場の外野スタンドを埋め尽くしたジャケット撮影が、実は二分の一の人数だったと知って驚きました(゜o゜;

野球場から大桟橋までのバス移動は、観光バス20台が2往復。大桟橋から伊勢佐木町までの徒歩移動も異様な光景。。。結局全員が揃うまでに何時間もかかりました。

彼等の原点でもあり聖地でもある伊勢佐木町を借り切り、商店街の方や警察官の方々のお世話になりながらの撮影でした。

 

 

伊勢佐木町を埋め尽くしたゆずのメンバー達。

 

カメラ13台にドローンが行き交う中、撮影が何度も何度も繰り返されました。

撮影が何時間にも渡り、たくさんのご迷惑をおかけしました。演出のための紙吹雪がかなりの量降りました。時間が押していたので、その場でお掃除ができなかったのが心残りでしたが、北川リーダーが、お店への挨拶回りや、翌日紙吹雪のお掃除までしてくれていたそうです。彼の温かいお人柄にも触れることができ、気になりながらもできなかった自分を恥じました。

これだけの人間を移動させたり、監督の指示通り撮影したり、極寒の中モチベーションを維持したり、、、スタッフの方々のご苦労には想像を絶するものがあったと思います。
人生最初で最後ではないかと思わんばかりの超ハードスケジュールの中一人も倒れることなく、一人の脱落者も迷子も出さず、北川さんと岩沢さんのもと、こころを一つにして、一つの曲を作り上げていく。。。音楽ってやっぱり不思議なパワーを持っているんだなぁ〜と、2000人の笑顔を見ていて感じました。

最後のレコーディングは大桟橋のスタジオ。リーダー/サブリーダーが真ん中で見守る中、老若男女2000人がびっくりするほどに息を合わせ魂が吹き込まれました。「思いを込めて歌う」などという理屈が吹っ飛ぶほど、勝手に気持ちが溢れ出てきて、いま、この時間が愛おしくてしかたがありませんでした。どうかこのまま時間が止まりますように、、と・・・

リーダーの目が潤んでいました。きっといいものができあがったのだと思います。オッケーが出たものを聴かせてもらいましたが、鳥肌が立って涙が溢れるほどに、立ちすくんでしまいました。
🎶「うたエール」🎶
一つの作品を作り上げるために、見えないところで支えてくださっていた方々が大勢いらっしゃいました。感謝の気持ちを忘れてはならないと思います。歌い手だけではなく、大勢の人達の手で作り上げられた1曲です。ご協力いただいた方々、本当にありがとうございました。