嗚呼 宝塚〜〜

こんばんは!高尾です(^^♪

小春日和って、こういう穏やかな日のことを言うのでしょうね。
11月後半とは思えないような暖かさで、ここちよい一日でした(^^)

 

 

 

暖かくてまだまだピン!とはきませんが、すでに街はクリスマスモード🎄です。

 

 

今年は12月3日から待降節(アドヴェント)に入ります。
この日から毎週1本ずつキャンドルに火が灯され、4本目のキャンドルに火が灯ると、いよいよクリスマスです✞

 

 

さて、私の故郷である宝塚市には、長い歴史を持つ『宝塚歌劇場』があります。

阪急宝塚駅から歌劇場までの道は「花のみち」と呼ばれ、私が中高生だった当時はとても華やかで、歌劇のファンの方たちがゾロゾロとそぞろ歩いていました。

 

阪神大震災で大打撃を受け、ひとつまたひとつとお店がなくなり、今はどうなっているのでしょうか。。。
宝塚南口駅前に建っていた「宝塚ホテル」が、劇場の並び、武庫川沿いに移設されたので、少しは人が戻ってきているかもしれません。

昔から音楽学校の生徒さんは背中に定規が入っているのではないかと思うほどにビシッと背筋を伸ばし、一糸乱れぬように髪の毛は無数の黒いピンで留められていました。上級生に会うと、立ち止まって最敬礼のお辞儀をしている姿を何度か見かけました。「大変なんだろうなぁ」と、他人事ながらにいつも感じていました。
当時は第一次ベルばらブームの真っ只中で、入学するだけでも過酷な競争を勝ち抜かなければならず、やっと入学しても厳しい上下関係が待ち受けていたのだと思います。

今回起きてしまった悲しいできごと。ひとつの大切ないのちが消えてしまったという事実。
それでも、いじめやパワハラがあったことを認めることを許されない劇団員たち。出来事の重大性を全く認識できていない上層部のお偉いさんがたと、心ない言葉を投げつけていのちを落とすまでに傷つけたにもかかわらず、平然と舞台に立ち続けている上級生。
なんとか矛先を過重労働の方向へと持っていこうとしているのは明らかで、狡ささえ感じてしまいます。たとえどんなに仕事が大変だったとしても、互いに支え合いながら舞台に立つことができていれば、そして、自分にとって安心・安全ではない場所からすぐにでも離れていれば、こんなかなしい結末には至らなかったのではないかと思うと、本当にいたたまれないです。
せっかく狭き門をくぐったにもかかわらず、亡くなった方の同期は彼女を入れても二人しか残っていなかったということが、その心身両面での厳しさを物語っているのではないでしょうか。

『女の園』に蔓延る陰湿なあれやらこれやらは、今までもそしてこれからも語られることはないのかもしれません。それでも、彼女の死がとても大きな問題提起をしていることは確かです。たとえ長い歴史を翻すようなことになったとしても、喪われたいのちの重さに比べたら、どれほどのことでしょうか。
もっと真摯に彼女の死と向き合って欲しいと願っているのは、決して私だけではないと思います。

学校の登下校では団員の方たちと普通にすれ違い、美容院に行けば隣の席にエッ!!と声をあげてしまいそうなスターさんが座っていたり、と当たり前のように歌劇と共にあった小さな街でした。
先日、創立100周年記念行事として、劇場を貸し切っての観劇イベントを行ったばかりの我が母校。
歌劇場に一歩足を踏み入れると、そこは非日常の夢の世界✨(私はヅカファンではないのですが・・・)
音楽や演劇といった芸術は、決して自己を満足させるためだけのものではなく、周りの人を幸せにすることのできる、とてもスピリチュアルな存在なのです。

「音楽で少しでも世界平和に貢献したい。長い道のりだが、音楽の力を信じて、必ずできることがあると思う」
これは、日本音楽コンクールで3年ぶりに開催されたチェロ部門で、1位を受賞した19歳の若き青年の言葉です。(2023/11/22 毎日新聞)
芸術は、言葉足りえないほどの力を持っています。表現者である方々にはその原点に立ち還ってもらい、その力を必要としている人々に届け続けていって欲しいと願います。

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