学会&リハビリin京都

こんばんは!高尾です(^^♪

ようやく杖から開放され、自由に歩き回れる元の生活が戻ってまいりました。ただ、まだまだ「あの痛みに襲われたらどうしよう・・・」という不安には常につき纏われております。

その不安と戦いながら先週末京都まで行ってまいりましたが、京都では杖をつきながら連日1万歩近くも歩かざるを得ず、結果とてもいいリハビリとなったようです。
ホテルから鴨川を渡り、地下鉄で会場に向かいます。
健脚ならば10分程の距離が、果てしもなく遠く感じられました(-_-;)
ちょっと休憩の言い訳をつけて、こんなものをいただいたりもしました😋

 

休み休みゆっくりと歩きながら、ようやく会場である龍谷大学に到着です。

広大な敷地内に、立派な校舎が建ち並んでいます。
会場は地下。駅でも街でも、エレベーターやエスカレーターを探してばかり・・・
困っていても助けてくれる方はほとんどおらず、皆さんグリーフケアを学びにきているはずなのに、なんだかちょっと、、、😞な感じでした。

そういえば、京都駅で荷物を持って階段の前に立ちすくんでいた時に「荷物運びましょうか?」と声をかけてくださったのは、旅行中の外国の方ばかりでした。
東京に慣れていると、京都はまだまだバリアフリーではなく、駅にひとつしかエレベーターがないということも普通にありました。腰を守ってくれていた杖でしたが、それ以外にもいろんなことに気づかせてくれ、これからは困っておられる(であろう)方には勇気を出して声をかけてみようと思いました。

今回全てのプログラムを聴くことは叶いませんでしたが、心に強く残ったことは「予期悲嘆と向き合う」ことの重要性でした。

この考え方は、偶然にもクライアントさんのお話からも感じられたことで、余命を感じ取った時からの最期の日々の過ごし方が、亡くなられる方にとっても遺される方々にとっても、グリーフの有り様を大きく左右するということです。

だからこそ、生きている間に、自分の最期をどのように過ごしたいのかということを大切な誰かに伝えておくということは、とても大事なことなのだと感じました。
見送られる方がいい人生だったと思えること、遺された方々が悔いのないお見送りであったと思えること。
これもまた、予期悲嘆期からのグリーフワークによって手繰り寄せられた結果なのです。

今後は、予期悲嘆の最中でありながらもどうしてよいのかわからない方々のグリーフカフェも必要なのかもしれない、と考えております。
多彩な『グリーフカフェ』を開催することのできる場所、集いやすい雰囲気、多くの方に知っていただくための告知方法、などなど。。。
課題はたくさんありますが、学会で学んだことを形にしていくためには、信頼のおける仲間や、努力を続けていくことのできる強い意志と覚悟、そして健康な身体とこころがなくてはなりません。
少しずつではありますが、奇跡的な出会いや、親身になって応援してくださる方の出現、そのような繋がりがあちらこちらに伸びつつあります。
私もようやく元気になれたので、これからボチボチ動き出しますよ〜〜!!

 

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