悲(かな)しみから美(かな)しみへと

こんばんは、高尾です。

今年も3月11日が巡ってまいりました。
『何年経とうとも、かなしみは決して消えてなくなりはしない』ということを、毎年毎年突きつけられる日でもあります。
13年という歳月が流れ、今まで語られなかった様々な物語が語られる場面もあり、文字となって、言葉となって我々のこころに届けられています。
もしかしたら、今年元旦の能登半島地震において、今なお苦しみのさなかにおられる被災者の方々へのメッセージとして語られているのかもしれません。

原体験やそこから派生する深いかなしみは永遠に変わらないけれども、あの日あの時生かされた自分が年齢を重ねることによって、様々に折り重なる思いを味わされることによって、そのかなしみとの向き合い方が変容してきたことに気づかされる瞬間があるのかもしれません。

今まで何度もお伝えしてきたように、『かなしみ』は色や形を変えながら、遺された人がその手に胸に携えながら、ともに生きていくものなのではないでしょうか。あのかなしみがあるからこその、今のこの自分とともに・・・

胸が 打ち砕かれ ひきさかれそうになる   悲しみ
隣人の痛みに はげしく 心ゆさぶられる   哀しみ
喪った人を いまここに 強く感じる     愛しみ
夜に飛び交う 情愛の姿を まざまざと映じる 美しみ
折り重なる 四つの色をたずさえた
おまえの胸にある 世に ただ一つの     
若松英輔「詩集 見えない涙 ヒトから人へ」より

このように、かなしみはいつしか美しみにまで高められる尊い感情なのです。
み」があるからこそ死者と出会うことができ、そこには「なみだ」という供物が捧げられるのです。

もちろん、悔しさも怒りも焦りも、湧き上がる感情として存在することは当然のことです。その全てを「かなしみ」にあずけることができたとしたら、感じ方や向き合い方が変容していくのかもしれません。

 

どんなことが起きようとも、自然界は日々移ろっているようです。

かなしいほどに美しいです

あの日、たくさんの輝く星となって天に昇っていった、尊いいのちにこころを寄せて

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