最期の場面は人生のほんの一部分でしかない

こんばんは!高尾です(^^♪

いったいいつまで猛暑が続くのかと案じておりましたが、台風とともに秋の気配が近づいてまいりました🍁
昨夜は逗子でも激しい雨が降り続けましたが、今日はニュースで聴くほどには雨も降らず風も吹かず・・・
そして、本日のグリーフケアはオンラインでしたので、台風接近を気にすることなく、ゆっくりゆったりとお話を伺うことができました。

今年の夏は観測史上最高の暑さだったそうですが、それ以前は2010年が記録的に暑い夏だと言われていました。
その「今年は酷暑が続いてます」と騒がれていた2010年の夏、私の母は『熱中症』で亡くなりました。当時は今のようにこの病がポピュラーではなく、熱中症対策が報じられることもほとんどありませんでした。

あの夏、実家を訪ねるといつもエアコンがついておらず、用心深い母は窓を開けることもせず、「歳を取ると暑さも感じないし、汗もかかない。」とよく口にしていました。汗が吹き出すほどの部屋で涼し気な顔をしていることに恐怖を感じ、たとえそうだとしても、温度も湿度も高いんだからエアコンは入れようよ、と言葉をかけていたのですが・・・
しかし、その何週間か後に、案じていたことが現実となってしまいました。

『熱中症』は私にとってトラウマとなっています(-_-;)  自分も熱中症でいのちを落とすのではないか・・・という恐怖が時々頭をかすめクラクラしてきてしまいます。
それほどまでに、母の最期は強烈な残像として私を攻撃し、猛烈な勢いで母の人生を真っ黒に染め上げたのです。

でも・・・
何度も何度もここでお伝えしてきたように、どのような最期であろうとも、その人の人生がなかったものにされたり、汚されたり、可哀想だと思われたりすることがあってはならないと思うのです。最期の時まで生き抜いた人生は、「死」によって何色にも染められることなく、色褪せることもなく、その人色のまま幕を閉じたのです。どのような色であろうとも、その人の人生はこの世でたったひとつのその人の人生であり、最期の場面は、その人生のほんの1部分でしかないのです。
見送って何年間かはどうしても「死」の場面に気持ちがいきがちですが、少しずつ視線を「生」の部分に移していくと、確かにこの世でともに生きていた存在としてこころの中に蘇ってきて、グリーフの捉え方も変容していくのだと思います。

とはいえ、私自身トラウマからなかなか逃れることができずにいます。多分、これからも抱えながら生きていくのだと思います。このトラウマがあるからこそ、その存在を忘れずにおられるのだとしたら、それもまたグリーフのひとつの形なのかもしれません。
ただ、いっとき真っ黒に塗り固められた母の人生が、私なりのグリーフワークによって次第に色を取り戻していったのも、確かな事実です🌈

どうぞお一人で抱え込まずに、思い込みであったり、負のループであったりを緩めにいらしてください。ご自分の言葉で物語ることによって、思わぬことに気づけたり、自分を大切に思えたり、向き合うという感覚を捉えることができたり、いろいろなことが起こりますので。。。

 

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