おとなのイジメ

こんにちは、高尾です。

「台風19号」に際し、被害を受けられた多くの方々が、1日も早く日常の生活に戻れますよう、お祈り申し上げます。

満月の日を待って、ご紹介したい絵本がありました。が、残念ながら今日は雨模様。でも、昨夜のほぼほぼ満月は、青白いほどの輝きで、思わず「おぉ〜〜✨」と叫んでしまったほどでした。(絵本の花束にアップしました(^^)/)

先日来、兵庫県での教師のイジメの様子が動画で流れています。思わず目を背けてしまうほど、酷いものです。
子どもの教育の現場で、教育者が、同じ教育者に対して行ったこれらの行為は、子どもでさえも「やってはいけない」或いは「やったら相手が傷つく」ことだとわかるほど幼稚なものです。

では、いったいなにが、彼らをそのような行為に駆り立ててしまったのでしょうか?某新聞の社評には、「職務の過酷さが、彼らから倫理観を奪い、このような状況に追い詰めた」如くありましたが、本当にそれだけなのでしょうか。

最近では、おとなに護られるべき子どものいのちが、そのおとなによって脅かされています。が、おとなの場合、さらに、護ってくれるべき、信頼できる人が周りにいないのです。
それは、どちらの側にとってもです。

ピアノ講師をしている間、仕事をしているといっても、おとなに囲まれての仕事ではなかったので、仕事上の問題以外でこころを痛めることはあまりありませんでした。
が〜〜〜〜〜、50歳を前にして、久しぶりに社会に出て、医療事務という職に携わってみると、実に様々な「おとなのイジメ」が蠢いていました。特に、女性のみで狭い空間で一緒に働く場合、それぞれに気持ちの余裕がなくなってしまい、自分の得になることしか考えられなくなってしまい、大変なできごとが、あちらこちらで引き起こされていました。

完全なる上下関係がそこにはあります。自分より職位が上の人、或いは、先に入った人には、絶対に従わなければならない、という無言の圧力。たとえ、どんなに歪んでいても、それに対して「イエス」と言わなければならない理不尽さ。勇気を出して一言言おうものなら、ものすごい圧力で潰されてしまう恐ろしさ。。1度でも、そのような見せしめを見せつけられると、何も言えなくなってしまう人間の弱さ。。。

人間には、自己を肯定してもらいたい、自分の存在を認めてもらいたいという、本能的な願望があります。それを何によって実現していくか、具現化していくか、、、の手段を間違えてしまうと、このような、おとなの陰湿なイジメに繋がっていく危険性があるのではないかと思います。

以前にもここでお話しした、「私を見て見て!」な「自分大好き❤」な自己愛型の人が自己肯定感を追い求め暴走すると、このような間違った形での、自己満足を得ようとしてしまうのかもしれません。

自分にとって、たとえ、安全・安心な場所ではないことがわかっていても、そこから離れる勇気は、現実的にはなかなか持てるものではありません。職を失うこともまた、大きなグリーフだからです。でも、自分が自分であり得るためのプライドを奪われてしまうことは、もっともっと大きく深いグリーフへと繋がっていく可能性があることを忘れないでいてください。

そのためには、こころから信頼できる「心友」を持つこと。そして、どこに繋げば現状打破できるかを教えてくれる「智慧」を持つこと。
智慧があれば、そして、背中を押してくれる心友がいれば、勇気が湧いてくるのではないでしょうか・・・

グリーフケアの現場でも、同じようなことは起こっています。人が集まれば、それはどこででも起き得る可能性があるのです。
まずは、そこから離れること。
イジメている人は変えられないし、変わらない。ならば、自分の考え方を変えない限り、そこから抜け出すことはできません。

秋の夜長、疲れたこころを労りながら、本当の勇気とはなにか・・・をじっくり、ゆっくりと考えてみるのもいいのではないでしょうか。

 

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