こころの復興ってなんだろう

こんばんは、高尾です。

昨年の3月11日は、「10年目の節目」という文字を目にする度、なにかがこころに引っかかって、なにも言葉にすることができませんでした。

あれほどの未曾有の災害で、想像を絶するほどの多くの方が亡くなって、その何倍もの方がこの世に遺されて・・・
そのかなしみの渦に「10年目の節目」などというものはあるのだろうかと。。。

おひとりおひとり、その方々が抱えるグリーフは、色も形も異なります。
かなしみの中にあって、立ち上がった方もおられるでしょう。
その死を受け容れられずに、ずっと帰りを待つ方もおられるでしょう。
ご自分を責め続けている方も、どうして自分だけ生きてるんだろうと苦しみ続けている方も、どうしてこんな目にあわなければならないのだろうと恨み続けている方も、、、たくさんたくさんおられて、それで当たり前なんだと思います。

<3/11 毎日新聞>
そして今年。
17歳の少女が11年間ずっと自分を責め続け、ヤングケアラーとしての過酷な日々にこころ折れ、自らこの世を去りました。

周りは口を揃えて、その深いかなしみにも、苦しみにも、寂しさにも、全く気づかなかったといいます。SOSを出していたにもかかわらず、、、です。どこまで関わっていいのかわからず手をこまねいている間に、彼女のいのちの灯火は消えてしまったのです。

家族にも先生にも友達にも、誰にも何も話せなかったといいます。11年間ずっと自分一人で抱え込んできたその思いが、彼女の生きることの意味を奪い去ってしまいました。

確かに、深いグリーフを抱えた方にどう寄り添っていけばよいかの答えは、そう簡単に出るものではありません。いや、出ない、、、のかもしれません。
しかし、答えは出ないかもしれませんが、出ないからといってなにもしないのではなく、なにもできないけれども、傍らに『居る』『居続ける』ということが、その方になにかを伝えることのできる唯一のことなのかもしれないと思うのです。

3月11日が巡る度、放映される映像を観て、発信される言葉を聴いて、置いてきぼりにされたような気持ちになっておられる人がいるかもしれないということを忘れてはならないと思います。時間は皆に同じように流れるけれども、その流れのはやさの感じ方はそれぞれ違っているのです。
5年10年は皆に同じように訪れる節目ではなく、節目を決めるのはその方自身なのではないでしょうか。

目には見ることのできない「こころの復興」ってなんなのでしょうか。。。
目に見えるものの復興は「元に戻すこと」なのかもしれませんが、大切な方を喪った新たな世界で、こころをもとに戻すことなどできないのではないでしょうか。それは「復興」ではなく「新興」。焦ることなく、その方の歩みのスピードで。。。きっとそこには、ただただ側にいてくれる誰かが必要なんだと思います。

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