それぞれのドラマ

こんばんは、高尾です。

昨夜、「8.12」の再現ドラマを観ました。
先日お目にかかった美谷島さんが、御巣鷹山に登りながら語られるドキュメントでした。

ご遺族4家族の、33年間の物語でした。

「8.12 連絡会」を作られたのは美谷島さんでしたが、その彼女でさえも健ちゃんの名前を口にして、健ちゃんのお話ができるようになったのは、つい最近のことだと話しておられました。東日本の被災者の方が、亡くなったご家族のお話をされるのを聴いて、やっと自分も話せるようになったと仰っていました。
先日お目にかかった時にも「健ちゃんのお友達がね、彼の話をしに来てくれるのよ」と嬉しそうに話しておられたのを思い出しました。
それでも、「今でも、後悔の気持ちしかない。」ときっぱりと話されていました。きっとそのお気持ちが失せることはないのだと思います。
それでも彼女がここまで頑張って連絡会を続けて来られたのは、健ちゃんの死から、いのちの大切さを痛いほど感じられたからなのではないかと思っています。
こんなにも長い年月を経ても、いまだかなしみが消え失せないほどに、いや、ますます深まるほどに、それほどまでに、たった1人のいのちの存在は重くて深く、愛おしいものだということを、伝え続けたいと思われているのだと思います。

私の友人は、10日程経って発見されました。彼女を見つけてくれたのは、同じ大学の友人の、法医学を学ばれていたお兄さんでした。彼女の指にはめられていたカレッジリングを見て、妹の大学のものだということに気づいてくださり、身元がすぐにわかったと聞いています。
あの日、お昼間に銀座でばったり会った他の友人が「新幹線で一緒に帰ろうよ。」と誘ったにもかかわらず、遅くまで東京にいたいから・・・と飛行機で帰ることにしたようでした。「もっと強引に誘っていれば。。。」と悔やんでも悔やみきれない様子でした。

迷走する機内で書かれた遺書が、生きる希望になったご家族もありました。

33年経って、ようやく生きる希望に導かれ、山に登ったお母さんもいらっしいました。

亡くなった同級生の妹さんは、大学の寮が夏休みで閉まるので、もう1人の寮仲間とキャンセル待ちをしていたそうです。ひとつだけキャンセルが出たので、1人が搭乗し1人は東京に残りました。残った方も、同じく同級生の妹さんでした。ここで生死が分かれるなど、夢にも思っていなかったと思います。
お母さんが倒れてしまい、同級生が御遺体の確認に御巣鷹山に入ったと聞きました。その後、同窓会かなにかで会った時、彼女の手が、爪の先まで紫色に変色しているのを見て、その凄まじさを知りました。

大阪は、喪服の人で溢れていました。指定席が取れず、葬儀への往復の新幹線は立ちっぱなしでした。
会社の人も、何名か亡くなられました。日帰りの出張でよく使われていた便だったので、恐らくはサラリーマンのお父さんが大勢亡くなられたのではないかと思います。

今では、東日本の被災者、福知山線の被害者、御嶽山の被災者の方々も御巣鷹山に登っておられるそうです。
やはり、ピアサポートグループの力は凄いな、、、と感じます。その存在自体が、寄り添いとなっているのですから・・・

それぞれにドラマがあったと思います。
皆が皆、取り上げられた御遺族のように、立ち上がれたわけではないと思います。この番組をご覧になることさえできない御遺族もたくさんいらっしゃると思います。
それでも、あの惨劇を忘れないように、私は目をそらさずにいたいと思います。
近い将来、御遺族の方々にお目にかかる機会がいただけたので、それぞれの物語を聴かせていただこうと思います。
その前に、彼らの残してきた記憶に触れるために、国会図書館に通おうと思います。

グリーフ・ケアには、長い年月がかかります。
短くても1年、長ければ何十年という年月が必要となってくるでしょう。
それでも諦めずに関わり続けたいと思うのですが、なかなか思うようにはいきません。
それもまた、グリーフ・ケアの難しさなのかもしれません。

 

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