自分の最期を本気で想像する

こんばんは!高尾です(^^♪

あまりにもいいお天気なので、シーツを洗濯して、
お布団をベランダいっぱいに干しました☼
今晩はきっと、おひさまの匂いがして、気持ちよく眠りにつけると思います。

親の最期をどうするか?
本人の意思がうかがいしれない場合、子供である自分が決めなければなりません。
私の父は、脳梗塞により突然失語症になってしまったので、その全てを母と私とで決めていかなければなりませんでした。
父のそれまでの人生を思いながら、父ならこう思うだろう、こう望むだろう、というそれだけで、決めなければなりませんでした。
もっと、いろんなことを話しておけばよかった、と悔やまれました。
飄々と、淡々と生きていた父でしたので、胃瘻にしたり、無理な延命治療は望まないであろう、と私は判断しました。最期は誤嚥性肺炎で亡くなりましたが、最低限の点滴だけで、眠るように逝ってしまいました。

本当にそれでよかったのだろうか?と思うことはあります。本当はどんなことをしてでも、1日でも長く生きたかったのかもしれなかった、、、と。

でも、あの時、あの瞬間の父を看ていて、娘の私が強く感じたことだから、その思いを信じようと、今では思えるようになりました。

人としての尊厳を保ちながら死んでいくことは、なかなか難しいことかもしれません。でも、その人をよく知る人間だからこそ、なにがその人にとっての尊厳であるかがわかるのかもしれません。自分の思いもあるでしょう。どんな姿でも生きていて欲しいと願うのも、また人として当たり前の気持ちだと思います。
その人らしい生き方、逝き方を、周りの人間が支えていかなければならない時、自分自身の死生観が問われるのかもしれません。
在宅死(孤独死)を望む人が増えてきているそうです。でも、まだまだその希望が叶うほど、日本の在宅医療は充実していないのです。

今朝の毎日新聞に、在宅ホスピス医の内藤いづみさんのお話が載っていました。
「亡くなる日に、自分がどこに寝ていて、誰がそばにいてほしいのか、本気で想像してみて!」ベッドだろうか?布団だろうか?窓はどんな感じ?カーテンの色は?山がいい?海がいい?どんな曲を聴きながらあの世に行きたい?などなど….
本気で想像してみることで、思いはかなう。そう信じている。と・・・
(毎日新聞 11月2日 滝野隆浩 記)

本日、訪問グリーフケアサポートでお話を伺った方の、ご自分の最期を語られた物語と重なって、もう1度、新聞を読み直しているところです。

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