こんばんは!高尾です(^^♪
立秋も過ぎ、朝晩はずいぶんと涼しくなりました。
秋の気配が感じられるようになりましたね。
でも、いよいよこれからが台風シーズン🌀
4年前の広島土砂災害。
先日の西日本豪雨。
自然災害の前では、本当に私たちは何もできないのでしょうか?
自然の力を侮らず、見くびらず、謙虚に思慮深く・・・
それが私たちにできる、最大の防御・防備、、、なのかもしれません。
さて、我が家の本棚には、ビクトール・フランクル著「夜と霧」が2冊並んでいます。
1冊は、フランクルに実際に会って来られた、恩師霜山徳爾先生のもの。
もう1冊は、池田香代子さんのもの。
霜山先生が訳されたものは、戦後ずっと読み継がれてきました。たとえどんな極限状況であっても、「最後まで自分がどう生きるかを選択する自由は決して奪われない」という人間の尊厳が描かれたこの翻訳本は、最初に手にとった、当時中学生だった私には難しすぎて、最後まで読み終えることができませんでした。
そして、数年後、まさかその霜山先生のゼミで臨床心理を学ぶことになるなど、夢にも思っていませんでした。
グリーフケア研究所時代にブックレポートの課題として出された時、とりあえず、なんとか提出するために、読みやすくなったと評されていた池田香代子さんの改訳本を新たに手にしました。
8月17日の毎日新聞に、この池田香代子さんのお話が載っていました。
前訳者が存命の間は勝手に改訳してはならない、という翻訳界の不文律にもかかわらず、霜山先生からは(フランクルが出した改訂版を)「今すぐ訳してください。私は末期のがんなのです。」という返答がすぐにあったそうです。この返信に、声を上げて泣いたと書かれていました。しかもそれだけではなく、池田さんの新訳版に「旧版訳者のことば」まで寄せてくださったそうです。
霜山先生は、戦時中軍医として旧海軍の鹿屋航空基地(鹿児島県)に赴き、特攻隊の出撃を見送ったというお話は、以前伺ったことがありました。
その寄せられた、旧版訳者のことばの中には、そのような作戦を遂行した軍上層部への怒りがつづられています。
もしかしたら、その時の、2度と生きては戻らないであろう若者たちを見送った思いが、東洋英和の大学院に「死生学」を立ち上げる原動力になったのかもしれない・・・と想像するとこみ上げてくる思いがあり、再度霜山先生訳の1冊も、40年の歳月を経て、ようやく読破することができました。
池田さんが霜山先生を訪ねる前に、先生は亡くなりました。
その時「会いたいと思った人には会っておかなくちゃ」と肝に銘じた、と書かれていました。
私の両親は、ある日突然倒れたり、亡くなったりしました。
それなりに長かった人生、会いたかった人も、会いにきて欲しかった人もいただろうに、、、と思うと、胸が痛みます。
私も、両親を見送った後、「会いたい人には、会えるうちに、会っておこう!」と強く思うようになりました。「いつか・・・」はいつまでも続くものではないから、と以前書いたこともあります。
転校を繰り返していたため、もう2度と会えないだろうと諦めていた、小学校時代のクラスメートにも会うことができました。40年ぶりの再会は、タイムスリップしたような不思議な、そしてあったかい空気に包まれていました。
あの時言えなかった「ありがとう」とか「ごめんね」って言葉が素直に言える歳になったのかもしれないね、という旧友の言葉に、ちょっとウルッ(;_;)ときてしまいました。
ということで、今日も同窓会お料理教室(^_^)/
焼きナスのペースト
ナンに付けていただくと、本当に美味!!
とうもろこしバター炒め(ナンプラー風味)
ゴーヤサラダ&パッタイ スイカゼリー(ココナッツソースがけ)
今日も懐かしい話に花が咲き乱れ、元気をもらいました(*^^*)