こんばんは!高尾です(^^♪
毎日寒いですね(。>﹏<。)
今週末、きっともっと寒い京都でセミナーです💦
30年以上も前の話になりますが、卒業論文を書きました。
私は心理学科の学生で、専門は臨床心理でした。
題目は「言葉を持たない自閉症児の日常生活における諸問題」。
ゼミの先生は「夜と霧」の翻訳者でもあり、当時上智大学心理学部で名誉教授をされていた霜山 徳爾教授でした。
私が受け持った可愛いクライアントさんは、当時4歳だった亮介くん。
お母さんはその時28歳。2歳の弟くんがいました。
週に2〜3回ご自宅に通わせてもらい、かなりの長い時間を共に過ごしました。
亮ちゃんの病気がわかったのは、彼が2歳の時。当時、ようやく自閉症の原因が脳の損傷によるものだということがわかってきたところでした。でも、周りからの偏見の目や、かけられた言葉に随分と傷ついていらっしゃいました。
お母さんはいつも「自分達の方が先に死ぬから、その後のことが心配」「弟一人に負担をかけるのが不憫」と学生の私に心の内を打ち明けてくれました。私はどう答えたらよいのかわからず、黙って聴くことしかできませんでした。
連れて行って欲しい所がある、と一緒に銀座に繰り出してご飯を食べたり、私が亮ちゃんとお留守番をして、お母さんと弟くんが初めて二人でお買い物にでかけたり・・・
卒業してからも一緒に病院に連れて行ったり、3番目のお子さんを授かった時には「産む、産まない」の親族会議に呼ばれたり。。。絶対に私の味方になってね、と言われたことが忘れられません。
障がいを持ったお子さんがいると、そうでない人にとってはなんでもない当たり前のことが、できなかったりします。でも、その逆もあるのかもしれない、、、と、私はそのご家族を見ていて思ったりしています。
亮ちゃんは話すことはできなかったけれども、とっても優しくて、澄んだ瞳の持ち主でした。行く度にギュッと抱きついてきてくれて、大好物のおやつを分けてくれたりしました。
いつか自分に子供が生まれたら、絶対に「亮」という名前をつけようと決めました。
だから、我が家の長男は「亮」といいます(^_^)
4歳だった亮介くんも、今は38歳。授産施設で働いています。お給料でお母さんにジュースをご馳走してくれたりするそうです。
大変なこといっぱいあっただろうけど、でも彼のことを話す時、お母さんはいつも笑顔です。
答えが出るものではないけれども、先週の「コウノドリ」の出生前診断の論争を観て、ふと亮ちゃんとの日々を思い出しています。