遠藤周作と神と死と・・・

こんばんは!高尾です(^^♪

今日は気持ちのいい、五月晴れの1日でしたね!

さて、昨日に引き続き、長崎滞在記です(^^)

 黒崎の地に建つ、遠藤周作の石碑

「沈黙の碑」
人間が
こんなに
哀しいのに
主よ
海があまりに
碧いのです  遠藤周作


テラスから、海を臨む
 館内から海を臨む

 

 

グリーフケアでも大切なことのひとつ

「あなたは一人ではない」ということ

 


沈黙という「言葉足りえないもの」の中から何を見い出すか。。。


捨てない棄てない
どんな自分であっても、どんな人生であっても
受け容れ、背負うこと
それが「愛のはじまり」


出会いは「偶然」ではなく、おおいなる方による「必然」

「死は終わりではない」
年をとってきたり、もしくは若くても思いがけない不幸や病気に出逢ったりした時、亡くなった貴方の愛していた方々がずっと貴方の中で生きつづけていて、貴方を守っていてくださったのだときっと気付かれると思います。
「愛する人を亡くしたのはお前だけじゃないんだ!しっかりしろ!」と
主人の臨終の時、私は主人から逆に勇気をもらいました。
愛する人を失った悲しみから人間が立ち上がった時、亡くなった方はその人の心の中で、現世の時のまま生きつづけていることを誰もが実感すると思います。

遠藤順子『夫の宿題』

自分の人生をふりかえり、この年齢になってみると、私はかつて冒した愚行も、かつて私の身に起こった出来事もーーたとえそれがそのまま消えてしまうように見えたものでも、決して消えたのではなく、ひそかに結びあい、からみあい、
そして私の人生に実に深い意味を持っていたことに気づくのだ。
私の人生のすべてのことは、そう、
「ひとつだって無駄なものはなかった」と
今にして思うことができる。

「マイナスを利用する」『生き上手死に上手』

私が、宝塚の小さな丘の上の中学校に入学した時の校長先生(シスター)は、遠藤周作さんのいとこでした。お顔がそっくりで驚いたのを覚えています。
そして、遠藤周作さんのお母様は、ご主人様と離婚された後、生計を立てるために、私の母校の音楽教師として働いておられたそうです。

私が初めて手にした遠藤周作の著書は「おバカさん」でした。
今なら、そのおバカさんがイエスを描いていたのだということに気づけたかもしれませんが、その時はなんだかオチのない、不思議な本だなぁ、としか思えませんでした。

多くの病を背負った彼が、病の苦しみを抱える人たちへ向ける眼差しは、苦しいのは自分ひとりではない、という「苦しみの連帯」という温かな愛情であり、それとともに、自身の闘病生活で実感し見い出した、苦しみを通して他人と結びつくことの必要性「弱者への共感の眼差し」へと繋がっていきました。

映画「沈黙」を観た後の、あのなんとも言えないモヤモヤとした気持ちが、その舞台となった地を巡ることにより、また、彼の人生を顧みることができたことにより、「信仰」とはなにか、「神の沈黙」とはなんであったのか、、、ということを再び思い巡らせてくれ、少しモヤが消え、様々な思いが深まったように感じました。そして、グリーフケアに繋がるなにか、、、も見えてきたように思いました。

ところで、世界三大夜景、ご存知ですか?
香港、モナコ、そして長崎の稲佐山だそうです。
1日晴天で、空気が澄んでいて、風が強い日は、眺めがいいそうです!
ということで、夜景ツアーにも参加してきました。


観たようには撮れません💦
雰囲気だけでも・・・

 

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