遺された者の使命とは・・・

こんばんは!高尾です(^^♪

少しずつ冬の到来を感じさせるような冷たい空気が、朝晩は流れるようになってきたように思います。

先日整体の先生に、「身体がまっすぐになって、首がスッと伸びてきましたね。」と言っていただきました!肋骨が緩んできて、呼吸も楽になってきました。地味〜な体操?ストレッチ??を毎日毎日地味〜〜に続けてきた結果です\(^o^)/

身体が楽になってくると、気持ちに余裕が生まれてきます。

 

材料を揃えて・・・

 

焼き上げました!

やっぱり身体の不調が続くと、何もかもが面倒で嫌になってしまいます。仕事はなんとかこなせても、それ以外の時間は何もしたくない→じっと、ぼーっとしてしまう→身体が鈍る→更に体調が悪化する→・・・と、負の連鎖が続きます。
どこかで、その連鎖を断ち切る勇気とそれを振り絞る気力が必要なのだと思います。
美味しいものは、こころも身体も緩めてくれます(๑´ڡ`๑)
そして、そこから新たな気力が生まれてくるのだと感じています。面倒くさいと思って遠ざかっていたお菓子作りも、久しぶりにやってみると、自分を豊かにしてくれる時間だということに、あらためて気づきました。

亡くなる方がいれば、そこには遺される方がいます。

「ひとりの人の死は悲しい
 しかし、残された私が
 そのことから何も学ばず
 何ひとつ新しく生み出せないとすれば
 それは、もっと悲しい」

これは、浄土真宗のお寺さんからいただいた御言葉です。
グリーフケアに携わるに当たり、その指標となる、大切でありがたい御言葉です。

大切な人を亡くすということは、本当に悲しくてつらく苦しいことです。
でもそれは、当たり前のことなんだと思います。その方が大切な方であればあるほど、自然なことなんです。だから、悲しみは悲しみのままでいいのではないでしょうか。。。悲哀と慈しみは表裏一体、背中合わせなのですから。

亡くなる方も無念だと思います。もっと一緒に生きたかったと思います。
でも、だからといって、ずっと「可哀想な人」と思われ続けるのは、もっと無念だと思います。

亡くなった方の人生が「可哀想なまま闇に葬られる」か「生き生きと輝くものとして人々のこころの中に生き続ける」かは、遺された者のその後の生き方次第だと思うのです。どのように亡くなったかではなく、どのように生きたか、、、を大切にして、その方が全うした、生き切った人生を尊重し、尊厳あるものとしてこころに刻んでいくことは、遺された者の使命だと私は信じています。

「悲しんでもいいけど、あまり嘆かないで」

悲しみは、亡き者との出逢いの場です。深めれば深めるほど、亡き者が近くに感じられるようになります。
でも、嘆きは、大きければ大きいほど、その声や姿をかき消してしまいます。せっかく大切な人の魂が側で語りかけてくれているのに、その言葉が聴こえなくなってしまいます。そして、その魂の存在を感じられなくなってしまうのです。

どうか、悲しみを嘆かないでください。その悲しみの中から、遺された自分に今できることを見つけ出してみてください。悲しみは決してなくならないけれども、その中に一筋の光を見い出すことができたとしたら、道は開かれると思います。一人ではとてもしんどい作業です。だからこそ、そのお手伝いをさせていただく、我々グリーフカウンセラーがここにいるということを、どうぞ忘れないでください。

今日は、キャンドルのai先生と、ワークショップの打ち合わせをしました。

でもその前に、近くのメキシコ料理のお店で、巨大なラップロールをいただきました(๑´ڡ`๑)

少しずつお店にも人が戻ってきて、お昼の時間帯は賑わっていました。

 

その後、場所をカウンセリングサロンに戻して、打ち合わせ開始!
ワークショップの当日、皆さんにお出しするお紅茶の試飲と”別腹”のスイーツ🍰☕

今回のお紅茶はこれ!

ざく切りオレンジや丸く愛らしいピンクペッパー、甘いシナモン、そしてエキゾチックなクローブと爽やかなカルダモン…
とってもスパイシーな香りが部屋中に広がりました。
スイーツとの相性もバッチリ!!

 

今回教えていただく「プレゼントキャンドル」は、あまりにも可愛くて素敵で、今までの生徒さんたちも、一つはどなたかにプレゼントするけれども、後は手元に置いて、でも、もったいなくてとても火が灯せないでいるそうです。
そんな素敵なものを、ご自分の手で作ることのできる幸せを感じていただけたらと思います。

こころも身体もほっこりと温まり、ますます今回も楽しみになってまいりました(*^^*)

 

 

 

 

 

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