阪神大震災に思いを寄せて

こんにちは!高尾です(^^♪

23年前の昨日、阪神大震災が、私の故郷宝塚をも襲いました。

あの年の新年、次男がお腹の中にいたので、安産の神様で有名な中山寺にお参りし、検診のために地震の直前にこちらに戻ってきました。

あの日の明け方、あまりにも次男がお腹を蹴り続けるので、寝ていることもできず、真っ暗な中起き出し、ストーブの前でボ〜〜〜っとテレビを眺めていました。

突然のできごとでした。
東灘区が炎に包まれ、阪神高速が崩落している様子が映し出されました。最初は何が起こっているのかもよくわからず、とにかく実家に電話をかけ続けました。とりあえず、生きていることはわかりましたが、本人たちも真っ暗な中で何がどうなっているのかよくわからず・・・

あの日、形あるものは、みごとに全て壊れました。

お金をかけて手に入れ、大切にしていたものも、ただの我楽多と化しました。

そして、両親たちの命を救い、生きる希望を与えてくれたのは、目には見えないもの・・・周りの人たちとの助け合いの気持ち、お互いが生き延びるための思いやり、有形無形の援助をしてくださった方々の温かいお心遣いでした。

人生も、人生観をも、一気に変えてしまったできごとでした。

あの時お腹の中にいた次男坊が、今年23歳になります。
長い年月が流れました。
でも、まだまだ、あの時、あの朝のまま、、、の方もたくさんいらっしゃると思います。

災害遺児の方の言葉が心に残っています。「パパやママに早く迎えにきて欲しいのに、なかなかきてくれない。やらなければならないことが、まだあるからなのかな・・・」「やらなければならないことって?」「それをみんな探しながら生きてるんじゃないですか。。。」

親になった今でも、パパやママとの突然のお別れを受け容れらずにいる遺児の方はたくさんいらっしゃると思います。
それでも、ちゃんと23年間生きてきたという証を、どうか伝え続けていってほしいと思います。

自然の中で生かされている私たちは、その猛威の前では何もできないかもしれません。でも、大切な人の死を経験し、いつお迎えがきてもいいと覚悟を決めて生きていくという道もあるということ。。。
そして、実は常に死と隣り合わせで、今生きているということ自体が奇跡の連続だということをどこかで感じながら、その時その時を大切に生きていきたい。。。

だからこそ、「置かれた場所」で咲けるように、今自分にできることを探し続けたい、とあらためて思い起こさせてくれた、震災の日でした。

 

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