8月がくるたびに

こんばんは、高尾です。

今日は広島原爆の日です。

大学卒業の年、卒業旅行で訪れた長崎の原爆記念館で、あまりにも悲惨な出来事を目の当たりにして、声を発することもできませんでした。
息子たちは修学旅行で広島に行きましたが、私は広島市内には入ったことがありません。

結婚する時、主人の父が広島出身ということは知りませんでした。
義父は、投下翌日に親戚を探しに広島市内に入り、被爆したそうです。
しかし、その時の様子はあまりにも酷過ぎて、1度も口にすることはなかったと聞いています。
10年ほど前に亡くなりましたが、晩年には身体はガンのデパートのように蝕まれ、最期は随分と痩せてしまいました。

息子は、被爆された方からお話を伺った時、自分が「被爆3世」であることに、あらためて衝撃を受けたようです。73年の月日が流れても、被爆者たちの血は脈々と受け継がれているのです。決して過去のできごとではなく、今も、そしてこれからも、2度とあってはならない出来事を経験したこの国の者たちが、73年前の事実や被爆された方々の強い思いを語り継いでいかなければならないと思います。「核廃絶を世界に」それが、唯一の被爆国である私たちの使命だと思います。

松井市長は平和宣言で、「あなたや大切な家族がそこにいたらと想像してください。」と呼びかけました。それぞれが、平和な世界で幸せに暮らしたい、という強い思いを持つことが、自分や大切な家族を、あの惨たらしい出来事から護る1番の武器となるのではないでしょうか。。。

小学校3年生の時に「8月がくるたびに」という本を読んで、こんな恐ろしいことが本当にあったんだ、と、息ができなくなるほど驚いたことを覚えています。
私たち戦後生まれは、戦争を直接体験したわけではないけれども、両親から戦時中の話を聞く機会はたくさんありました。私が1度も会ったことのない母方の祖父は、中国で戦死して、今は靖国神社で静かに眠っています。今はこんなに平和なのに(戦争がない、という意味で)たった1世代、2世代上の、こんなに身近な人たちが犠牲になっているという事実に困惑してしまいます。
このような、「死」が特別な出来事ではなくなってしまったような日常の中で、人びとはどんな思いで生きていたのだろう、、、と思いを巡らせてしまいます。たとえどんな時代であっても、人のいのちの重さは同じはずだから、きっときっと、大きなグリーフを抱えながら、それでも命ある限り、大切な人の魂の存在を信じることで、懸命に生き続けることができたのではないでしょうか。

8月がくるたびに、いろんなかたちの、いろんな人の、消えていったいのちのことを思います。

 

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