養護施設に懸けた思い

こんばんは!高尾です(^^♪

昨日から、かなり強い痛み止めの薬を服用しています。
10人に1人は激しい嘔吐の副作用があると先生に言われ、飲む前からなんだかムカムカ、、、こんなにドキドキしながらお薬を飲むのも初めてだったかもしれません(^.^;
が、とりあえず、いまのところ大丈夫そうです(^_^)/

入院中に、養護施設の施設長が元入所者に殺害されるという、なんとも痛ましい事件が起こりました。

以前も書いたことがありますが、高校生の時に、神戸の山手にある養護施設にボランティアで通っていました。そこでは、様々な事情で両親の下で生活できない、生後間もない赤ちゃんから、義務教育の終わる中学3年生までの男の子たちが、ひとつ屋根の下で生活をしていました。

私が通っていたのは、小学生のフロア。1年生から6年生まで数名ずつの班を作り、大きい子たちが小さい子の世話をしながら寝食をともにしていました。私が担当したのは高学年の男子2人。隔週で勉強を教えに行っていました。

施設の先生から最初に厳しく言われたことは・・・
・家の事情は聞かない
・手紙を書いたり、という個人的な関わり方はしない
・小学校を卒業したら、施設内で見かけたとしても絶対に声をかけない
・住所や電話番号などの連絡先は決して教えない
・必要以上に優しくしない
理由は・・・
・中学を卒業したら、退所して厳しい世の中で働かなければならない
・連絡先を教えたら、迷惑をかける可能性がある
・優しくされると期待してしまう
・退所後、ほとんどの子どもがうまく社会に適応できない
でした。(と覚えています)

中でも、ここを出ると多くの子がささくれだってしまうので、迷惑をかけられないように細心の注意を払うこと、という言葉が衝撃的でした。私たちが女子高生であることへの配慮でもあったと思います。
優しくしない=期待させない=結局私たちにはなにもできないのだから無責任な態度はとらない、という意味だったのだと思いますし、その時は大人の言うことはちゃんと聞かないと・・・と納得させたのだと思います。そして又、彼らのことを信じきることのできない私がいたのだと思います。

毎回、本当に楽しみに待っていてくれて、勉強を教える以外の子供たちとも体当たりで遊んだり、一緒におやつを食べたり、、、という時間を過ごしました。
運動会にも呼ばれて、両親が観に来てくれない分、ボランティアのメンバーで精一杯応援しました。みんな、嬉しそうに張り切って動き回っていました。「応援に来てもらうのなんて初めてだから・・・」私にとっては当たり前のことが、この子たちにとっては当たり前でない、という現実を突きつけられたようでした。

2年が過ぎ、私の大学進学を機にお別れの時がやってきました。最後の授業は、「ねえさん、もう引っ越しの準備終わったの?」となんだか二人とも怒ったような態度でした。何年か後に、先生から彼らの家の事情を聞かされた時には、その過酷な環境に声も出ませんでした。そんな事情を抱えながらも、いつもニコニコ笑って接してくれていたんだ、、、と自分の稚さを恥じました。
私たちの週に1回の優しさは、彼らにとっていったいなんであったのだろうかと、いまだに思います。

命を落とされた施設長は私たちとは違って、生活をともにしながらご自分の全てを懸けて愛そうとされていたのだと思います。そのくらい心血を注いでいた故人の思いを、ご友人がFBで代弁されています。「施設に恨みをもっていた・・・」家族であれば、許し許されることも、他人同士だと、残念ながらそうはいかないことがあるということなのかもしれません。加害者は、厳しい社会の中に放り出されて、孤独という魔物に棲み着かれたのかもしれません。それでも、最後に足を向けたのが、唯一彼の居場所であったその施設だったということは、故人の思いが少なからずも彼のこころに届いていたからではないか、、、と私は思いたいです。

 今日も1日中コタと一緒U^ェ^U
安心したのか、私のお隣で、いびきをかきかき爆睡中です(-_-)zzz

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