久々にグリーフカフェを開催いたします

こんばんは!高尾です(^^♪

8月も終わろうとしているというのに、この猛暑は勢いが止まりません^^;
どうか熱中症を軽く見ないで、かといってあまり恐れずに、対策をしっかり取って過ぎゆく(はずの・・・)夏を楽しんでください。

さて、Be-ingとしてはコロナ前以来久しぶりとなるグリーフカフェを開催する運びとなりました。
今回は開催を望まれる声の多かった、流産・死産を経験された方々に開かれた『Tiedeurのお茶会』です。

Be-ingの中でもデリケートな領域のグリーフとして対峙してまいりました、体験したものにしか理解し得ないまだ見ぬ小さな命を巡る喪失感は、「あやふやなグリーフ」と捉えられています。この世で出会うことのできなかったそのいのちの存在は、母親であるがゆえに強く感じることのできるものだったと思います。
だからこそ、そのいのちを喪ったかなしみは周囲にはなかなか理解してもらえず、その想いを語る場所を見つけることが困難であるのかもしれません。

ずっと抱えてきたその切なさややるせなさを同じ経験をされた方々と分かち合うことにより、「自分だけではなかったんだ」「わかってもらえる人がいるんだ」という一筋の光へと繋いでいただければと思います。

私自身も2度の流産を経験し、絶望とともに生きた日々がありました。
ファシリテーターというよりもお仲間として、一緒に慰められる時間を過ごしたいと思っております。
気持ちがふわっと柔らかくなるような絵本の朗読や、優しくとろけるジェラートのおやつタイムを交え、最後には届けたい想いを手紙に綴る静かな時間をお過ごしください。
こころの拠り所になれるような、安心・安全で温かな場所となれますよう、準備してお待ちしております。

お申し込みは「イベント予約」よりお願いいたします。

♪心の瞳♪

こんにちは、高尾です。

あの御巣鷹山の惨事から、40年という長い長い年月が流れました。
あの時亡くなった同級生や後輩たち。今なにを想っていることでしょうか。

節目の年だからということで、今年は報道番組で大きく取り上げられています。我々の想像を遥かに超える現場の惨状を脳裏に刻み、決して忘れることなく生きてこられた方がたくさんいらっしゃいます。その事実を語ること、知らされることが正解かどうかはわかりませんが、2度と起きて欲しくはない出来事として胸に刻むことは大切なことなのだと受け止めています。

坂本九さんの遺されたご遺族が頻繁にメディアに登場されています。かなしみに打ちひしがれる中、亡くなる直前にラジオでたった1度だけ流れたという「♪心の瞳♪」が、結果的に彼女たちをどん底から救ったそうです。以前、ピアノの発表会で生徒たちと演奏した曲でもあります。素晴らしい詩が、こころに響くメロディーに乗って胸に押し寄せてくるような作品です。
音楽の底しれぬ力が、人のこころを慰め、勇気を与え、生きる希望へと導いてくれたのです。

『心の瞳』 作詞荒木とよひさ/作曲三木たかし 1985/5/22発売

心の瞳で 君を見つめれば
愛すること それが
どんなことだかわかりかけてきた
言葉で言えない 胸の暖かさ
遠まわりをしてた 人生だけど
君だけが いまでは
愛のすべて 時の歩み
いつも そばで わかち合える
たとえ あしたが 少しずつ 見えてきても
それは 生きてきた 足あとが あるからさ
いつか 若さを 失(なく)しても 心だけは
決して 変わらない 絆で 結ばれてる

夢のまた夢を 人は見てるけど
愛すること だけは いつの時代も
永遠((とわ)のものだから
長い年月(としつき)を 歩き疲れたら
微笑みなげかけて 手をさしのべて
いたわり合えたら
愛の深さ 時の重さ 何も言わず 
わかり合える
たとえ 過去(きのう)を 懐かしみ ふり向いても
それは 歩いてた 人生が あるだけさ
いつか 若さを 失(なく)しても 心だけは 
決して 変わらない 絆で 結ばれてる

愛すること それが 
どんなことだかわかりかけてきた
愛のすべて 時の歩み
いつも そばで わかち合える
心の瞳で 君をみつめれば・・・・・

「頑張って生きてきたけど、この日だけは涙が流れてしまう」
きっと多くの方々が流された涙が、お盆で戻ってきているたくさんの魂への供物となったことでしょう。
決して事故を忘れないこと、突然奪われた数多くのいのちが確かにこの世に生きたという証を忘れないこと、私たちにできることはそのくらいだけれども、とても大切なことだと思うのです。

御冥福をお祈り申し上げます。

知らなくてもいいこと

こんにちは!高尾です(^^♪

またもや随分と間があいてしまいました。
ゴールデンウイークから紫陽花の季節にかけての鎌倉の人の多さには、驚きを通り越して恐怖さえ感じました。
今年の紫陽花は、梅雨だというのに雨も降らず、真夏のような日差しにさらされて色褪せてしまい可哀想でした。
やっぱり紫陽花には雨がよく似合う、、、と思ってしまった、今年の紫陽花シーズンでした。

昨夜の大雨で少し元気を取り戻したテラスの草花たち。


ほんのひと昔前は、どんなに日中暑くとも夕方になるとサーっと夕立がきて、その後は空気がひんやりと涼しくなり、ホッと一息つく時間がありました。

それが今は、朝も夜もムッとした空気が立ち込めるだけになってしまい、心身が休まる暇がありません。
どうぞ、ご自身の体力気力を過信せず、時にはゆっくりと休む時間を作って差し上げてください(*^^*)

さて、ゴールデンウイークの異常な人出に疲れてしまったのか、息苦しさと動悸、めまいを感じながら過ごしていました。が、どうにもこうにも辛くて5月の中頃循環器内科のある病院を受診してみました。
息苦しさの原因は不整脈で、念の為と検査を進めていった結果、先天性の心疾患があることを告げられました。なんと私は60年以上もの間、自分の心臓に穴が空いていることを知らずに生きてきたようです💦今回CT検査をして初めて、右心房と左心房の間に穴が空いていることがわかり、なにかがヒョロヒョロと流れている画像を見せられました。今更穴が空いてるって言われてもな・・・と思うとともに、なにも知らずに心臓にかなりの負担がかかるであろうあんなことやこんなことをやってきてしまって、よく頑張ったよね私の心臓、、、と褒めてやりたい気持ちでいっぱいです。

ここまで知らずに生きてきたわけなので、そして何事も起きなかったわけなので、知らぬまま生きていくことはできたかもしれません。知らなくてもいいことってあるのかもしれません。ただ知ってしまった以上、知らん顔はできないわけで、できる限りのことは、、、と思っています。心臓が止まることは、即ち死を意味します。ドクターの話によると、知らぬまま生活を続けている人が突然死を迎えるケースが多いそうです。だからこそ、知るということが自分のいのちを護ることにつながるのです。今回は不整脈が教えてくれたんだと、有り難く受け止めています。

今までも「死んでしまうかもしれないほどのストレス」を抱えながら仕事をやっていたこともありました。が、それどころではない、本当に心臓が止まってしまうかもしれないという死の恐怖と向き合わねばならなくなりました。
何事もなく平穏無事に過ごせることが、実は驚くべきことだということ、そして自分のいのちの限りが本当にあるんだということを実感させられています。

6月を鎌倉のサロンで迎えるのは初めてでしたが、真夏を思わせるような暑さの中たくさんのお客さまをお迎えいたしました。21日に開催された「絵本と対話のワークショップ」では、一冊の絵本の朗読から、哲学のプロの導きにより、こんなにも様々な方向への対話が生まれ、広がることの面白みを体験しました。そして、プロの方の朗読の凄みのようなものに引き込まれ、絵本の奥深さをこんなにも間近で感じることができた幸せな時間でした(*˘︶˘*).。.:*♡

少し早い夏休み。箱根の山ではなぜか「カナカナカナ」とひぐらしが鳴いていました^^;
下界よりは少し涼しいせいか、色とりどりの紫陽花がアチラコチラに伸び伸びと咲いていました。

「いのちの洗濯」無事終了です!
暑い中、先週も街かどグリーフサロンに連日何人もの方が来室してくださいました。
これからどう生きていきたいのか、生きていくために自分の物語をどのように書き換えていけばよいのか、亡くなった方の存在を自分の人生のどこに置き直せばよいのか、遺された者同士、お互いのグリーフとどう向き合っていけばよいのか、などなど、時に涙ぐみながら、時に遠くを見つめながら、そしてうんうんと自分に言い聞かせるように頷きながら・・・
答えはご自分の中にしかありません。答えを出すのもご自身です。ここは、かなしみで頑なになってしまっているこころを緩める場所です。答えを見つけるために、泣いても怒ってもそして笑ってもいい、安全・安心な場所でもあります。もしも、重たい荷物を少しでもおろしていただけたとしたら、サロンがここにある意味が深まります。
私にとっても、1周年をこえた先もグリーフサロン本来の活動を続けていくことの大切さを胸に刻むことのできた、場所でありいい時間でした。

『絵本と対話』わくわくの第二弾です!!

こんばんは!高尾です(^^♪

まるで入梅したかのようなスッキリとしないお天気が続いています。
こういう時は自律神経がやられてしまい、不定愁訴のような体調不良が続いている方もおられると思います。

私も先日、息苦しさとそこからの気が遠くなるようなめまいに見舞われ、少々パニックに陥ってしまいました😥
様々な検査の結果、不整脈が出ていて脈が飛ぶ度に息苦しさに襲われていたことがわかりました。久しぶりに血液検査やレントゲン検査、装置を身体につけて24時間心電図を取るホルター検査、そして来月には心臓のエコー検査。
ここ何年も忙しさにかまけて、健康診断やがん検診をサボっていたツケが回ってきたのだと思います。
今のところ、幸い大きな病気は見つかっていないので、しばらくは様子見です。ドキドキしながら、ですけど・・・

さて、「絵本と対話のワークショップ」の第二弾の開催日が来月に決まりました!
前回開催した際に、ぜひ続けていって欲しいとの嬉しいご要望が多かったので、定期的に開催することになりました\(^o^)/

場所は、街かどグリーフサロンの『絵本deカフェ&綴処』となります。

 

 

今回は、鎌倉の夕暮れどき ”宵の口” の静かな時間の流れを、絵本の朗読を通じて体感していただければと思います。

朗読を聴いて絵本をじっくり味わう時間として…
感じたことをぽつぽつと話しながら、自分自身と向き合ったり考えを深めたりする時間として…
絵本と対話そして1杯のジェラートが、あなたの心をほぐすきっかけになりますように。

■日時
 2025年6月21日(土)17:00~19:00
■場所
 街かどグリーフサロン Teahouse AlonAlone
 〒248-0005 神奈川県鎌倉市雪ノ下1-2-5テラス雪ノ下101
■定員
 5名(予約制・先着順)
■参加費
 1,500円/人(1ドリンク+おいしいジェラート付き)
■申込方法
 本投稿のリプライまたはメッセージ(DM)でご連絡ください。

https://www.instagram.com/p/DJ-5A5XyEFV/?img_index=1

instagram(@alonalone_kamakura)の⬆️からDMにてお申し込みください。

この季節、古都鎌倉はきっと街中が紫陽花の花々に彩られていると思います。
15時頃に鎌倉駅に降り立ち、非日常の入口として、駅近くの妙本寺さんの山紫陽花を堪能されてからお越しになるのもよいかと思います。

お申し込み、お待ちしております(^^)/

最後の生徒を見送りました🎹

こんばんは!高尾です(^^♪

前回書いたブログが3月12日なので、ずいぶんとご無沙汰してしまいました😅
2017年の10月からこのブログを書き始めましたが、初めてひと月に1度も投稿できない💦という事態となってしまいました(T_T)
慣れないカフェ事業をこなしながらのグリーフサロン運営。
完全にキャパオーバーの日々を過ごしております(~_~;)

そんな中ではありましたが、先日最後のピアノの生徒を社会に送り出しました。

最後の演奏会の演目は、ドビュッシー作曲の連弾2曲とソロ「月の光」。

彼女はピアノを始めたのが比較的遅くて、小学校の3年生くらいだったでしょうか・・・
1998年からピアノを教え始めて28年ほどになりますが、幼稚園から大学卒業までの18年もの長い間を通い続けてくれた生徒が何人もいました。
芸事は今の世の中ではとても厳しく感じられるけれども、それでも毎週毎週通ってきてくれる子どもたち、その中でも辞めずに最後まで通い切った子どもたちには、ある共通する要素があると感じています。
それは『素直であること』に尽きるのではないかと・・・
「あっ、そうか」「そうなんだ」「じゃあ、やってみようかな」みたいな。
「でも」「だって」のない子どもたちでした。
何かを学ぶ時、誰かから教えてもらう時、言われたことを素直に信じて吸収していける子どもと、先程の「でも」「だって」が立ちはだかる子どもとでは、明らかにピアノとの向き合い方に違いがありました。真摯に向き合う生徒を前にすると、教える側の私も背筋が伸びる思いでした。

最後の演奏会に両親を招待したいとの彼女の深い思いを叶えるが如く、我が家のレッスンルームにお招きしてのラスト・コンサートとなりました。
理系の大学に通いながら、そして就活の合間を縫いながらのレッスン♫
私もレッスンのために毎週自宅に戻って、連弾を一緒に頑張りました!

そういえば、初めての演奏会も自宅のリビングでした。
そして最後の生徒を見送る演奏会も自宅のレッスンルームに戻ってきました。

一生懸命演奏する我が子を見つめるご両親。
ここまで大好きなピアノを、何があっても諦めずに続けてきた我が子への愛情で満ち満ちていました..:*♡

音楽には、こころが折れそうになった時、希望や夢や勇気をもたらしてくれるパワーが溢れています。歌や演奏に何度も救われたという経験、きっとあると思います。鳥肌が立つほどの不思議な感覚を覚え、なぜか涙が溢れたという経験もあると思います。そこには、言葉足りえない、言葉にすることのできないほどのなにかがあるのだと思います。

その音楽の魅力・魔力を30年近くも地域の子どもたちと分かち合えてこられたことをこころの糧として、ここで一旦ピアノ講師の職を辞そうと思います。

コロナで集うことが叶わなかった年を除いて、毎年毎年行ってきた演奏会♪
あの情熱とパワーはいったいどこから?というほど毎回持てる力を振り絞って、記憶に残るたくさんの場面を生み出すことができました。

私にとってもかけがえのない日々だったと、今更ながら感慨に浸っております。
不器用ゆえに、ふたつのことをふたつとも大切にしながら取り組むことが難しくなってきたこともあり、少しずつ生徒を減らして今回最後の生徒を見送ることとなりました。
子供の頃から、ずっと憧れだった「ピアノの先生」にしてくれてありがとう(*˘︶˘*).。.:*♡
これからは弾きたい時に弾きたい曲を楽しみながら演奏できればと思っています♬

『音楽とスピリチュアリティ』
こころ震わせるようなこの素敵な音楽というものが、辛くかなしく苦しい日々を送っておられる方々の力となれるような、そんな場所にAlonAloneがなれることを願っております。

絵本と対話のワークショップ

こんばんは!高尾です(^^♪

三寒四温とは言いますが、明日は20℃近くまで上がって、日曜日には2月ごろの気候に戻るそうです😅
冬服を仕舞わないでください!と天気予報で言っていましたが、そういえば、昨年の秋には夏服がなかなか片付けられませんでした。
そのうち、夏と冬の二季になってしまいそうな勢いですが、それでも春の匂いがしてくるのは嬉しいものです🌸

さて、今月29日(土)の午後のひととき、「絵本と対話のワークショップ」にいらっしゃいませんか?

どんな絵本か?は当日のお楽しみとさせていただきますが、以前「絵本の花束」でもご紹介したことのある、う〜〜んと唸ってしまう逸品です。
『対話集団ごはんとみそ汁』の、朗読のプロでもある松崎先生と対話を引き出すマジシャンのような浅野さんによる「おとなと本、わたしと対話」をテーマとするワークショップです。

おとなになってから、誰かに絵本を読み聞かせてもらう機会はあまりなかったのではないでしょうか。文字を目で追わなくていい分、ゆったりと絵を眺めたり、耳から入ってくるここちよい言葉の響きやリズムに感じ入ったり、おとなの読み聞かせにはおとなの楽しみ方があると思います。
そこに、とろけるジェラートとキャンドルがいい脇役として登場するわけです。ジェラートでこころのわだかまりをとかし、キャンドルの炎に薪をくべるように言葉を置いていく。

絵本と対話とジェラートとキャンドル

気忙しい日常から少し離れ、気持ちがとろけてほどけていくここちよさを感じていただけますように・・・
そのきっかけ作りとなれたら嬉しいです(^^)/

三月十一日を語る会

こんばんは。高尾です。

本日、予想を遥かに超える方々に集まっていただき、予定よりも狭くなってしまった「絵本deカフェ&綴り処」のお部屋で、『三月十一日を語る会』が開催されました。通りすがりの方にもご参加いただき、大変嬉しく思っております。

「今、話したいこと」を言葉にする側、そしてその言葉にじっと耳を傾ける側の思いが優しく溶け合い響き合って、とてもあたたかな空間となりました。
大きなテーブルの真中にキャンドルを灯し、ドリンクやジェラートを手に取りながら、思い思いのものがたりが語られました。
チェックインとチェックアウトは、民族楽器の生演奏を聴きながら・・・というとても贅沢なもので、その演奏は鳥が飛び立つような力強さだったり、皆で手を取り合って踊るような軽快さであったりと、こころに深く残るものとなりました。

地震が発生した14時46分には、ものがたりを一旦中断して静かに黙祷の時間を持ちました。なにも考えず、あの日星になって空にのぼっていったたくさんの魂と、それを見上げる遺された方々の14年間を思い、ただただ手を合わせることしかできませんでした。

この日を忘れないこと。この日に起こったことを忘れないこと。この日を境に、当たり前のように続くと信じていた日常が突然奪われてしまった人々が、今も懸命に生きておられることを忘れないこと。そして、それがいつ自分に降り掛かってきてもおかしくはないという緊張感を忘れないこと。

大自然の前では、我々人間には手の施しようもないことが起きてしまいます。ならば、このちっぽけな自分は、どんな「今」と「これから」と向き合っていけばよいのか。こたえはそれぞれ違って当たり前だし、すぐには出ないかもしれないし、ひょっとしたら出ないのかもしれません。
出ないかもしれない問いと向き合うことはとてもエネルギーが必要だけれども、こたえが出る出ないではなく、そのことと向き合う時間や過程が大切なんだなー、、、ということを考えさせられた午後のひとときでした。

松崎先生は、「自分が死ぬまでこの会は続ける」と断言されました。
来年は是非、このあたたかな場所にお越しいただけましたら・・・と既に思いは来年へと向かっております。

『三月十一日を語る会』によせて

こんにちは。高尾です。

春の到来を告げるかのようなあたたかい日が続いておりましたが、本日は昨日よりー20℃もの寒暖差のある冷たい雨が降り注いでいます。

あたたかくとも寒くとも、それでも3月11日は今年も当たり前のようにやってきます。
まだまだ苦しくて、息もできないような想いでこの日を迎えられる方々もたくさんいらっしゃると思います。
何かを語っていないと落ち着かない1日になりそうだという方々も、あちらこちらにおられるかもしれません。

一人称、二人称のグリーフは、時とともにさらに深まり、色や形を変えながらも遺されたご遺族の胸に刻まれ、その人生とともに歩み続けておられることでしょう。

しかし、三人称のグリーフは、ともすると時の流れとともに色が薄くなり、形があやふやになってきてしまうことがあります。
そして、大自然の中で生かされている私たちは、時としてその前では無力となり、どうして神様はこのような理不尽なことを我々に課すのだろうかという、答えの出ない問いと向き合うことになります。

人はみな、スピリチュアリティを携えてこの世に生まれてきます。
このスピリチュアリティとは・・・
・自分はどこからきて、どこへ向かうのか
・自分はなぜこの世に生まれてきたのか
・自分がこの世に生かされている意味とはなんであるのか
・自分には生かされている価値があるのだろうか
・自分はなんのために生きているのだろうか
・自分は死んだらどうなるのだろうか
といったものが考えられます。

とても大切なことではあるけれども、毎日毎日朝から晩までこのようなことを考えながら生き続けることはとてもしんどいです。
そしてなにより、自分にとって1番遠くにある最後の出来事が「死」であり、やっぱりそのことを考えることは、今生きていることが遠くにいってしまいそうな不安や恐怖がつきまとい、とても生きづらくなってしまいます。

だから・・・
普段のなにごともない日常生活ではあまり考えないようにしっかりと蓋を閉め、遠くのこととして捉えられているのです。それが生きる智慧であるのかもしれません。

しかし、望む望まないにかかわらず、このスピリチュアリティをしまい込んだ蓋が、時にパカッと開いてしまうことがあるのです。
以前にもお伝えしましたが、
①自分の死が近いことを知った時
②自分の近しい人の死が近いことを知った時、或いは喪った時
③自然災害や感染症などで、成すすべもなくたくさんの命が喪われた時
そして、いのちに関わることだけではなく、
④自分にとって大切ななにかを失ってしまった時

その中でも特に、今まで1番遠いと信じていた「死」が突然身近に感じられた時、その蓋が突然パカッと開いてしまうのです。

まだその時ではないと思ったら、その蓋をそっと閉めてあげることもひとつの生き方だと思います。
もしも、苦しいけれども自分を生かしてくれている「スピリチュアリティ」と向き合いたいと思ったとしたら、お一人で悩まず、語り合える仲間を頼ってください。
「対話」することによって生まれるあたたかい空気感が、今自分が何を悩み、考え、今後どうしたいのか、どうなりたいのか、というグルグルと頭の中を巡りからまっていた複雑な問題を、仕舞うべき引き出しにひとつずつ整理していってくれます。

『三月十一日を語る会』は、その対話の必要性を長い教員生活において痛感された松崎先生が発案され、震災後毎年この日のその時間において語り合う会となっています。あの日あの時、突然喪われたたくさんのいのち(魂)を想い、遺された方々の辛く長かった日々に想いを馳せながら、会を進めていくことになります。

松崎先生はPCやスマホをお持ちでないので、懐かしい縦書きの手書きチラシとなっています。見辛いかもしれませんので、重要事項のみ転記いたします。

日時   :3月11日(火) 14:00〜
場所   :「街かどグリーフサロン」 鎌倉市雪ノ下1−2−5 テラス雪ノ下1F
参加費  :無料(ワンオーダーお願いします)
主催   :松崎好男
問い合わせ:0467-24-5623(松崎)050-3698-2224(高尾)

それぞれにとっての三月十一日があると思います。対話のきっかけ作りのために、ご自分にとって大切ななにか、例えばこころの支えとなっている書籍であったり絵本であったり、絵画、写真などを持ち寄り、この日に湧き上がってくる思いや言葉を対話に乗せて届けていただければと思います。
あまり難しく考えず、この日をどうやって過ごそうかな、、、と思っている方がおられましたら、お好きなお飲み物ととろけるジェラートとともに、気持ちをほぐし、ほどいていっていただければと思います。
松崎先生が主催される「対話の学校」には何度か参加しましたが、決して小難しいものではなく、初対面ながら皆でお茶を飲みおやつをつまみながら、賑やかに楽しくあっという間に時間が流れていくような会となっています。

もしも、亡くなった方や今どこにおられるかわからない方へ届けたい想いがありましたら、手紙を書いて会場内のポストに入れてください。『手紙寺』へ奉納しお焚き上げしていただきます。
(便箋・封筒・カードのご用意ございます)

特にお申し込みの必要ありませんので、あまり気負わずにふらっと立ち寄っていただければと思います(^^)/

「想い出の会 ゆるり」

こんばんは!高尾です(^^♪

1月が暖かかったせいか、ここのところの寒さが堪えています。
それでもなぜか「街かどグリーフサロン」のお部屋は、エアコンなしでもポッカポカです☀️おひさまの力って、本当に凄いです!!

さて、今年で3回目になる「想い出の会 ゆるり」。訪問看護ステーションの看護師さんと共に立ち上げたのが2年前。今年も無事に開催することができましたヽ(^o^)丿
昨年は、あの身動きが全くできなくなる謎の腰痛で、zoom参加にしていただきました(ToT) 打ち合わせの時には起き上がることもできず、ビデオをオフにして寝たまま参加でした(~_~;)
今年は、打ち合わせも当日も腰痛に悩まされることもなく、10時前に光が丘(*_*;というかなりの難題もクリアし、午前中の遺族会と午後の勉強会を無事終えることができました。

訪問看護の医師や看護師のお陰で、自宅で最期を迎えることができるということは、ご本人にとってはとても幸せなことかもしれません。しかし、それを見守り介護するご家族には様々な思いが渦巻くのではないかと思います。果たして自分にできるだろうか、という不安もあるでしょう。大切な方がどんどんと弱っていく理不尽さに耐えられるだろうか、という恐怖心もあるでしょう。
特に関係性があまりよくなかった場合、苛立ちや苛立ってしまったことへの嫌悪感など、負の感情も生じがちです。
看護師さんが訪問の度に話を聴き対応されていますが、心身両方のケアはかなりの負担になるのではないかと案じてしまいます。

でも、だからこその遺族会なのかもしれません。
ご家族を亡くされた方のかなしみと、ケアする側の喪失感。そのどちらをも癒やしてくれるのが遺族会なのかもしれません。

ご遺族の方々と、その看護に携わった医療関係者との同窓会のような柔らかな空気感。うんうんと頷き合いながら、懐かしむようにお話をされ、かなしみを共に味わっておられるようでした。

男性の方は、案内をもらった時に「行ってなにをするんだろうか」「行ってなにになるのだろうか」という思いが強く、なかなか返事が出せなかったと話されました。でも、勇気を出して来てみたら、普段話せなかったことが、今日はなぜか話すことができた、との言葉が聞かれました。
なにかのきっかけがないとなかなか言葉にできないことが、「話す場所」をもらえたことで、口にすることができたようでした。

女性の方からは、「自分にもまだこんな感情が残っていたんですね」と、止まらぬ涙を拭いながらも、あらためて気づかれたことがあったようでした。

「気づきの場所」でもあり、「誰にも語れなかったことを語ることのできる場所」。「語ることによって気付けることがある」ということを今回も目の当たりにして、このような場所は絶やしてはならないと強く感じました。

午後は、グリーフケアを学びたい方や今後遺族会を開きたいと思っておられる方々との勉強会。

なぜかお茶室での開催^^;
風情があります

 

 

 

 

皆さま熱心に耳を傾けてくださり、「街かどグリーフサロン」のようなグリーフカフェを作りたいという方も!

グリーフケアを少し先に学んだものとして、或いはグリーフ&セルフケアのコミュニティを作った先駆者として、これからも伝えられることはどんどんお伝えしていきたいと思います(^^)/

 

自宅に戻れば、ピアノの先生♫
最後の生徒とのレッスンは本当に楽しい

彼女も小学校1年生から大学4年生までの16年間、毎週毎週通ってきてくれました。
それがどれだけ凄いことなのかに気づくのは、もうちょっと先になるかもしれません。

 

最後の連弾はドビュッシー
そしてソロもドビュッシーの「月の光」

静かに静かに、レッスンの幕を引くことになりそうです♪

 

伝えられなかった想い

こんばんは。高尾です。

30年という月日が経ちました。
あの時お腹の中にいた次男が、30歳になるほどに・・・
どうか安らかに、と祈ることしかできません。

どれだけ多くの人々の人生に、突然のお別れが訪れたことでしょうか。
当たり前のように明日は来ると思っていたから、だから、もう何も伝えられなくなる日が来るなんて、夢にも思っていなかった1995年1月17日早朝。

長い転勤生活を終えて、ようやく両親が宝塚の自宅に戻ったのは震災の2ヶ月ほど前。そして、やっとリフォームが終わったのが震災の前日でした。
まさかほんの半日を過ごしただけで、ライフラインが整うまでの何ヶ月間か、そこに帰ることのできない日々が続くとは夢にも思っていなかったことでしょう。

「形あるものはすべて壊れる」

本当にその言葉の通り、すべてが我楽多=瓦礫の山と化したのでした。

どんなことが起ころうとも、手元に残るものとはなんなのだろうか?
遠く離れた故郷でのこの大きな災害は、折に触れて自分の向き合うべきものがなんであるのかに思いを馳せる、大きなトリガーとなったのでした。

突然のお別れに、遺された者たちに去来する思いとは・・・
いつの日か伝えようと思っていたのに、でもそれはまだまだ先のこととしか思っていなくて。言っておけばよかった、伝えておけばこんなに苦しく切ない思いをすることはなかったかもしれないのに。。。


千葉県船橋市にある『手紙寺』のことは、以前にも触れたことがありました。

想いを文字として綴ることは、その人との日々に思いを巡らせ、共に生きた証を胸に刻むことなのかもしれません。

このポストに投函された手紙は、大切な方へと届けられます。

 

『手紙処』では、一人静かに文字を綴る場所が用意され、たくさんのノートに、たくさんの想いが綴られていました。

AlonAloneの扉の閉まる一室には、北鎌倉に美術館を構える葉祥明さんのカードやシンプルなレターセットをご用意しています。

 

グリーフカウンセリングの後に文字を綴られる方や、ふらっと立ち寄っただけだけど願いを届けたくなった方、などが、静かな時間を過ごされ、綴られた手紙は赤いポストへと投函されます。

先日手紙寺を訪ね、ポストに投函されていた数々の手紙を納めてまいりました。
毎月最終日曜日の午後、お焚き上げは行われます。

大切な方へ伝えたい想いは、お焚き上げによって届けていただきましょう。
手放してしまいたい思いは、炎として燃やしてもらいましょう。

たまたまこの手紙寺には、上智大学グリーフケア研究所の後輩が勤めておられました。案内を買って出てくださり、どのような活動をされているかのお話を伺ってまいりました。
私の活動にも理解を示してくださり、今後も毎月鎌倉で綴られたお手紙のお焚き上げを快く引き受けてくださいました。

このようなご縁もあり、雪ノ下でグリーフ&セルフケアのコミュニティ活動をしていることを知っていただくことができました。
少しずつ少しずつではありますが、小さなコミュニティが横に縦に斜めにと、広く知っていただくことの機会が増えてまいりました。

従来通りの活動に加え、Teahouseという未知の世界に飛び込んでもうすぐ半年を迎えます。

たくさんの方々のご理解ご協力に感謝し、上に下にと枝を伸ばし根を張り巡らせて、細く長くこの活動が続くことを祈りながら、大変遅くなりましたが、新年のご挨拶とさせていただきます。

本年も、一人でも多くの方がグリーフの苦悩から立ち上がり、グリーフと共に生きていくことの意義を見い出していくお手伝いをさせていただきたいと思っております。